grunerwaldのblog

バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭など、主に海外の音楽祭の鑑賞記や旅行記、国内外のオペラやクラシック演奏会の鑑賞記やCD、映像の感想など。ワーグナーやR・シュトラウス、ブルックナー、マーラー、ベートーヴェン、モーツァルトなどドイツ音楽をメインに、オペラやオペレッタ、シュランメルン、Jazzやロック、映画、古代史・近現代史などの読書記録、TVドキュメンタリーの感想など。興味があれば、お気軽に過去記事へのコメントも是非お寄せ下さい。

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ケイト・ブランシェット主演「TAR」(ター)をさっそく鑑賞してきた。なんてことだ!「映画」のカテゴリーで映画館で前回に観た映画は2020年2月の「パラサイト」以来で、このブログで取り上げるのは3年ぶりになる!

この映画はクラシックファンには馴染み深い音楽や名前や場所、逸話がふんだんに出て来るのでその意味でも面白いが、ケイト・ブランシェット演じる「リディア・ター」というひとりの凄まじい人間を描いた映画としての衝撃のほうが、はるかに大きかった(トッド・フィールド監督作品)。

映画ではリディア・ターはクリーブランド管弦楽団やシカゴ、ボストン、フィラデルフィア、NYフィルを制覇し、ついには世界に冠たる「ベルリン・フィル」の首席指揮者にまで上り詰め、マーラー交響曲全曲録音を成し遂げつつあり、残すところは第五番のみ。その録音状況と仕上げのライブ演奏が、現在進行形で描かれていく。ただし、「ベルリン・フィル」は名義貸しのみで(これもベルリンフィルは楽団員の選挙で了承したんだろうかw)、実際の演奏はドレスデン・フィルが担当し、出演も実際に楽団員がしている。演奏の収録会場はベルリンのフィルハーモニー大ホールということにはなっているが、映画を観ればすぐにわかる通り、実際には数年前にドレスデンに完成した「カルトゥーア・パラスト」の大ホールをそのロケの場所として撮影されている。このホールもワインヤード型の美しく立派なホールなので、まったく違和感はない。実際のベルリンのフィルハーモニーからは、あの特徴的なホワイエや階段が映像に出て来るが、大ホールでは撮影されていない(※注)。何度かでてくるトイレの雰囲気は、実際のベルリンのフィルハーモニーのものに近い感じだが、なにせ女性トイレの内部までは知らない。あとは、楽団員らがターの処遇を巡って協議する会議室の窓からは、シャロウン通りを挟んだ聖マタイ教会らしき尖塔の建物が見えるが、これも実際の映像か合成かはわからない。あと、チェリストをブラインドオーディションで選考する場面では、ベルリン国立図書館の「オットー・ブラウン・ザール、Otto-Braun Saal」がロケ場所となっている(→sceenit)。映画ではストーリー上、ベルリンという設定になっているので、ドレスデンでの撮影は上記のカルトゥーア・パラストの大ホールのみで、他には出てこない、が、一か所あった。ターが見出した若い有望なロシア人の女性チェリストが、自身のYoutube映像でエルガーの協奏曲を演奏している場所が、間違いなくルカ教会(→Lukas Kirche)だった!  一応、小道具としてロシア語の掲示物をドア付近に取り付けているが、吸音パネルや木製の壁の幅と角度、照明器具などから、あれはドレスデンのルカ教会に間違いない。しかしまぁ、ベルリンフィルの名代でドレスデンフィルが演奏して実際の撮影にも参加しているなんて、それだけでもすごいではないか!それも指揮はケイト・ブランシェット自身とある!なんてすごい役者だ!ドレスデン・フィルといっても演奏は素晴らしいことは、知っている人は知っている。

(※注)上述の新入チェリストのオーディションの場面では、選考の場所は上記の通り国立図書館の Otto-Braun Saal だが、その場で合格した彼女がドアを飛び出して狂喜して階段を駆け下りる、すぐ次の場面ではベルリンフィルハーモニーの階段に切り替わっている。

ここからはストーリーの内容にも立ち入るので、読みたくない人はここまでにしておいてください(以下、ネタバレ注意)。

レズビアンだとかホモセクシャルであるとかパンセクシャルとかLGBTQだとかミソジニーとかミソガミー(ミソサザイではないw)とか、今なら食いつきが良さそうなテーマやワードがふんだんに盛り込まれているので関心がそうしたことばかりにとらわれてしまうと、本質を見誤る。実際、レヴァインやデュトワなどの実名も出て来るし、それを語るベルリンフィルのターの前任者の名前も、「アンドリュー」ではなく「アンドリス」・デイヴィスだ。同性愛は別として、バーンスタインやカラヤン、アバドはもちろん、MTTやドゥダメルの名前やドイツ・グラモフォンや CAMI などの名称も出て来るので、表面上はクラシックファンなら食いつきそうな内容になっている。映画の冒頭ではターの部屋と思しき一室で二人の女性が床に多くのLPジャケットを広げて、足でターの新譜のジャケ写のイメージを選んでいるような場面がある。そこでは、なんとアバドとベルリンフィルのマーラー5番のジャケットを足で踏みつけにして選び出す(※注)!しかし、映画が描いているのはそうしたカタログ的な興味ではなくて(実際にはDGの親会社であるユニバーサルには商業的価値があると見込んでこの映画に出資しているのではないだろうかとも深読みはできるが)、ターという主人公とその相関関係者を通して、権力欲と策謀、失望と失敗と失墜、そして屈辱のみにとらわれず、そこから再挑戦しようとする人間の強さではないだろうか。

(※注)
二回目に観て思ったのだが、上からのアングルで一瞬映る女性の髪形はターのものではなく助手のフランチェスカに近いように見える。そうすると、この二人はフランチェスカと、後に自殺するもうひとりのクリスタとの同性愛関係を暗示しているように思える(ターとフランチェスカが恋愛関係ではないことはその後の会話で判明するが、ターとクリスタがもとは恋人同士だったかどうかは明確には描かれていない。おそらくはそういうことだったんだろうと匂わせてはいるが)。そう考えると、ターに半ばうんざりしている二人がターから言いつけられた指示を留守中の彼女の部屋で気乗りせずにやっているようにも見える。
上記したLPジャケット選びの場面では彼女ら二人のと思しき素足が意味深げに絡むシーンもチラと出る。そう考えると、冒頭部分のプライヴェートジェットのなかでの LINE のやりとりがこの二人のものであることがわかってくる。また、ターがフランチェスカを人間として丁寧に扱っていないことは、細々した用事が済んだら即、ハイ、帰っていいよ、わたしまだ忙しいから、とそれ以上の長居は邪魔だと言わんばかりの無関心さで彼女を追い出す場面が何度かあることからも強調されている。そんなフランチェスカとクリスタが愛人関係だったからこそ、ターのクリスタへの冷酷な仕打ちに対するフランチェスカの憤りが、非常に重要な伏線になっていることを暗示している。その意味ではこの映画の主軸はターの転落劇にあることは間違いないが、一方でフランチェスカによる復讐劇というのが重要な伏線であることになってくる。そして、それがどの場面でもそうと気づかないくらいの暗示にとどめているところが、ミステリー・サスペンス調の仕上がりになっているのだと思われる。


最初に敢えてラストの場面から取り上げるが、自身のハラスメント的行為からひとりの弟子の将来を破滅させ自殺にまで追い込み、両親から訴訟を起こされる。ターとしては当然、知らぬ存ぜぬで通そうとしたつもりかも知れないが、もう一人の愛弟子であり助手であるフランチェスカからも、副指揮者の椅子をターから与えなかった失望と復讐心から(あるいは以前の彼女に戻って欲しいと願う同情心からか)、自身に不利な証拠を残されてしまっている。なによりも、ベルリンフィルの楽団員たちからは、それまでの専横的な行為に愛想を尽かされてしまっているので、再起は不可能だ(※下記三点参照)。

同居するパートナー(養女のペトラには、ターは自身をパパと位置付けている)で第一バイオリントップのシャロンからも、これを機に絶縁される。彼女とも、相互利益のための同居であって、愛ではなかったのだ(そこに愛はあるんか?ってヤツだなw)。自身の仕事部屋兼住居のアパートの隣人は、芸術家であるターのピアノの音を単なる「騒音」として捉え、部屋を売却できないと苦情を言ってくる。耐えがたい屈辱に、ターは発狂寸前である(「Apartment for sale!」と絶叫しながらアコーディオンを掻き鳴らす場面は鬼気迫った感じだ)。そのベルリンフィルでのマーラーチクルス録音の最後の5番の完成直前に降ってわいたスキャンダルによる不本意な降板。冒頭のトランペットが舞台裏でソロを吹く隣りに、なぜかターの姿がある。オケの演奏が始まるや否や、ターはポディウム上の代理の指揮者(自身を支援して来てくれた財団理事のエリオット・カプラン)めがけて突進し、突き倒して殴る蹴るの乱暴狼藉におよぶ。「私が指揮者だ!」と言わんばかりの形相のターに対し、唖然とし騒然となる楽団員、舞台関係者、観客たち。もう取り返しはつかないところまで来た。普通なら、精神を病んで引退するか、どういうかたちであれ再起不能となっても、おかしくはないところだろう。

すべてを失ったターは、生まれ育ったニューヨークに戻り、自分の部屋にあったバーンスタインの「ヤングピープルズコンサート」のVHS映像を観て、自分の原点を思い出し涙を流す。粗野な口調の兄からは「ヘイ!リンダ…、じゃなくてリディア、だったっけ?」と声かけられる。ターの本名はリンダで、ドイツ人受けするようなリディアという名を芸名にしたのだ。もともとの育ちはブルーカラー出身で、耳障りの良い標準的なアクセントも、後から身につけたものだった(化粧中に何気なくラジオから流れる女性ニュースキャスターの標準英語を熱心に口真似する場面が印象的)。経歴には相当な虚飾が感じられるが、持ち前のハングリーさと闘争心で(サンドバッグ相手にシャープなスパーリングで鍛えていたり、ハードなジョギングを日課にしている場面が度々出て来る)ベルリンフィルまでのし上がって行った。その頂点から墜落してしまった彼女の姿はいま、何人もの有名無名の指揮者のマネジメント業務を請負う CAMI(Colombia Artist Managements Inc.、近年倒産の報を見たが、その後どうなっているだろう)のオフィスにあった。著名指揮者を受け持つベテランのマネージャーではなく、経験の浅い職員をあてがわれたようだ。

手始めにあてがわれた仕事は東南アジア(川下りで「地獄の黙示録」のロケ地跡だというセリフから察するとフィリピンあたり?)のどこかの都市のユースオーケストラを育てること。最初の仕事は、直前に大阪からのピアニストがキャンセルして公演不能という仕打ちだった。ターがしてきたことからは、当然の報いだった。そして最後の場面が、このユースオケを指揮してのエンタテイメント・アトラクション会場のようなところ(クレジットには Siam symphonietta または Siam youthorchester とあったと思う - Siam と言えばタイの旧称だから、タイのオケになるのだろうか)。舞台上には映像用のスクリーンが降り、ターはスピーカー内蔵のヘッドセットを被り、「さあ、勇気のある君たちは、ついてこれるかな?」みたいないかにも子供向けのゲームらしいナレーションに続いてゲーム音楽の「モンスターハンター」の指揮を始める。観客はみな、ゲーム登場人物の派手なコスプレをまとったコアな若いゲームファンばかり。そこで唐突にこの映画は終わる。冒頭のリンカーンセンターでのインタビューシーンで、自分こそが時間を決めるのだと豪語していた時のターとは実に皮肉な結末となっている。ゲーム音楽のアトラクション演奏では、自分がタイムを決めることなどできない。

かつては天下のベルリンフィルの首席指揮にいたマエストラが、いまはそんなことすら知らないゲーム・コスプレの若者たちのエンタテイメント・イベントの指揮者に「凋落」した。クラシックファンであれば、誰しもがそう思うところだろう。現に今週の「週刊文春」の某女性作家の批評には「クラシックを崇高な存在とし、アジアの楽団を堕落とする描き方が不愉快千万」とある。私も、自分の「趣味」としてクラシックを愛し聴いている。しかし、アジアのユースオケを指揮しゲーム音楽を演奏することが、本当に「堕落」か?

私も、自分自身の「趣味」としてはRPGやその音楽などには何の関心も興味もないが、それは「自分自身の趣味」という、ごくささやかな限られた世界だけの話だ。翻って、「ファンの数、マーケットの大きさと将来性」という客観的な指標から見れば、どうだ?「クラシック音楽」の将来と、「ゲーム音楽」の将来と、どちらが「有望」に思えるか。あるネットの解説で、こんな批評も見た。劇中「ナチス」という言葉が出てくるが、ヒトラーやムッソリーニによって追放された音楽家たちが「下等」扱いしながら作曲して土壌を築いたのがハリウッドの映画音楽。ワーグナーなどの反ユダヤ主義ともリンクしていたらしいが忘れ去られ、近50年でもっとも人気あるオーケストラ式新曲を生み出すアートフォームとなった。では、今日の映画音楽がなにかというと、ゲーム音楽である。それこそ『モンハン』のテーマは、かつての『スターウォーズ』のように世界中の若年層に親しまれるニュークラシックだろう。追放されたターが指揮をとるラストこそ、オーケストラ式音楽芸術の未来なのだ。〉(原文ママ、引用:辰巳JUNK うまみゃんタイムズ5月12日 このライターの記事には、「カットされたシーンからわかるのは」などと一般観客とは違う視点を持ち合わせているようで、どういう素性かは知らないが興味をひく)。

クラシックファンには、一見「凋落」したかにも見える「ゲーム音楽」という異分野にも、性格は異なるがちゃんと「音楽」は存在する(自分には関心が無いだけであって)。マーケット規模という視点からすれば、どちらにより活力がある、将来性があるか?そこにターは活路を見出し、若者たちの未来を作って行こうという「挑戦」する、生来のエネルギーが戻っている。そういう、へこたれないターの姿、今風に言えば「resilient」なパワーを持った一人の人間の姿を、最後の場面で前向きに描いているのではないだろうか。CAMI だって、狙いがあってのことだろうし。

※①ターは、かつて学院生だった時の研究テーマでアマゾン流域の先住民族の音楽を現地調査する際、現助手のフランチェスカとクリスタという女性と三人でチームを組んだ。二人はともにターの若手女性指揮者育成プログラムを経て女性指揮者となる道を歩んだ。フランチェスカは助手としてターには便利な存在だったが、どういう訳かターはクリスタには敵愾心を露わにし、フランチェスカにメールを無視するよう指示し、楽壇関係者あてに(ロス・フィルだの、ドゥダメルだのリッカルドだのサイモンだのといった見知った名前が宛先に見える)クリスタが情緒不安定だの、危害を及ぼす可能性があるだのと散々な悪評を並びたてて、採用をしないようにとのメールを送りまくる。その結果、クリスタはどこからも採用を断られ、なんどもターあてにもメールを送り続けたが無視され続け、ついには自らの命を絶ってしまう(二人の断絶の原因は明確には描かれてはいないが、おそらくは過去の恋愛関係を唐突に清算したがったターに対するクリスタの未練が、ターには邪魔になってしまったのだろうと勝手に推測)。

※②ターはチェリストのオーディションでオルガ(ソフィー・カウアー)という若い女性チェリストを見出し、その演奏と物怖じしない個性に惹かれ、彼女の得意なエルガーの協奏曲をマーラーとのカップリングにすることを独断で決める。そのうえ、そのソリストがお気に入りのオルガに決まるよう、週明け早々にオーディションで決めると言い出す(通常こうした場合は楽団員の首席奏者がソリストになるという慣習を無視し、首席奏者が辞退するよう仕向ける)。これはもちろん、カラヤンのザビーネ・マイヤー事件を想起させるものでもあり、ターとオルガの関係性の描き方はヴィスコンティの映画「ベニスに死す」へのオマージュにも見うけられる。そう言えばオルガ役のソフィー・カウアーの容貌は実に中性的で、「ヴェニスに死す」の少年の美貌を彷彿とさせる。第4楽章のアダージェットのリハの場面では、ターは楽団員に「Vergessen Sie Visconti」(ヴィスコンティの映画は忘れてください)とジョークを飛ばしている(なぜか字幕では訳されていないが)。

※③ターは、前任指揮者から引き継いだ副指揮者(カペルマイスター)のセバスティアンを「焼きが回った」という感覚で、交代するように仕向ける(通常、楽団員の進退は楽団員の選挙により決められるが、副指揮者の任命権は首席指揮者にある)。セバスティアンの後は、本来ならターに最も献身したフランチェスカを任命するのが最善だが、ターは彼女を任命せず、より経験を積んだ人材を他の楽団から採ることにしたと伝える。これに失望したフランチェスカは突然辞任して姿を消し、以降出所不明の不審な動画がターを悩ませることになる。このあたりは今風のSNSの炎上そのものとして描いている。ちなみに、三つの場面で彼女が描いたと思しきアマゾン先住民のパズルのような抽象的な画が象徴的に出て来る(飛行機内のトイレでゴミ箱に捨ててしまう「挑戦」という誰かから贈られた本の中表紙、夜中に独りでにカチカチと動いていたメトロノームのケース、フランチェスカが退去した後のアパートの床に散らばっていた紙切れなど~いずれも過去の後ろめたさからくるターの不安感を象徴する幻視として描かれていると考えれば解釈しやすい)。

~それにしても売店で購入したパンフレットは、映画パンフレットとしては近年まれに見るくらい内容の濃い、文字数の多い立派なもので感心した。また前半のペースが早いし、いろんな名前が次々に出て来るので、とても一回観ただけでは飽き足らず、土日、二日続けて映画館に足を運んだというのも珍しいことだった~

追記:Youtube に見どころのシーンを7分程度にまとめた美しい動画があったので下に貼っておく。


ドレスデン・フィル公式 Youtube での団員によるバックステージインタビュー。フラウエン教会を背景にした新装カルトゥーア・パラストの建物が立派。ハンブルクよりはこっちのホールに行ってみたい。




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阪哲朗(ばんてつろう)新芸術監督となって初回となる「びわ湖の春 音楽祭2023~ウィーンの風~」(4月29/30日)を鑑賞してきた。

びわ湖ホールでは毎年ゴールデンウィークのこの時期に合わせて音楽祭を催してきた。以前は「ラ・フォル・ジュルネ」と連動した企画をやって来たが、2018年からは、独自の企画で「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」の名称で新たな音楽祭を開催してきた(2019年はコロナ禍の影響で中止)。芸術監督が沼尻竜典から阪哲朗にバトンタッチされ、館長も山中隆から村田和彦に変わった今年度からは、新たな体制での最初の音楽祭となり、名称も「びわ湖の春 音楽祭2023」と改められた。

この名称変更について阪監督はステージ挨拶のなかで、「4面舞台構造と機能的な装置や設備を備えたびわ湖ホールはドイツの舞台関係者にもよく知られており、"Biwako See(ビワコ・ゼー)"の名と共に「近江」よりも(対外的に)ブランド力がある。どうせなら、この「びわ湖」という名のブランド力とともに知られる音楽祭として発信して行きたい」との趣旨を説明した。確かに「近江」でも悪くはないが、ややローカル色が強いし、「Omi」なのか「Ohmi」なのか「Oumi」なのか、英語表記もいまひとつわかりにくい。その点「Biwako」であれば、発音、表記ともに明瞭でわかりやすいし、立地性のアドバンテージも打ち出せる。これを機に、国内だけでなく対外的な視野も取り入れた音楽祭として育って行ってほしいと願うところだ。

とは言え、国内的にもじゅうぶんに魅力ある音楽祭かと言うと、まだまだそうではないところも多い。従来この時期の音楽祭は、普段クラシックのコンサートに足を運ばないファミリー層を開拓することに重点を置いたプログラミングと価格設定で企画・運営されて来た面が強いので、コアなクラシックファンにはやや物足りない部分が強かった。なので、せっかく立派なソリストや楽団を招いても、ともすれば地域的な連休中の娯楽イベントという一面が拭いきれず、それがクラシック・コンサートである必然性が奈辺にあるのか、やや曖昧な印象があった。ターゲットが絞り切れずに、結果としてちょっと立派な地域の音楽イベント、というやや中途半端な印象があった。二日間にわたり大・小のホールで、低料金で短時間のプログラムを複数用意し、気が向いたコンサートを気軽に鑑賞できるというコンセプトは悪くはないので、クオリティは落とさずに、もう少しターゲットを明確にした音楽祭にして行ったほうが賢明ではないだろうか。単なる連休中の地域の娯楽イベントであるなら、びわ湖ホールである必要性はないだろう。そう感じていたところだった。

その意味で、阪・新監督のもとで、「びわ湖の春 音楽祭2023~ウィーンの風~」と題して、第一回目から堂々と「ウィーン」をテーマに掲げて、音楽ファンも納得の曲目とプログラム構成としたのは注目に値する。

①第一日目午前11時からの大ホールでのオープニング・コンサートでは、阪哲朗指揮京都市交響楽団と中嶋彰子(sop)の演奏で、ヨハン・シュトラウスⅡ、カールマン、ジーツィンスキーなどのウィンナー・ワルツやポルカ、チャールダシュなど。ピアノ伴奏や小編成で聴くことが多い「ウィーン我が夢の街」などポピュラーな名曲も、フル編成の京響のゴージャスな演奏をバックに聴くと贅沢で聴きごたえがある(ただし歌手の自由度は制約されるが→同じ曲目を小ホールでのピアノ伴奏でも聴いたが、歌手は明らかにそちらが自由に歌いやすそうだった)。開演時には三日月大造・滋賀県知事が阪監督、村田館長とともに登壇し開会宣言(びわ湖ホールは滋賀県立芸術劇場なので)。曲の合間には阪監督と三日月知事がマイクを握って、打ち解けた会話。阪監督は電車が趣味のいわゆる「乗り鉄」で、三日月知事は政界入り前はJRで運転士をしていた経歴があることから、マニアックな電車の話題で意気投合したとのこと。中嶋彰子はいかにも貫禄があるが(昨年のクリスマスにNHK-BS番組でウィーンからの生放送に出演していた)、ちょっと声質がドラマティックすぎてオペレッタにはもう少し軽やかさが欲しい。トスカなどは良いのかも。ドイツ語の発音が日本人らしくて逆に聞き取りやすかった。小一時間ほどの演奏で、アンコールは「ハンガリー万歳」。客層は年齢層高めで、ファミリー層向けというムードでは全然なかった。


合間の時間、小ホールではびわ湖ホール声楽アンサンブルのコンサートもあったようだが、こちらはパスしてなぎさテラスのカフェで食事を済ませ、中ホールの「オーストリア体感広場」を覗く。なんでもオーストリアの地図の形とびわ湖を横にした形が似ているという、なかば強引なこじつけで、オーストリアと滋賀県の親交を深めようという企画とのことらしい。まぁ、理由はなんであれ、他でもないオーストリアと交流を深めるというのは素敵なことではないか。中ホールでは映画館並みの大スクリーンにオーストリア政府観光局の美しいPR映像(約35分)が流され、ウィーンをはじめ、(なんとザルツブルクをすっ飛ばして!)バート・イシュルのカイザー・ヴィラやコングレス・ハッレ(レハール音楽祭の会場)、ハルシュタット、グラーツ、インスブルックなどの紹介映像が流されていた。ウィーンの部分では随分とコンツェルトハウス推しの映像で、ウィーンの5大音楽スポットのひとつとしてコンツェルトハウスや国立歌劇場が紹介されていたのはよいが、どう言うわけか楽友協会がすっ飛ばされている!これに阪哲郎新芸術監督のインタビュー映像が約1時間。結構よくしゃべる饒舌な指揮者だ。びわ湖ホールの客席をバックに、フレーム外にはもちろんインタビュワーがいて質問しながらの対談形式だが、ほとんど小一時間、ひとりで喋りっぱなしである。(スイス・ベルン近郊のビール市/ビエンヌの歌劇場で研鑽を積んだ話しが面白く、各パート2~3名づつくらいでピットが一杯になるくらいの小さな劇場からのスタートだったらしい。ある日「椿姫」の二幕での、ジェルモンとヴィオレッタの悲痛なやりとりの場面の時になぜか舞台の上からピンク色の風船がひらひらと落ちてきて、そのやりとりの最中の二人に当たってズッコケそうになった。後で関係者に事情を聞くと、前の日にやった「ナクソス島のアリアドネ」でツェルビネッタが演技で使った風船が宙空に飛んでしまったのが舞台の上に残っていて、折り悪く「椿姫」の本番中に空気が抜けて落下してきたのだろうと。そうした話しなども、かなり「盛り」ながら面白ろ可笑しく話していた。)

②午後3時30分からは鈴木優人指揮、日本センチュリー交響楽団演奏でウェーベルン編曲バッハ「音楽の捧げもの(6声のリチェルカーレ)」、R・シュトラウス「13の管楽器のためのセレナード」とモーツァルト交響曲第40番ト短調、というとても趣味の良い選曲。アンコールは「ピチカート・ポルカ」(大ホール)。

③午後5時小ホール、中嶋彰子(sop)、古野七央佳(p)。ロベルト・シュトルツ、シューベルト、モーツァルト、ブラームス、トスティ、コルンゴルド、シェーンベルク、ジーツィンスキー。

④二日目午後1時大ホールでは阪哲郎指揮京都市交響楽団、老田裕子(sop)の演奏でモーツァルトのモテット「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」とベートーヴェン交響曲第7番。いずれも素晴らしい演奏だった。モーツァルトのモテットは、ザルツブルクのモーツァルテウム大ホールか大阪のいずみホール規模のホールで聴けたら更に感動的だろうなと思った。対照的にベートーヴェン7番はびわ湖ホール大ホールがぴったりで躍動感あふれる演奏、身体が自然に動き出す。実は20年ほど前には、ここでC.ティーレマン指揮ウィーンフィルの演奏でベト7を聴いているのだ(当時大阪フェスティバルホールが建て替え休館中だった)。

⑤同午後5時大ホールにてファイナルコンサート。阪哲郎指揮、梯剛之(p)、日本センチュリー交響楽団。モーツァルト、ピアノ協奏曲第21番ハ長調、交響曲第36番ハ長調「リンツ」。大変素晴らしい演奏で感動した。梯剛之の演奏ははじめて聴いた。誰かさんとは対照的にクネクネと身体を捻ったりせず、ほとんど微動だにしない。一音一音のタッチはあまり強くはなく、指が鍵盤をさらりと流れるようなリリカルな演奏。合間の阪監督とのMCは意外に饒舌に思えた。「リンツ」はこの二日間で最も感動的な演奏だった。阪の指揮は実に的確であり、表現力が豊か。特に手のひらの動きはなめらかで魔法使いのようで、ふわっと指をひろげるとそこから音楽がわき起こって来るようだ。身体全身からも音楽が溢れている。大変スマートな体形で、体形だけからは故・若杉弘初代芸術監督の後ろ姿を思い出させる。モーツァルトが降臨したかのような素晴らしい演奏で、二日間の音楽祭を締めくくった。これで、それぞれのチケットの単価は3千円するかしないかという実に良心的な価格である。値段が安いと演奏も安いかと言うと、まったくさにあらずで、これは本当に驚きのお値打ち価格である。他にも小ホールでは複数の催しがあった。

この路線で行けば、次からはベルリンの風、プラハの風、ブダペストの風、パリの風、ロンドンの風、スペインの風、北欧の風、北米の風、南米の風、etc... とシリーズ化して行っても面白そうである。今後も良い音楽祭として評判となり継続して行けることを、阪芸術監督とびわ湖ホール新体制に期待したい。
とにもかくにも、沼尻シリーズやワーグナーシリーズなどの質の高い公演で聴きごたえあるとは言え、座付きのオケを持たない(持てない)びわ湖ホールにとって、いつもここまで出向いては素晴らしい演奏を聴かせてくれる京響やセンチュリー響には感謝するほかないのだ。

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初日開演前のホワイエからは気持ち良い青空が見えていたが、あいにくお天気は途中から崩れはじめたようだった。二日目の終演後には雨が上がっていて、心地よい夕暮れ時となっていた。

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明日土曜日からの連休前半はどうやらお天気が良くなさそうなので、良いお天気だった今日、前倒しで近くの公園へお散歩に出かけた。歩くと15~20分程度かかるが、車だと5分もかからないところにある公園で、緑が多くて癒される。この季節はとくに新緑が鮮やかだ。近くには美術館や図書館もある。

びわ湖ホール周辺のプロムナードもきれいに整備された快適なウォーキングコースで、豊かな水を湛えた湖面も美しいが、なにせ水だけなのでしばらく見ていると、さすがに飽きる。その点、こちらの公園は緑が豊かで広々としていて開放感がある。満面の湖水よりも、爽やかな新緑に囲まれているほうが気分が落ち着く。こうした緑の原っぱにいると、「マイスタージンガー」3幕のペグニッツ河畔での歌コンテストがはじまる場面の陽気で賑やかな音楽が自然と脳内に流れる。

うれしいことに最近、この公園のなかにちょっとしたカフェテラスがオープンした。元からある木々をうまく活用していて、いかにも緑の森のなかのカフェテラスといった風情で落ち着ける。いまのところは、さほど混雑もしていないので、ゆっくりと静かに読み物もできる。連休中にお天気がよければ、また寄ってみよう。

大野.都響.マーラー7番

大阪フェスティバルホールでのマーラー交響曲7番の演奏会を聴いてきた。4月16日(日)午後2時開演、大野和士指揮東京都交響楽団演奏。本プログラムでは東京と名古屋での演奏会に続いての公演。指揮者肝いりのマーラー7番を都響のような演奏能力の高いオケで、大阪で演奏してくれるのは有り難い。都響はガリー・ベルティーニやエリアフ・インバルとのマーラー演奏で技術を培って来た歴史があるが、あいにく当方は関西在住のため今まで足を運ぶ機会がなかった。都響のマーラー7番の演奏では、以前ケーゲルとの1985年の録音(WEIBLICK-東武ランドシステム)を聴いて大したものだと感心した記憶がある(→該当記事)。

先月はびわ湖ホールでマーラー6番を沼尻竜典指揮京響の演奏で聴いており、マーラーのこうした聴きごたえのある曲を続けて聴けるのは実にうれしい。マーラーで言うと、1番、4番、5番は比較的演奏機会が多い人気曲だが、2番、3番、6番、7番、8番、9番は曲の構成や楽器編成も格段に大きく、実演で聴ける機会は関西ではあまり多くはない。個人的には3番が実演では未聴でいつか機会があればと思っている。

さてこの日の大野・都響の演奏は、上述のような経歴からもわかるようにその練度は相当に高く、この複雑で高い演奏技術が求められる大曲を寸分の乱れもなく、シャープでエッジの効いたハイレベルな仕上がりで、大いに堪能させてくれた。このような複雑な難曲は、並大抵のオケの演奏ではとうてい満足に聴けるものではない。さすがに都響のマーラーだけあって、合奏能力がすこぶる高く、正確無比な演奏でまったく破綻するところがない。それはいいのだが、聴こえてくる音はどこか冷徹で頭脳的で、ふくよかさや温もり、漆黒の夜のひろがりといったこの曲に同時に求められる大切な要素が少ないように感じられ(それこそが指揮者が意図した結果かも知れないが)、ロマン性の面ではやや物足りなく感じた。同じように高い演奏能力でも、8年前の2014年に京都コンサートホールで聴いたライプツイヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(R・シャイイー指揮)によるこの曲は、もっと夜の闇の広がりと温かな包容力を感じさせる分厚いサウンドによる、超絶級の演奏だった。渋くて味のある演奏で、実によかったなぁ(→こちら)。

とは言え、ドラやゴング(鉄板状の5枚の鐘、奏者は残響を抑えるのが大変そうだった)まで使った打楽器群や金管のファンファーレの咆哮による圧倒的な音響の洪水と、第4交響曲を想起させる天上の音楽のような優美な弦、夜の音楽の繊細さの極みを醸し出すマンドリンとギターによる超弱奏など、マーラーが描いた音響のページェントを華麗に描き出してくれた。よくこの曲が難解だとか音のごった煮だとか言われるが、難解とまでは思わないが音響の洪水、音のページェントと言う意味では「音のごった煮」と言われるのは、まさにマーラーが意図したものではないだろうか。下手側バンダでのカウベルは遠慮せずもうちょっと伸びやかにのどかに響かせて欲しかったがあまり余裕がなさそうだった。マンドリン(舞台中央の指揮者から向かって左側)とギター(同、右側)も同じく遠慮気味に聴こえた。ワーグナーテューバによく似たテノールホルンは上手側奥のテューバの隣り。ヴィオラ・チェロ・コントラバスの低音群は指揮者から見て右手の舞台上手側。比較的良心的な価格(S席で6千円!)にも関わらず、後方席には空きが結構あった。一階後方席には制服を来た高校生らしい学生客が結構多く来ていて、感心感心。音楽部か吹奏楽部かな。学生のうちからこうしたハイレベルな演奏に接するのは大事なことだ。7月にはまたびわ湖ホールで沼尻・京響のいつものコンビでこの曲が聴けるのが楽しみ。

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歌舞伎俳優の市川左團次さんが肺がんで亡くなったことが、今夜いっせいに報じられた。



立派な体格の立ち役で、「助六」の意休や「白浪五人男」の日本駄右衛門などを演じさせたら抜群の役者さんだった。おおらかで特徴的な口跡が耳に心地よかった。自分としても特にお気に入りの役者さんで、「高島屋!」の声は一番多く掛けて来た。特に歌舞伎座建て替え工事を挟んでの閉館前の先代團十郎の「助六」の時と、新装開場後の当代團十郎(当時海老蔵)の「助六」の時に観た髭の意休はまさに当たり役で豪華だった。助六に挑発されて大きくカッと目を剥いて「プㇵ!」とこらえるところは、いまも脳裏に焼き付いている。飄々として飾らない普段のお人柄も人気で、インタビューの時の雰囲気も独特だった。左團次さん自身の書籍「俺が噂の左團次だ!」(ホーム社-集英社 1994年)も、お人柄が滲み出ていて楽しく読める本だ。この四月の歌舞伎座の「与話情浮名横櫛」の配役にも名前が載っているが、4月11日付けで休演情報が掲載されていたようだ。前半は主役の仁左衛門さんの体調もよろしくなかったようだし。

お気に入りの役者さんだった左團次さんのご冥福をこころよりお祈りします。

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国立文楽劇場(大阪)の4月公演の1部(午前の部)、2部(午後の部)「妹背山女庭訓」(いもせやま おんな ていきん)を観て来た(4/14)。このブログでは文楽にはあまり触れて来なかったけど、そう頻繁ではないが年に一度くらいのペースで、たまに国立文楽劇場には行っている。やはり正月公演が華やかでおめでたくてよい。ただしブログでこまめに記録を取って来なかったので、かなり記憶は薄れている。前回最後に行ったのは、多分コロナ直前の平成31年(令和元年)の正月公演だったと思う。なので、文楽に足を運んだのはまる4年4か月ぶりだ。これだけ久しく行っていないと、その間に人間国宝級を含めて何名ものベテランの方がお亡くなりになられていてパンフレットの顔写真から消えているのと、それにともなって以前に知っていた太夫の名前が変わっているのでブランクの影響は大きい。

また以前は午前と午後の2部制だったのが、午前と午後、夜の部の3部制となっていた。夜の部は「曾根崎心中」だったが、これは以前にも文楽と歌舞伎の両方で観たので今回は見送った。それでも午前10時30分から午後5時40分まで劇場にいたことになる。

1部は初段と二段目、2部は三段目までで、今回は四段目と五段目の上演はなく、続きはまた今度の夏(7,8月)の公演で上演される予定。まぁ、忠義ものとは言えこれだけ子殺し、女殺しがうち続く狂気的な演目は、敢えて日程を分けて上演してくれたほうが気が楽だとは言える。三段目の「妹山背山の段」は写真で見ると吉野山の満開の桜と、舞台を隔てる川の清流で見た目こそ華やかだが、その川の左右の館では相思相愛の男女が互いの親に首を斬られるという壮絶な悲劇だし、二段目芝六忠義の段では忠義のために幼い実子を刺し殺すという、文楽・歌舞伎ではよくある悲劇とは言え、やはり現代の感覚からすればおぞましく異常とも言える物語りに気が重くはなる。これに四段目では敵役の入鹿誅殺のためには嫉妬に狂った女の血が要るとして鱶七がお三輪を刺し殺すと言う悲劇がうち続く。シェイクスピアもかくまでかと思えるほどだし、あるいはオペラならセリア中のセリアとも言える。これが全段通しの狂言だと午前、午後、夜と続くのだから気は重い。シガーで言えばシモン・ボリバル並みのヘビー級だ。しかし文楽のなかでは名作中の名作である。台本は近松半二らの作により天明8年(1771年)大阪竹本座にて初演。ハイドンならエステルハージー家での中期頃(「告別」交響曲)、モーツァルトで言えば初期のオペラ「ポントの王ミトリダーテ」の頃か。今回初段で「大序」が上演されるのは、大阪では大正10年(1921年)以来のことらしい。近年のこの演目の通し狂言は2019年の東京での上演になるだろうか。

こうした文楽や歌舞伎を観ると、三大名作はじめその多くは江戸時代中期の作であり、官許を得たものしか上演されなかった。したがって庶民の娯楽であるこうした芝居なども権力者側の幕府の意向に沿う範囲でしか制作できなかった。また事実庶民もそうした儒教的・封建的価値観から一歩も越えることはなく、忠義こそ死を超える美徳であるとする価値観以上のものは知り得なかったことだろう。そうした意味では日本人の死生観はすでに江戸時代には確固たるものとして定まっており、その点で明治期以降第二次大戦終戦に至るまで、国家の大義の前には一個人の生命が軽んじられる気風が受け継がれてきた理由がわかる。「義経千本桜」や「菅原伝授手習」や「仮名手本忠臣蔵」などのどれをとっても、「お上」のためにはわが子の首を犠牲にしてでも忠節を尽くすべしとする公儀の部分と、肉親の悲哀による私情の板挟みという究極のジレンマに翻弄される物語りにこそ、多くの日本の庶民は涙して来たのである。現在の価値観ではとても共感できない異常な感覚ではあるが、かと言って上演を否定することなど論外だ。戦後の一時期はGHQにより多くの演目が上演禁止になったとの話しもあるが、これはこれで歴史ある貴重な伝統芸能の様式美の世界であり、受け継がれて行くべき総合舞台芸術であることに違いはない。来る度に外国人観光客の姿も少なからず目にするが、彼らの目にその様式美は鑑賞できても、公儀のための子殺し=卑属殺人〈filicide〉という残酷な物語りはどの様に見えているのだろうか。その題名も「女庭訓」、即ち女性が手本とすべき「教科書」なんだから、現代から見れば酷い話しである。

江戸中期に初演された「妹背山女庭訓」も、物語りの舞台こそ7世紀半ばの大化の改新(乙巳の変)期の蘇我蝦夷・入鹿親子 vs 天智天皇・藤原鎌足という比較的古代に設定はされていても、肉親の忠義の死による勧善懲悪という骨子は同じである。前半で蝦夷が相当な悪人として描かれるが、途中でその子入鹿がそれを上回る大悪人として入れ替わる。鹿の血により生を受けた入鹿がそれにより霊力を持つ魔物として天皇にとって代わろうとし、またそれにより力を失い滅ぼされるという物語はホラーSF風で面白いが、それはこの後の第四段目と五段目で展開される。この日観たなかでは二段目の芝六親子による鹿殺しの場面がこれに繋がるものとして描かれる。史実としては定かではないが、謎の多い蘇我氏と天皇家の確執・クーデタ未遂をテーマとしている部分も、古代史のファンとしては面白いものがある。実は天智と鎌足による乙巳の変もクーデタではないかと思えるところもなきにしろあらずだが、こればかりは確証もなく憶測の域を出ない。

この日は二段目の万歳の段で出る予定だった豊竹咲太夫が病気休演のため竹本織太夫の代演だったが、織太夫もいい声の太夫になって来た。千歳太夫の大音声も健在だったが、後半ちょっとかすれ気味だったような。三段目の「妹山背山の段」では舞台下手側妹山の定高(さたか)・雛鳥親子側に竹本錣(しころ)太夫と豊竹呂勢太夫、上手側背山の大判事清澄・久我之助親子に豊竹呂太夫と竹本織太夫を置き、左右からの太夫の声に聴き惚れた。錣太夫のキッとした後家の部分と子を慮る親心の切々とした感情移入が胸に響くところがあった。左右両側から太夫と太棹に挟まれての鑑賞は今回が初めての体験だった。席が7列目のほぼ中央だったので、理想的だった。それにしても毎回観ては同じように思うが、本当に人形には魂が宿っているようで感心する。

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マレク・ヤノフスキ指揮NHK交響楽団演奏「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の演奏会形式二日目を鑑賞して来た(東京文化会館大ホール、4月9日日曜日、午後3時開演)。

初日のを含め、すでに多くの感想がネットやSNSで見られるかと思うが、当ブログでは当日の夜に速攻で感想を書けないし、翌月曜日も仕事なので無理、ようやく今日火曜日になって感想を書ける時間が取れた。終演が午後8時を過ぎるため日帰りは諦め、東京駅近くで一泊し翌早朝の新幹線で帰った。

ヤノフスキの指揮は今まで何度か聴いていて、過度の主観や情緒は盛り込まず、ストレートな音楽表現をするタイプの巨匠だとは思っていたが、この日の「マイスタージンガー」は予想を上回る早いテンポでの演奏で、溜めらしい溜めがほとんど感じられない即物的な演奏の見本のような印象だった。いくらなんでも、もうちょっとはこの曲の情緒性を感じさせてくれる”間”があればな、というのは正直な感想。もっとも、この曲が午後3時開演で8時頃終演予定、という段階である程度のことは予想出来てはいたが、いざ実際に演奏に接するとそのさらりとしたテンポと溜めのなさには少々戸惑った。2回の休憩を考えればどう考えても普通は2時開演が妥当だろう。正味演奏時間は4時間と少々ということになる。

ただ、N響の演奏は精緻で分厚く重厚感もあり、じゅうぶんな聴きごたえがあった。ゲストコンマスはライナー・キュッヒルさん。向かい側のヴィオラの村上さんがノリノリでよかったなぁ。弦も艶やかでふくよかだし、木管も各楽器すべて美しかった。金管も分厚く迫力じゅうぶんで言うことなし。しかしいつもながら、キュッヒルさんの音はビンビン飛んでくる。

バイロイトでは2017年にヤノフスキの指揮で「パルジファル」を聴いているが、この時はハルトムート・ヘンヒェンの急な代役だったので、そこまでスピーディな演奏ではなく、いたってノーマルなテンポだったと記憶している。

今年は先月(3月)に沼尻竜典指揮京都市交響楽団の演奏でびわ湖ホールの「マイスタージンガー」を二回すでに聴いているが、自分とほぼ同世代の沼尻氏の演奏(午後1時開演、7時過ぎ終演)よりも、その親世代の84歳の巨匠の演奏のほうが、全体で40分以上は早い演奏だったことを考えると、驚異的なテンポであることがよくわかる。溜めや”間”は少なかったが、豪勢な演奏であったことは間違いない。

歌手で素晴らしい演奏を披露したのはポーグナーを歌ったアンドレアス・バウアー・カナバスで、圧倒的な低音を響かせてくれた。それよりも出番は少ないが、フリッツ・コートナー役のヨーゼフ・ワーグナーもよく響く低音で存在感があった。ダーフィト役のダニエル・ベーレもていねいで説得力のある歌唱でよかった。この人のダーフィトはバイロイトの同役でも聴いている。ヴァルター・フォン・シュトルツィング役のデイヴィッド・バット・フィリップと言うテノールははじめて聴いたが、なかなか声量はあり、全体としては好印象ではあるが、部分的に強弱にムラがあるかと感じた。それにしてもあごが外れるんじゃないかと思うくらい大きく口を開けて歌っていた。板についたベックメッサー役でこの日満場の喝采を浴びていたのは、やはり何度も来日して日本でも人気のあるアドリアン・エレートだった。ベックメッサーを世界各地で披露している大ベテランだけあって、この日は他の歌手が譜面を見ながら歌うなか、彼ひとりはほぼ譜面なしで表情たっぷりの演技をしながらの演奏だったのだから無理もない。ただ、3幕の前半でやや声量がダウン気味で心配なところがあったが、さすがに歌合戦での最後のソロは十分に本領を発揮してくれたので安堵した。実は2017年の暮れから18年の正月にかけてドイツ・ウィーン各地を巡った帰りの飛行機で、通路を隔てた隣りの席がアドリアン・エレートで心ときめいた思い出がある。もっとも終始アイマスクをしてヘッドホンを着けて寝ているようだったので、周囲とのコミュニケーションは自ら遮断しているようだった。入国後早々に新国立の「こうもり」のアイゼンシュタイン役の予定が入っていた。

主役のハンス・ザックス役のエギルス・シリンスは、もう何度も各地のワーグナー演奏で聴いてきたが、いくら演奏会形式とは言えこんなに譜面にかじり付きで余裕がないシリンスははじめてだ。まだザックスをまるで消化できていないらしく、表情も乏しくまったく説得力のない主役だった。ところどころヴォータンばりの深い美声が響くこともあったが、3幕では一時、完全に譜面から目が泳いでいるように見受けられるような箇所もあった。いつもはもっといい演奏で良い歌手なのだが。逆に言えば、それだけこの役は難役だということだ。どうやら今回がザックスとしては初役のようだ(→マネジメント会社サイト記事)。ヨハンニ・フォン・オオストラムのエファ、カトリン・ヴンドザムのマグダレーナは、ともに良い演奏だった。

東京オペラシンガーズの合唱は、演奏会形式とは言え面白みがなく、迫力もあまりなかった。一幕でのダーフィトのからかいの場面では数名の徒弟役が舞台上手側で立ちっぱなしで歌うが、表情や動きがないので全く躍動感がなく面白みがない。やはりこうしたところは最低限の演技や表情が欲しい。親方のマイスタージンガー役達もやはり下手側にきれいに整列
しての歌唱でまるで印象に残らない。第三幕第5場、ペグニッツ河畔の野原で歌合戦のお祭りが始まるところも、本来あるはずの踊りやからかいの動きもなにもないので、楽しさが無い。演奏会形式なので仕方はないが。それにしても、舞台奥側に整列した合唱もお硬い印象ばかりで艶もなくまるで迫力に欠ける。これが本当にエヴァハルト・フリードリッヒの指導?彼もあちこちに飛び回りすぎで、たまに”はずれ”のこともある。三澤洋史さんのほうがよかったんじゃないの?まぁ、彼は新国立の制約があるのか。

ついでに三幕で言えば、ベックメッサーがザックスの部屋に忍び込んでくる際も音楽の演奏のみで、エレートは歌の箇所までまったく出てこない。さらに言うと二幕でザックスがベックメッサーの歌を妨害する場面では、舞台下手に打楽器の竹島さんがみかん箱のような木箱に陣取って、ザックスの歌に合わせてハンマーでこの木箱を叩いていた。今まで何度も「マイスタージンガー」を観て来たが、ザックスの靴叩きを正式な楽団員が「譜面を見ながら演奏」するのははじめて観た。ベックメッサーハープは舞台正面のやや上手側(ヴィオラの手前あたり)。字幕は舩木篤也氏。平易でわかりやすい字幕。三幕「迷妄」のモノローグでは「妄念」となっていた。「妄念」は仏教用語らしいが。

終演後は盛大なブラボーの声がようやく戻り、最後は稀に見るスタンディングオベーション。みんな長い間この時を待ち望んでいたのだ。素晴らしい演奏を聴かせてくれたマエストロとN響、歌手の皆さんに感謝。しかしやっぱりこの曲の良さと面白さは完全な演奏会形式では難しいこともあらためて実感。

2013年からのこの10年間で、今回を含めて計8回の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の実演を聴いて来た。

①2013年ザルツブルク音楽祭 D・ガッティ指揮 ウィーン・フィル演奏 ステファン・ヘアハイム演出、②2017年バイロイト音楽祭 P・ジョルダン指揮 バリー・コスキー演出、③2018年バイロイト音楽祭 P・ジョルダン指揮 バリー・コスキー演出、④2019年ベルリン国立歌劇場 D・バレンボイム指揮 アンドレア・モーゼス演出、⑤2019年ザルツブルク復活祭音楽祭 C・ティーレマン指揮 シュターツカペレ・ドレスデン演奏 イェンス・ダニエル・ヘルツォグ演出、⑥2023年びわ湖ホール 沼尻竜典指揮 京響 粟國淳セミ・ステージ形式演出、⑦2023年びわ湖ホール 沼尻竜典指揮 京響 粟國淳セミ・ステージ形式演出、⑧2023年東京春音楽祭 M・ヤノフスキ指揮 N響演奏会形式

以上、ワーグナーファンとしては珍しいタイプがこの10年間に巡礼した「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、A decade of Die Meistersinger von Nürnberg の記録。

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指揮:マレク・ヤノフスキ
ハンス・ザックス(バス・バリトン):エギルス・シリンス
ファイト・ポークナー(バス):アンドレアス・バウアー・カナバス
クンツ・フォーゲルゲザング(テノール):木下紀章
コンラート・ナハティガル(バリトン):小林啓倫
ジクストゥス・ベックメッサー(バリトン):アドリアン・エレート
フリッツ・コートナー(バス・バリトン):ヨーゼフ・ワーグナー
バルタザール・ツォルン(テノール):大槻孝志
ウルリヒ・アイスリンガー(テノール):下村将太
アウグスティン・モーザー(テノール):髙梨英次郎
ヘルマン・オルテル(バス・バリトン):山田大智
ハンス・シュヴァルツ(バス):金子慧一
ハンス・フォルツ(バス・バリトン):後藤春馬
ヴァルター・フォン・シュトルツィング(テノール):デイヴィッド・バット・フィリップ
ダフィト(テノール):ダニエル・ベーレ
エファ(ソプラノ):ヨハンニ・フォン・オオストラム
マグダレーネ(メゾ・ソプラノ):カトリン・ヴンドザム
夜警(バス):アンドレアス・バウアー・カナバス
管弦楽:NHK交響楽団
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩
音楽コーチ:トーマス・ラウスマン

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10日ほど前(3/16)のNHK-BSプレミアムで映画「バグダッド・カフェ」が放送されていたので録画しておき、これを鑑賞した。オリジナルの映画は1987年西ドイツ時代に制作されたドイツ映画で、日本では1989年3月に公開されたと言うことなので、ベルリンの壁崩壊直前のことだ。公開当時、日本では数々の雑誌や新聞、TVなどで取り上げられていたので、その題名と上の奇妙なポスター画像くらいは知っていたが、当時はあまり関心がなかったので今回初めて観るまで、内容もまったく知らなかった。当時はてっきり、イラクのバグダッドになにか関連のある映画なのかとすら思っていたが全く関連はなく、ロサンゼルスとラスヴェガスの中間くらい、アメリカのモハヴェ砂漠のど真ん中にある寂れたカフェとモーテルの「バグダッド・カフェ」がこの映画の舞台なのだった。そう言えば、主題歌の「コーリング・ユー」と言うのも当時はよく耳に入ってきていたが、今回BSで観てようやく歌と映画がつながった。幻想的なイメージの主題歌と同じように、幻想的(fantastic)で不思議な映像美が強烈に印象に残る、とても良い映画であることを、今回はじめて観てよくわかった。出て来る配役もみなアクの強い個性が印象に残る人ばかりだ。こんな素敵な映画を30年以上も知らずにいたとは不覚だった。きっとマニアックなファンがたくさんいるんだろうと思う。ファンな方々には今さらながらの鑑賞記となるが、以下ネタバレでざっとあらすじを記しておこう。

今回録画で観たのは2008年の「ニュー・ディレクターズ・カット版」。パーシー・アドロン監督と言う名前を見て、ベルリンの高級ホテルの「アドロン」と関係があるのかと思ったら、やはりホテル・アドロンの創業家の一族らしい。原題は「Out of Rosenheim」。

映画はモハヴェ砂漠のど真ん中のハイウェイ脇に停車したボロいレンタカーの陰でドイツ人観光客の中年夫婦が用を足しているところから始まる。夫婦ともに不機嫌で、妻らしき女性が地図を手にディズニーランドまで何キロとかラスヴェガスまで何キロとかブツブツ呟いているところから見て、夫婦とも地理に不案内で、とんちんかんな方角の砂漠のど真ん中に来てしまって夫婦喧嘩をしているようだ。その挙句に妻はトランクからスーツケースを取り出して車を降りてしまい、砂漠の道を当てもなく一人てくてくと歩きはじめる。こともあろうか夫のほうも、砂漠のど真ん中に妻を一人残して荒っぽく車で走り去ってしまう。夫婦の地元バイエルンの Rosenheim のステッカーが貼られた黄色い魔法瓶ひとつだけ道端に残して。

アメリカの荒野を主人公がひとりテクテクと歩くところから始まるのは、ヴィム・ヴェンダースの「パリ・テキサス」を彷彿させる。あの映画も印象に残るいい映画だった。あの時も「テキサスのパリ」という地名の引っかけが題名だったが、今回の Bagdad もどうやら実際にカリフォルニアにある地名を引っかけているようなので、「バグダッド・カリフォルニア」と言ってもいいかも知れない。ただし映画で舞台になっている「Bagdad Cafe」は、同じカリフォルニア州東部の旧ルート66上とは言っても、実際の Bagdad(現在はゴーストタウン) からは西へ50マイルほどの Newberry Springs という街にあった「The Sidewinder Cafe」と言うカフェで撮影されたとのこと。映画のロケ場所となって以降は、映画と同じ「Bagdad Cafe」の名称で現在も営業しているらしい。いまはグーグルマップなどですぐにわかるので便利になったものだ。ちなみに Rosenheim はミュンヘン近郊の街。

で、この太った中年ドイツ人女性の名はジャスミン(ヤスミン)・ムンシュテットナーで、マリアンネ・ゼーゲブレヒトという女優が演じている。金髪に碧い目の典型的なドイツ人女性らしいタイプなのだが、あいにくの中年太りなので、美しいとか妖艶だとかと形容できそうには見えないのだが、独特の雰囲気を醸し出している。夫のムンシュテットナー氏役のハンス・シュタードルバウアーは冒頭のレンタカーの部分とそれに続くバグダッド・カフェでコーヒーを注文する場面のわずかしか出ていないが、ぞんざいな口調と態度の、禿げ頭で中年のいかにもドイツ人男性らしい雰囲気がよく出ていて印象に残る。車で大喧嘩をして妻をひとり砂漠に置き去りにしたものの、やはり気になってかこの「バグダッド・カフェ」 に妻を探しにやって来る。店にはネイティヴ・アメリカンでウェイターのカフエンガ(ジョージ・アギラー)がひとりカウンターにいるが、ビールを注文してもコーヒーを注文しても、ただけだるそうに「ない」と答えるばかり。そこに、脇にいたサル(この店の女主人ブレンダの夫、G.スモーキー・キャンベル)が、先ほど道端で拾ったばかりの黄色い魔法瓶からコップにコーヒーを注いでそっとこの客に差し出す。ようやくコーヒーにありついたムンシュテットナー氏は「Gut Kaffe」などとドイツ語と片言の英語で二言、三言やりとりをし、機嫌よくそそくさと店を出る。もともとは自分が淹れたコーヒーを、そうとは知らずに飲んだのだから、何のことはない。後の場面でも出て来るがドイツ人夫婦が好むこのコーヒーはアメリカ人には苦すぎるほど濃く、ジャスミンらにとってアメリカンのコーヒーは「茶色いお湯」と言うほど薄くて水くさい。冒頭のこの場面だけでも、カフエンガとサルのふたりが醸し出すさびれたコーヒーショップの退屈でアンニュイな雰囲気と、それとは反対の無骨で滑稽なドイツ男とのやりとりが対比的で面白く、惹きこまれる。

そこにこの店の女主人のブレンダ(CCH パウンダー)が、どぎつい口調で口やかましくあれこれと文句を垂れ流しながら入って来る。とくに役立たずの夫のサルには我慢がならないといった感じで、この日も修理を頼んでいたコーヒーマシーンを街から持って帰るように言っていたのに、夫はそれを忘れて帰って来た。「What's that on your shoulders?!」(肩の間の)頭は飾りか!このぼんくら!うすのろの夫への強烈な罵り言葉が続く。妻からの罵倒についにはサルも耐えかねて車で出て行くが、ブレンダは「とっとと出てけ!」と空き缶を投げ散らかす。家を追い出されたサルは、かと言って行くあてもなく、店の遠くに車を停めては双眼鏡で妻が今日もキレて喚いているのを見て、「OH、ブレンダ、ブレンダ…」と愛おしげに呟き続けている。夫は役立たずで息子のサロモもピアノの練習ばかりで役に立たず、おまけにサロモには赤ん坊まで出来ていて、泣き喚いている。自分ばかりがあれもこれも忙しく切り盛りしているが、店は変人の常連客がわずかばかりで、一向に儲かっていない。あれにもこれにも当たり散らしては、生活に疲れ切ったかのように店前のパイプ椅子にしゃがみ込んでしまい、目からは大粒の涙が流れている。「コーリング・ユー」のメロディが切なく重なる。

そんな涙の向こうから、埃まみれの道をスーツケースをひいて歩いてやって来たジャスミンの姿が目に入る。「MOTEL」の看板を見てやってきたらしい。泊まる客など滅多にいない安宿「バグダッド・カフェ」に客が来たとあって、店主のブレンダのほうが「本当に泊まるの?」と戸惑うばかり。とりあえず宿帳に記入をと用紙を出すが、机は散らかっていて埃がびっしり。チェックインを済ませて部屋に入ると、壁には二つの太陽の光(幻日)を描いた絵が飾ってある。それを見たジャスミンは不思議な光に包まれる。描いたのは、今しがたすれ違ったルディ・コックス(ジャック・パランス)というカフェの常連で、近くに停めたトレーラーハウスに寝泊まりしている。上着を脱いでひと段落したジャスミンが荷物を開けると、中身は夫のものばかり。夫のと同じスーツケースだったので、かばんを取り違えたらしい。

翌朝、ブレンダが部屋の掃除に入ると、あるのは髭剃りや男物の洋服ばかりでジャスミンのことを怪しみはじめる。電話で保安官に不審者ではないかと相談すると、保安官のアーニーがパトカーで駆け付ける。アーニーもネイティヴ・アメリカンだ。保安官は「ルーティン」な調査として、ジャスミンのパスポートと帰りの航空券など必要最低限の事項をチェックして、特に異常なしとして部屋を後にする。「なんでもっと調べないの」と食い下がるブレンダに保安官は、「旅行者がどんな服装であっても法的にはなにも問題はない。ここは自由の国のアメリカだ。ゴジラのコスプレでも問題はない」と受け流す。

その翌日ブレンダが街に買い物に出た隙に、時間を持て余したジャスミンが、頼まれもしないのに勝手にカフェの事務所の棚や机上のものを整理し、徹底的に掃除をしはじめる。この映画のポスターで最もよく目にする、バグダッド・カフェの給水塔をモップで掃除している写真はこの時の一場面で、ごく一瞬の短いシーンだ。この際の映像は、掃除をし始める時のジャスミンは白いシャツ姿なのに、店の外の給水塔や看板をモップで掃除しているのはなぜか帽子に上下揃いのきちんとした旅行者姿で、よく見ると不思議でキャッチーな挿入映像なのだ。街から帰って来てそれをみたブレンダは当然激怒して、客のあんたがなんで勝手にそんなことをするんだと怒鳴りまくる。ジャスミンはただ一言、「喜んでもらえるかと思って…」と答えるのがやっと。その表情が弱々しい。「きっちり元通りに直せ」と言われてジャスミンが仕方なく直し始めると、ブレンダは諦めたように「もういいよ」と言って気を取り直す。

そのうちに、ジャスミンの性格の良さにブレンダの息子のサロモや娘のフェリスが懐きはじめ、サロモの赤ん坊もよく懐く。日々の忙しさに苛立つブレンダにはそれも気に食わず、ついカッとなって「何様のつもりだ!どうせなら自分の子供の世話をしたらどうだ!とっとと出て行け!」と言い放つ。これに対しジャスミンは、自分には子供がいないと答える。ブレンダはドアをバタンと閉めたかと思うと、しばらくしてまたドアを開け、思い直したかのように「悪気はなかった」と謝る。その後、ジャスミンはブレンダとバグダッド・カフェの「家族も同然」の常連たちに受け入れられはじめ、店の手伝いもし始める。夫の荷物のなかにあった「手品セット」の練習をし徐々に上達して行くと、お店でこれを披露すると人気が出始め、「ショーが楽しいお店」としてトラックドライバーたちにクチコミで評判が広がり、お店が繁盛し活況を呈し始める。ブレンダはジャスミンを信頼し始め、ジャスミンはお店の人気者になる。ローゼンハイムでの夫との無意味で味気ない暮らしから解放され、ジャスミンは砂漠のバグダッド・カフェで生きる意義を見出す。コックスはジャスミンに親しみを感じ、彼女に画のモデルになって欲しいと頼む。はじめは着飾っていたジャスミンは、次第に大胆なポーズも苦にしないようになって行く。

バグダッド・カフェの個性的でちょっと変な常連客のなかには、もうひとり女タトゥー彫り師のデビー(クリスティーネ・カウフマン)がいて、カフェの敷地の一角を借りてタトゥーの店をやっている。美人の彫り師なのでトラックドライバーに人気があるらしいが、客としてカフェにいる場面ではひと言もしゃべることがない。ジャスミンらの人気でお店が繁盛してみんなが仲良くなって来たかと思うと、ある日突然荷物をまとめてここを出て行く。仲間の客やブレンダの家族らがどうしてかと引き留めると、「too much harmony」(賑やかすぎるのよ=又は「仲が良すぎるのよ」とでも訳せるか)とだけ言い残して去って行く。ほかにある日突然、トラックの土煙のなかから忽然と現れた若いバックパッカーの青年エリックは、日が暮れるまでブーメランで遊んでいる。砂漠の夕暮れ時の美しい映像に、クロマチックハーモニカの哀愁を帯びた音色が絶妙にマッチしていて実に印象的だ。

そんなある日、保安官のアーニーが再び店に現れ、今度はジャスミンの観光ビザの期限が切れたので、彼女の帰国を促す。仕方なくジャスミンが帰ることになってしまった後のバグダッド・カフェには閑古鳥が戻り、ブレンダのこころにぽっかりと穴が空く。どれだけ時間が経ったかはわからないが、ある日突然、バグダッド・カフェの電話が鳴り、ジャスミンが再び姿を現す。大喜びで抱き合うジャスミンとブレンダ。店は再び活気を取り戻し、ここからの映画はまるで別物のミュージカルタッチのように歌と踊りで進行して行く。サルは戻り、ブレンダとよりを戻す。コックスは今度はいつまでジャスミンがここに居ることが出来るか気がかりだと伝え、それを解決するためにも米国市民の自分と結婚をしてくれないかと求婚する。ジャスミンが、結果はすでにわかっているかのように「ブレンダと相談するわ」と笑顔で答えるところで映画は終わる。

前半の砂漠のなかのカフェとモーテルの寂れた雰囲気とブレンダのヒステリックな騒々しさが支配的な映像と、後半のまるでミュージカル調の映画のようなつなぎ合わせ感が無理やりに感じられなくもないが、空虚さと人との繋がりの温もりが砂漠の映像美とともに対比的に描かれていて印象に残る、いい映画だった。



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コロナのマスク規制緩和後としては個人的には最初となった、びわ湖ホールでの沼尻竜典指揮京都市交響楽団演奏のマーラー交響曲第6番「悲劇的」。今月初旬に聴きに行った同ホール、同タッグによる「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の時にはまだ場内アナウンスで「ブラボーはお控えください」と案内していたが、今回はその表現が微妙に変わり、「ブラボーの際にはマスクをご着用ください」というアナウンスになっていた。このわずかな変化に「ようやくか」と気づいた観客はどの程度いただろうか?実際、終演後は盛大な拍手とともにブラボーの声もようやく聞こえるようになった。それにしても、ここびわ湖ホールでの沼尻人気は大変なもので、カーテンコールはいつ果てるともなく長い間続いた。ちなみに上演中、観客はやはりマスクは着用。

話しをはじめに戻すと、この日の開演は午後2時の予定だったが、定刻を過ぎてしばらくしても団員が出て来る気配がない。すると沼尻氏が舞台袖からつかつかと出て来たかと思うと、開演が遅れている理由を自ら説明し始めた。それによると、窓口で当日券の購入をする客がまだ数人いて、発券にいましばらく時間を要しており、せっかくなのでそれらの客にも最初から聴いてもらいたい。と言うことで「その間、しばらく喋って場をつないでおいてくれ」とホール側から頼まれたので、こうして説明に出てきました、と言うようなことを、例によって江戸落語の噺家のような訥々とした口調で話し始めた。声も話し方も飄々としていて、この人はきっと落語が好きなんだろうな、と思わせる。説明の内容は、第2楽章がスケルツォで(調性と重々しさが第1楽章に似ている)第3楽章がアンダンテで演奏します、第4楽章のハンマーが1回か2回かは聴いてのお楽しみに、終演後は深い余韻を自分たちといっしょに味わってほしい、みたいなことだった。ハンマーの話しでは、以前にサントリーホールでこの曲を演奏した際、勢い余ってハンマーを後ろに大きく振り上げ過ぎてしまい、後方の壁に傷をつけてしまったなどと、笑いを誘っていた。そのようなことで、演奏開始は約15分ほど遅れで始まった。

まずは第1楽章は、重すぎず遅すぎず、シャープすぎない感じから始まった。ショルティとシカゴの重厚かつ戦闘的な印象のCDを聴き慣れているので、それに比べるとややさらりとした印象。この曲はマーラー交響曲の中でも、スネアドラムが特に重要な位置を占める曲であり、実際、よく引き締まった歯切れのよいリズムの小太鼓の音が迫って来るのだが、なぜかどこから演奏をしているのか、最後段の打楽器セクションを見ていてもわかりづらい。よく見ると上手から二人目くらいに小柄な女性があまり大きな動きをすることなく座っていることがわかるのだが、小柄なので譜面に隠れて肩から下がほとんど見えない。なので、こちらの席(一階中央O列付近)からはほとんど微動だにせず、じっと座っているようにしか見えないのだ。にも関わらず、演奏の要のスネアの弾けた音がよく響いている。これは、実際若い頃にドラムをやっていた自分からは驚くべきことで、この曲のように打楽器が要になるような曲だと、つい気合いが入ってしまって力んでしまい、上半身全体でリズムを取りたくなって、結構身体が大きく動いてもおかしくないのだ。それがこの女性奏者(福山直子氏)は、上半身が微動だにせず、完全に手首のスナップだけで演奏をしている。なんだか他人とは異なる視点で妙に感心していたが、福山さんはこの日大忙しで、上手側の舞台袖(バンダ)のカウベルと低く歪んで不気味なチューブラー・ベルの音ような打楽器も担当し、舞台最後段自席のスネアの位置と舞台袖とを何度も行ったり来たりしていた。最終楽章のハンマーも彼女が担当。カウベルは、もう少しヴァリエーションとボリュームがあってもよかったと思う。ちょっと控えめに聴こえた。それにしても、以前、数年前に大阪フィルで同じ曲をフェスティバルホールで聴いたが、打楽器奏者がこんなに何度も舞台袖を行ったり来たりはしていなかったと思う。人数の問題かとも思うが、それでも打楽器奏者だけでも7人の大所帯だ。トライアングルやシンバルまで3人で鳴らしたり、鞭やルーテと呼ばれる一種の竹ブラシのようなものに鉄琴、シロフォン、ティンパニ2、大太鼓、極め付きは他ではまずお目にかからない大型の「ハンマー」とその叩き台!この日は2回、この異様な効果音の出番があった。先に挙げた大フィルの時のハンマーはもっと大きく、いかにも工事現場で使っていそうなものだったし叩き台もちょっとした貨物の木箱程度の大きさだったが、今回のハンマーはそこまでではなく、やや大きめの木槌ていどのもので、その台もギターの小型アンプ程度の大きさだった。打楽器だけで長々となったが、マーラーがここまでこだわった打楽器についてまず触れておかないわけにはいかない。ほかにハープ2、チェレスタ1。

第2楽章のスケルツォも複雑で異様な転拍子の多用で、並みの技量のオケではなかなか演奏が難しい曲だろうが、さすがに京響はビクとも乱れることなく素晴らしく聴きごたえのある演奏を聴かせてくれた。緩徐楽章の第3楽章も単に美しいだけではなく、マーラー特有の複雑さがある。終楽章は音の氾濫のような超巨大な構成と複雑な和声、戦闘的な展開のなかにマーラー特有の抒情性も窺え、最後はこと切れたかのような静寂で終わる。このような難曲を破綻なく聴かせてくれた沼尻&京響の技量にあらためて脱帽。欲を言えばサウンドにもう少し分厚さがあれば言うことなしだが、これだけハイクオリティな演奏が身近なびわ湖ホールで聴けてじゅうぶん満足。

びわ湖での沼尻&京響のマーラーシリーズはなんと最初に8番「千人の交響曲」からスタート(2018年9月29日)!続いて4番(2020年8月23日)で、今回の6番は第4弾となる(第3弾の1番と10番は21年9月18日にあったようだが、見落としていた)。次回第5弾は8月26日で、演目は第7番「夜の歌」と続く。今後の展開が楽しみ。


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3月2日(木)・5日(日)、びわ湖ホールでの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を鑑賞してきた。沼尻竜典氏は昨年度でびわ湖ホール芸術監督を勇退し、これがびわ湖での最後のオペラ公演となる(コンサートは3月19日のマーラー6番が最後)。今回のパンフレットの巻末には、沼尻氏が2007年にツェムリンスキーの「こびと」を取り上げて以来のオペラ全作が写真とキャスト・スタッフ名とともに紹介されていて、いつになく分厚いものとなっている。

さて今回の「マイスタージンガー」、沼尻氏と京響・びわ湖ホールが毎年1作づつ取り上げてげてきたワーグナーの主要10作品公演の掉尾を飾るにふさわしい大作楽劇である。主要出演者、合唱ともに多く、上演時間も1作で5時間を超え、内容としても単にワーグナー唯一の喜劇だからと軽く見ていては到底この作品を理解したことにはならないメッセージ性の強いものだ。ただ、全編にわたって途切れなく美しく甘美なメロディとふんだんに韻を踏んだ美しい詩(Dichtung)に溢れ、5時間の時を忘れさせる力を持つ作品であり、歌手や演奏者にも高度なレベルを要求する大作でもある。昔なにかの本でワーグナー作品の紹介を目にした際に、この楽劇を「ワーグナー唯一の喜劇なので、初心者におすすめ」などと書かれているのを見て、「馬鹿を言うな!このライターは実際に作品を観てものを書いているのか!」とあきれたことがある。

できればセミ・ステージ形式でなく本格的な舞台上演を望みたかったが、歌手たちは衣装をつけメイクも施し、演技もしていたので、ないのは舞台上の大道具だけだったが、それもCGをうまく使ってそれらしい雰囲気を醸すことには成功していた。第一幕の序曲が終わった後のカタリーナ教会での合唱の場面など、広さと奥行き感のある教会内部の雰囲気がCG映像でなかなかうまく表現されていた。ただニュルンベルクの街の描写は城塞の屋根やセバルドゥス教会のと思しき尖塔だけ、第三幕のザックスの書斎は内部の梁だけなど、変化に乏しかった。舞台中央にオケを載せ、前方の普段はオケ・ピットの上にステージを増設し、歌手はそこで歌う。合唱は舞台後方。音響的な感想を最初に言うと、舞台上に大がかりなセットがなにもなくて「がらんどう」に近いぶん、歌手の声やオケの音を反響させるものがなにもなくて、かなり音がデッドに感じられた。セミ・ステージ形式でもなんでもよいが、舞台上部の反響要素は大事にしてほしい。

歌手では黒田博のベックメッサーが圧倒的な演技力と歌唱で際立っていた。身体によくフィットしたグレイのスーツに蝶ネクタイのセンスの良い出で立ち、丸眼鏡に髪を短く刈り上げた姿はどことなくTVでたまに見る美術評論家のY田T郎氏を思わせるコミカルな印象。リュート演奏の際の分身となる京響ハープ奏者の松村衣里さんとの息もピッタリで、カーテンコールでは黒田氏が松村さんを手招きして、ともに盛大な拍手を受けていた。なんでも、びわ湖ホールのHPやツイッターなどの情報によると、このベックメッサー・ハープという少し特徴的なハープは松村さんが個人的にドイツの工房に発注して取り寄せた完全に個人所有のもので、こうした注文はアジア方面では初めてだとのことだ。なので、二幕目の窓下でのセレナードと3幕目の歌合戦での「鉛のジュース」の滑稽だが重要なベックメッサーの歌では息もピッタリで非常によく出来ていたし、黒田氏の演技力もいかにも板に付いているという感じで抜群だった。

もちろん、主役ハンス・ザックスの青山貴も深みのある歌唱で安定した歌唱だった。老けメイクはしていても、今まで観て来たなかで一番童顔のザックスだ。低音ではザックスだけでなく、大西宇宙(たかおき)のフリッツ・コートナーも堂々たる「タブラトゥールの歌」で大いに聴かせてくれたうえに、相当自由奔放な演技力と表情で、思い切りこの大役を楽しんでいるように見えた。恵まれたルックスにこの低音と歌唱力、演技力で、今後が楽しみな歌手だ。夜警の平野和(やすし)も深々とした低音で適役に思えた。意外だったのはダフィトの清水徹太郎で、この人はびわ湖ホール声楽アンサンブル出身でこの劇場の常連だが、今まで聴いてきた役では同じテノールとは言っても「カルメン」のドン・ホセのような割りとストレートな歌唱で、それはそれで力強く歌唱力のある歌手だと思っていた。ところが、ダフィトはどちらかと言うともう少し軽めな歌唱に、部分によっては伸びと張りのあるところも求められ、なによりも個性派的な演技力も求められる、案外声のコントロールが難しい役柄である。第一幕での歌手試験の説明のモノローグなどは最初の長い聴かせどころであり、これがうまくいくとようやく、すんなりとこのオペラに入り込んで行ける。初日はちょっと力みが感じられなくもなかったが、二日目では期待通りのよくコントロールされた歌唱でこの難役をうまく聴かせてくれた。福井敬のヴァルターは終始力強い声で乗り切っていたが、やや一本調子に感じる。初日は第三幕での肝心要の ”Morgenlich leuchtend in rosigem Schein," のモノローグでは一部分完全に落ちてしまっていた。

女声二人、森谷真理のエファ、八木寿子のマグダレーナともによく通る声と安定した歌唱で大変うまかった。マイスタージンガー役では、斉木健詞が準主役のハンス・フォルツという豪華さ、高橋淳のアウグスティン・モーザーのテノールも際立っていた。初日は席が平土間ほぼ中央の前方だったため、第一幕の最後などは舞台の前方で歌うマイスタージンガーの声量が圧倒的すぎて、舞台中央のオケと後方の合唱がかすんでしまうくらいだった(二日目はバルコン席だったのでいくらか距離を取れ、バランスよく聴こえた。やはり平土間中央の10列目くらいが理想的だったか)。びわ湖ホール声楽アンサンブルを核とした合唱も素晴らしかった。鉄琴の音が表すように、徒弟たちのダフィトとの掛け合いもウキウキと楽しみながらやっているのがよくわかったし、第三幕の "Wach'auf, es nahet gen denTag," の集中を要するところも美しかった。

石田泰尚氏がゲスト・コンマスを務めた京響の演奏は、立派な演奏でこの5時間越の長い楽劇を二日間に渡り、立派に聴かせてくれた。ただし二日目の第三幕のホルンはちょっと雑で荒っぽさが目立ったのは残念。もちろん、ウィーン・フィルやバイロイトで聴くような艶っぽさとダイナミックさ、完全に夢見るような陶酔感までを求めることは土台無理にしても、日本で聴ける「マイスタージンガー」としては、立派な演奏には違いなかったのではないだろうか。沼尻氏の指揮は例によって舞台中央から歌手を背後に見ながらの形だったので、どことなくTVの歌謡ショーのような感じになるのが少し残念。やはりオケはピットで演奏し、指揮者は舞台上の歌手とアイコンタクトを取りながら、一体感を感じさせる演奏をするのが理想だと思う。

思えばこの10年、2013年の夏のザルツブルク(バイロイトではなくて!)音楽祭でのウィーン・フィル演奏(ガッティ指揮)の、ステファン・ヘアハイム演出の夢見るような「マイスタージンガー」を鑑賞したのを皮切りに、バイロイト(ジョルダン指揮)、ベルリン国立歌劇場(バレンボイム指揮)、ザルツブルク復活祭音楽祭(ティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデン)と、立て続けに極め付きの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を現地で鑑賞し続けてきた。ワーグナーと言うと、大抵は「指環」4部作に最大の比重を置くファンがほとんど(だと思う)のなか、単作で5時間を超える「マイスタージンガー」を最初に挙げる自分はやや変態かもしれない。それもこの5時間中、1秒も退屈を感じると言うことがない。重度の「マイスタージンガー」狂であることを自覚している。しかしその遍歴もこれが仕上げになるだろうか。まずは健康であり、体力があることも重要だ。前述したように、出演歌手も多くオケにも高度な集中力を要求するこの大作オペラを、理想的なクォリティで上演するのは並み大抵ではない。内容的にも、派手でこけおどしな他の大作オペラとは一線を画している。演奏者だけではなく鑑賞者にも、ある意味、信奉者、崇拝者であることを求められる作品ではないだろうか。もちろん、そんな聴き方をしているのは多数ではないかもしれない。とは言え、またどこかで上質の「マイスタージンガー」が上演されれば、ちゃっかり観に行っているかも知れない。

今回の演出ではそこまで取り上げていないのが残念だったが、第三幕最後のハンス・ザックスの大演説は、いままでずっと第二次大戦ドイツのファシズムの陰惨な歴史的記憶から否定的に語られることが多かったが、21世紀となって新たにロシアによるウクライナ侵攻を目の当たりにしたいま、どう解釈すべきだろうか。「外国の侵攻により、ガラクタの文明を植え付けられる」=ロシアの武力によるウクライナのロシア化は、現にいま目撃しているではないか。ウクライナ側の視座からすれば比較的すんなりと理解できてしまわないか。そう考えると、バイロイトのバリー・コスキー演出での「ナチスにより歪曲されたもの」としてニュルンベルク軍事法廷にて「ニュルンベルクのマイスタージンガー」という作品をハンス・ザックスが弁護をするという捉え方も、あながち的外れではなかったのかもしれない。

いずれにせよ、これまでびわ湖ホール芸術監督として上演のクオリティを上げることに専心して来られた沼尻竜典氏と山中前館長には、こころから感謝を申し上げたい。

参照:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のなにがおもしろいのか/その1
   「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のなにがおもしろいのか/その2

沼尻 竜典(指揮)

ステージング:粟國淳
合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル
管弦楽:京都市交響楽団

ハンス・ザックス 青山貴
ファイト・ポーグナー 妻屋秀和
クンツ・フォーゲルゲザング 村上公太
コンラート・ナハティガル 近藤圭
ジクストゥス・ベックメッサー 黒田博
フリッツ・コートナー 大西宇宙
バルタザール・ツォルン チャールズ・キム
ウルリヒ・アイスリンガー チン・ソンウォン
アウグスティン・モーザー 高橋淳
ヘルマン・オルテル 友清崇
ハンス・シュヴァルツ 松森治
ハンス・フォルツ 斉木健詞
ヴァルター・フォン・シュトルツィング 福井敬
ダフィト 清水徹太郎
エファ 森谷真理
マグダレーネ 八木寿子
夜警 平野和

3月2日、5日びわ湖ホール、沼尻竜典指揮京響演奏「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を鑑賞。素晴らしいキャストによる、大変良い公演だった。明朝の予定が早いので、感想・詳細は追って書き込みの予定です。

先日、ちょっとした用事で市役所の支所を訪れた時のこと。この支所には、市民から寄贈された図書類を収蔵している一角があって、いまとなっては少々カビくさいが立派な世界文学全集や画集、図鑑類、郷土史関係の図書や児童書などが収められている。図書館ではないのだが、近隣の住民なら無料で借りられる。プラトンやソクラテスの古典哲学からシェイクスピアやゲーテはもちろん、ホフマンスタールの全集まで揃っているので(まぁ、ホフマンスタールは本で読むよりもオペラの音楽や映像で観ていれば十分だが)、いつか暇な時にでも関心がある本を借りてみるのもよいかなと思っていたところ、ちょうど順番待ちのちょっとした時間に目をやってみると、「東山魁夷画文集」(新潮社)の全集があるのに目が止まった。1969年頃に画家が欧州各地を旅した時の記録が立派な全集になっていて、そのなかの巻7「オーストリア紀行」を手にしてしてパラパラと頁を捲ってみた。そうすると、ウィーンやザルツブルク、ザルツカンマーグートなど、私も幾度も旅をして親しんだ土地のことももちろん紹介されていたので、そのまま受付けで貸し出しの手続きをして借りて帰った。こうした古い書籍類は、自分のようなハウスダストアレルギーのある者には油断大敵で、きれいに埃を払ってからマスクを着けて読まないといやな咳込みで気管がやられるので注意が要る。

私は長らくドイツ・オーストリアのクラシック音楽を愛聴し、欧州各地を音楽を目的に旅をすることがなによりも楽しみだったが、打ち続くコロナ禍とロシアのウクライナ侵攻、それによる世界的な経済への大打撃で、2019年以前の世界とは様相が一変してしまった。コロナ禍はなんとか乗り越えて、ドイツ・オーストリア各地の音楽活動はようやく再開に漕ぎつけているようだが、それに加えての宇露戦争の長期化が世界経済、ことにエネルギーと食料供給に与える影響は甚大で、日本でも電気代や諸物価が高騰の様相を見せている。それに加えてこれは個人的な事情だが、昨夏にコロナではないが少々やっかいな病気で体調を崩し、比喩ではなくなんとかこれを生き延びたということも重なってしまった。少々のケガや病気はいままで何度も経験してきたが、ちょっと今回はやばいな、と感じたのは今回はじめてだった。食事が思うように喉を通らなくなって体重は減り、活力が出ない。仕事はもちろん、本を読んだり音楽を聴いたり、TVを観たり、文章を考えたりといったそれまで当たり前だった日課がまるで手につかない、という状態から脱するのに半年ほどかかった。年末年始あたりからようやく窮地を脱したと感じられるようになり、体調も改善されつつあると実感できるようになった。ようやく音楽を聴いての本来の感動が回復し、本を手に取る気力も戻り始めた。ただ、病が完全に癒えたわけではないので、今までのように気軽に欧州方面まで音楽を聴きに長旅ができるまでになるかと言うと、ちょっと様子を見てみるしかない。やはり健康第一でないと、遠方でのこうした気ままな音楽旅行は難しい。むしろこれまで健康なうちに、欧州各地で色んな音楽旅行を楽しんで来られたのがラッキーだったと思わないといけないかもしれない。

このブログを記録しはじめたのは2013年のザルツブルク音楽祭体験がきっかけで、それ以後に訪れた主にドイツとオーストリア諸都市での体験を記録しているが、それ以前にもブログでは記録していないが、ウィーンやベルリン、プラハ、ブダペストやパリ、ミラノ、フィレンツェ、アムステルダムなど各地を音楽目的で訪れている。音楽が目的ではないが、ハイデルベルクやジュネーヴやローマも美しい思い出の場所だ。ヴォルフスブルクではフォルクスワーゲンの自動車博物館を訪れた。

前置きが長くなった。そのような欧州諸都市での音楽旅行が主だったので、その際に当然現地の美術館や博物館で観る西洋絵画には幾分関心を持ち、もちろん大きな感動を得て来たものだが、これまで浮世絵とか役者絵などは別として日本画というジャンルにはまったく触れ合う機会がなく、また関心も持って来なかった(欧州と縁のあった藤田嗣治の展示会くらいは行った)。なので、日本画のことについては何もわからないし、知らない。東山魁夷という日本画の大家の名前も、NHKの「日曜美術館」の番組予告などで耳にしたり、看板やパンフレット程度でしか見たり聞いたりしたことがなかった。この画文集には、画伯が1969年頃に欧州各地を訪れた時のことが、エッセイの形で綴られ、これに関連する絵画の写真が添えられている。なので、この画伯には「著述家」という一面もある。

野暮ながら経歴を確認すると、画伯は1908年横浜生まれで、東京美術学校(現・東京芸大)を卒業後、1933年にベルリン大学(現・フンボルト大学)に留学。1934年から始まった第一回日独交換留学生として2年間の留学費用をドイツ政府から支給されることになり、11月ベルリン大学文学部美術史科に入学(まさにナチスが政権を取った時期で、戦争直前ではないか)。そして終戦直前の1945年7月に37歳(!)で召集を受け自爆攻撃の訓練を受けるうちに、終戦を迎える。終戦直後は不遇だったが、1947年の第3回日展に出品した「残照」以降評価が高まり、1955年第11回日展出品の「光昏」で第12回日本芸術院賞受賞。1960年には東宮御所、1961年吹上御所「万緑新」、1968年には皇居宮殿の障壁画を担当するなど大画伯となっていく。1999年に90歳で死亡、従三位、勲一等瑞宝章。とまぁ、ここまでは検索の要約。要するに日本を代表する大画伯。日本画に関心がなかったとは言え、今までの不明を反省する。

このような大画伯の旅であるから、同じようなルートを訪ねたとは言っても、あちらは行く先々で現地(今回はウィーン)の大使夫妻および大使館職員らの歓待を受け、大使館付きの車での市内観光であって、こちらは出迎え不要の自由気ままな(大抵は)夫婦ふたり旅。比べるべくもないが、それはそれでずいぶんと楽しかった。上記のような大画伯という経歴はこの本を読んだ後に調べて知ったことで、読んでいる間は(少々読点の多用が気になって、かえって読みづらく感じる部分もあったが)並みのガイドブックよりも要点をわかりやすく伝えていて、「あぁ、この本を読んでから行ったほうがわかりやすかったかも」と思える箇所も多くあった。例えば、ザルツカンマーグートでは同じようにザンクトヴォルフガングに行き、「白馬亭(イム・ヴァイセン・レスル)」で泊まり、隣りの教会のミヒャエル・パッハー(パッヒャー)の祭壇画を観に訪れたが、手もとの解説がドイツ語か英語の非常に詳細で文字の小さいものだったので読む気が起こらず、あまり深い知識もなく、この宗教画の有り難さもよくわからずに「とりあえず見た」で帰ったのはもったいなかった。この本でも、そう詳しくはないが、ポイントをわかりやすく取り上げてくれている。同じ「白馬亭」に大画伯は1969年に泊まり、私はなんと50年後の2019年に泊まったわけだ。湖面に設けられたスパなど当時はなかっただろうが、向こうに見える Sparber のユニークな山容などは画伯も同じものを絵画(「湖畔の村」1971年)に残している。どうやら画伯はザルツブルクからバスでザルツカンマーグートへ移動したようで、途中途中の湖畔の小さな美しい村々を通る度に受ける感動は、凡人の私も同じものだったらしい。ここにいると、軽やかで美しいモーツァルトの調べが、自然に脳裏に浮かんでくるのは誰しも同じのようだ。大絶景パノラマのシャーフベルクについての記述がないが、画伯は登山鉄道には乗らなかったのだろうか。あまりにもパノラマ過ぎて絵画には描きようがないかもしれないが。

ザルツブルクは、画伯が数か月におよぶ欧州旅行の最後に取っておいた最愛の地であったらしい。すべての旅程をこの夏の音楽祭に合わせて立てていたらしく、祝祭大劇場でのカラヤン指揮の「ドンジョヴァンニ」と、サヴァリッシュ指揮とドホナーニ指揮によるモーツァルテウム協会でのふたつのコンサートの鑑賞記を残している。鑑賞記以外のちょっとした散歩や街並みの記述も私の体験と共通の事柄が多く、コロナ禍以前に何度か訪れたこの美しい街の記憶が鮮やかに思い出された。

自然と一体化したこの美しい街の風景を想う時、同じように自然との調和を理想とし、繊細な美意識を至上の価値として重んじてきた日本の街々の風景のほうが乱開発により雑然としていて不均衡であり、逆に思想的には自然との戦いに挑み、それを克復することを課題とする印象が強いゲルマン民族のほうが、より多く自然との調和を生の歓びとしている、と述懐しているくだりは、同じようにこの地域を旅した者として全く同じ感想を抱く。日本は特別なんだ、と言い張っても、場合によってはそれは閉じられた世界での自己満足に過ぎない幻想だということもある。日本画、それも主として風景画をテーマとしてきた大画伯の偽らざる実感であろうと感じられる。

ウィーンに続いてはアイゼンシュタットのことも出てくるが、ハイドンが住んだ家やハイドン廟、エステルハージー宮殿など通り一辺のことが簡単に触れられているだけで、ハイドン・ザールやコンサートのことなどは書かれていない。モーツァルトやベートーヴェンへの愛着はひとしおのものが感じられたが、ハイドンへの関心は、さほど高くはなさそうだ。ちなみにウィーンを訪れたのは夏でオペラ・コンサートはなく、せっかくなのに国立歌劇場や楽友協会その他の音楽スポットについての記述がないのは残念だった。もちろん、大画伯だから別の機会に当然訪れてはいるだろうけど。

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何日か前にライブドアブログ(クラシック)内の投稿で、最新のバイロイトの「リング」の映像がネット上で公開されているとの情報と、その鑑賞記を投稿されているものをお見かけしたので、参考にさせて頂いて早速視聴した。その方の投稿内容によると、ドイツ・グラモフォンの Stage Plus という有料のサイトで登録が必要だが、2週間無料お試し期間というのがあるので、期間内にキャンセルをすれば期間中はどれも無料で視聴することができるとのこと。コースは月額1,900円と年契約19,990円の2種類で、このうち年契約を選択すれば、2週間の期間内はいつでもキャンセルができるらしい。なので、内容を観てみて気に入るようであればそのままでもよいし、またはいったんキャンセルをして月額制に切り替えて気が向いた時にキャンセルしてみると言う手もある。最新のバイロイトの「指環」(コルネリウス・マイスター指揮、ヴァレンティン・シュヴァルツ演出)は、日本では今年2022年にNHKのプレミアムシアターで最終夜「神々の黄昏」のみしか放送されていないので、あれを観ただけではまったく意味不明な演出であったので、ネットで公開されている「ラインの黄金」から「ワルキューレ」「ジークフリート」の3作全部を観て、ようやく演出の意図がそれでも半分くらいはわかったような気がする。

さらに言うと、散々な言われようで不評だった前作カストルフ演出の2016年の「指環」(指揮マレク・ヤノフスキ)も視聴可能なので、2週間とは言え、2チクルスを続けて大急ぎで観なければならなかった。カストルフのも、どれだけ不出来な演出だったのかと気をもんで観てみたが、意外に面白い演出でステージも大変凝ったものだったし、歌手も演奏も大変素晴らしい出来だった。もちろん、前作も最新のものもおそろしいブーイングの嵐が間髪を入れずに吹き荒れていたが、「まぁ、その気はわからんでもない」というところと、「いや、よくできていたじゃない」と感じるところが半々だった。オケの演奏は、やはり前作での巨匠ヤノフスキの安定感と風格ある味わいと、今回病欠のインキネンのピンチヒッターを急遽務めたマイスターとを比べるのは酷なことだろう。とは言えヤノフスキの演奏も、「ラインの黄金」の前半あたりはフルートの威勢が良すぎてややバランスを欠く粗さが気になる部分もあった(中盤以降は改善されたが)。

①「ラインの黄金」

カストルフのは、折を見てまたいつか取り上げるとして、まずは今年のシュヴァルツ演出のをかいつまんでおさらいすると、「ラインの黄金」の冒頭の映像部分で双子の胎児の動画が流れる。TVで放送された「神々の黄昏」のラストも同じ映像で終わるので、物語の永遠性、永続性を意味しているのだろう。この中で、一方の胎児の手がもう片方の胎児の右目にぶつかり、その右目から血が噴き出す様子が見て取れる。これはヴォータンを意味しているのかどうかはわからない。偶然の事故での怪我なのか、それとも母胎内ですでに権力闘争が始まっていると解釈できるのか、それもよくわからない。どちらにしても、冒頭からオリジナルの台本や歌詞はおかまいなしの展開らしい(Dramaturgy : Konrad Kuhn)。

幕が開くと、ステージ中央に浅いプールに水が張られていて、ラインの乙女とアルベリヒと数人の子供たちが水遊びをしている。ここで、最初にTVで観た「神々の黄昏」でハーゲン(アルベルト・ドーメン)が黄色いTシャツと特徴的な野球帽をかぶっていたわけが初めてわかる。この「ラインの黄金」冒頭の水遊びで出て来る少年が同じ衣装なので、この子供がアルベリヒ(Orafur Gigurdarson)が人間の女に産ませた子供だということがわかる。以降この「ラインの ー」を観る限りでは、拳銃を手にさせるなど手荒なことを教えはしているが、アルベリヒは息子を愛しており、子供も無邪気な子供らしく父親になついているように思える。こういう解釈の仕方は、はじめてではないだろうか。マスクや指環が直接的に描かれないのでわかりにくいが、ヴォータン(エギリス・シリンス)がアルベリヒから手荒っぽく指環を略奪する場面ではこの少年が指環に代わって略奪され、アルベリヒが絶叫して嘆き悲しむ。また、ファフナー(ヴィレム・シュヴィングハマー)とファゾルト(イェンス=エリック・アスボ)兄弟がフライア(エリザベート・タイゲ)の代わりにヴォータンから指環を略奪し、兄弟で奪い合いになる場面でも、この少年が強引にファフナーのポルシェで連れ去られる。こうしたことから、演出家は指環の価値を普遍的な家族愛に置き換えていると思われる。まぁ、たしかに作曲家の台本にはそんなことは書いていない。

冒頭のプールの場面が終わると舞台のセット(舞台美術:アンドレア・コッツィ)はヴォータンの屋敷(城)の豪華なリビングへと変わる。豪華とは言っても、古風ではなく現代的でいかにも今風の "セレブ" 感が感じられるおしゃれな内装だ。左右にはいかにもインテリアデザイナー作という印象の階段があり、二階の子供部屋と渡り廊下に通じている。神々の衣装(costumes : Andy Besuch)も、いかにも現代の金満 "セレブ" 風だ。下手(向かって左側)にはガラスのピラミッドに囲われたゴツゴツした山の岩肌が見え、ほとんどの場面が中央の広いリビングルームと下手側の岩山の場面で展開される。最後の神々の入城の場面では(すでに入城しているが)、フローとドンナー、フリッカ(それぞれ アッティリオ・グレーザー、ライムント・ノルテ、クリスタ・マイヤー)の三人が、「光」を意味していそうな三角形の発光体の置物を大事そうに抱えている。二階の踊り場で愉快そうにひとり踊るヴォータンの下で、実は愛していた(らしい)ファゾルトを失ったフライアが悲観にくれて拳銃に手をかけて幕となる。歌手は流石にバイロイトならではのハイレヴェルなものだが、ローゲ役のダニエル・キルヒは普通に立派なヘルデンテノールで、この役には合っていない。もっとウィットを感じさせる個性派、演技派のほうがローゲには向いている。

②「ワルキューレ」

ここでも「?」だらけの演出だった。大体、ジークリンデ(リセ・ダヴィドセン)が、ジークムント(クラウス・フローリアン・フォークト)が逃げ込んで来た時点ですでに妊娠しているのでは、後の歌詞とまったく辻褄が合わなくなってくる。思い付きは演出には必要だろうけど、そこんところ、どう折り合いをつけるのよ?生まれてくるジークフリートは、ジークムントとジークリンデの子供じゃなくなるわけ?話しを進めると、後の場面でブリュンヒルデ(イレーネ・テオリン)に助けられて他のワルキューレたちの前に連れて来られたジークリンデはすでに子供を産んでいて、その子はグラーネ(これも愛馬グラーネを擬人化してブリュンヒルデの恋人、その後は執事役という設定にしている)の腕に抱かれている。ということは、その赤ん坊はたった今産まれたばかりで、すぐに続いて双子の赤ん坊がこれから産まれてくるってことか?その子供がジークフリート?ではもう一人の子供はだれ?それに加えて、ヴォータン(トマシュ・コニェチュニー)がジークリンデの逃避行の場面で、おもむろに彼女に上乗りになって下着をはぎ取るという場面がある。彼女の子は、ジークムントの子でもフンディング(ゲオルク・ツフェッペンフェルト)の子でもなく、ヴォータンの子ってことになるのか?ちょっと設定が奇っ怪すぎてここまでくるとわけがわからない。ヴォータンとフリッカの言い争いの場面では、本来は歌詞の中だけで歌手としては登場する場面ではないフンディングをフリッカが連れ出して来て、フンディングはソファで座っていたり演技をしているだけ、っていうところまでなら許容範囲だが。

ジークムントはフンディングの槍ではなく、ヴォータンに拳銃で殺される。第三幕のワルキューレ姉妹の場面は、美容整形外科か何かのクリニックという設定らしく、全員 "セレブ" っぽい派手な衣装にヘルメットの代わりに包帯であちこちをぐるぐる巻きにして、男らにペディキュアを塗らせたり、読み飽きた「VOGUE」誌を床に投げ捨てたり、スマホで自撮りしたりしている。わがままで気が強そうなところは、いかにも「ワルキューレ」らしいところも表現しているが、ちょっと軽薄に描き過ぎていて音楽と合っていない。こういう場面に続くヴォータンとブリュンヒルデの別れの場面では、いかに歌唱が感動的でも素直に感情移入できない。最後の岩山の場面ではローゲの炎にはまったく包まれず、代わりに勝ち誇ったかのようなフリッカが舞台に出てきてヴォータンと二人で祝杯のワインをグラスに注ごうとする。岩山で燃える炎の代わりに、ワインのテーブルに燭台があって、一本の蝋燭に火が揺らいでいるだけ。ヴォータンはフリッカのワインを飲まず、代わりに自らの結婚指輪を外してグラスに投げいれ、フリッカと離縁する。その手にはさすらい人の帽子が握られており、「ジークフリート」へと続く。

③「ジークフリート」

ここでもっとも印象に残るのは、指環を守るファフナー(ヴィレム・シュヴィングハマー)が洞穴の大蛇ではなく、病室のベッドに横たわる重病人の老人であること。「ラインの黄金」では少年だった黄色いTシャツの青年姿のハーゲン(黙役)がファフナーの看病をしている。が、その手にはファフナーがファゾルトを斃した際のメリケンサックが握られている。成長して自分の素性を知ったのか、彼の表情は非常に複雑そうで笑顔は見えず、どこか悲しみと怒りに満ちているようだ。精神を病んでいるようにも見える。陽気そうに振る舞うジークフリート(アンドレアス・シャーガー)から酒を勧められ、どう表情を見せればよいのか苦悶しているようだ。ファフナーはジークフリートのノートゥングの仕込み杖で刺されるのではなく、心臓の病気で自然死したように見える。ミーメ(アルノルド・ベズイエン)はジークフリートにノートゥングで一突きされ、最後はハーゲン青年がクッションを顔面にあてて窒息死させる。

ブリュンヒルデはイレーネ・テオリンからダニエラ・ケーラーに代わる。岩山でジークフリートに目覚めさせられる場面では、兜の代わりに顔面を包帯でぐるぐる巻きにされ、それを外して行くと整形後の顔となっているので、別人になっていてちょうどいい設定である。イレーネ・テオリンが「ワルキューレ」に続けて出ていると思っていたので、あまりの容貌の違いに黙役の女優かと思ったが、歌唱が全然違うので別のソプラノだったことに気が付いた。「ジークフリート」までは擬人化された愛馬グラーネ(黙役の男優)がブリュンヒルデの付き人兼恋人の様子だったが、岩山の場面でジークフリートがグラーネを殴って打ち勝ち、新たな恋人になるという設定だが、興味あるか?アンドレアス・シャーガー、ダニエラ・ケーラーともに大きな喝采だったが最後の最高音はふたりともかなりきつそうだった。

各作品、各幕とも聞いたこともないようなブーイングの嵐だった。ちょうど現在、NHK-FMではこの演奏の模様を放送しているようだが、演奏だけで聴けばどんな感じで伝わるだろうか。現代風の読み替え演出に拒否感はないが、それにしてもちょっと脱線し過ぎの感はあった。機会があればカストルフのほうの感想もまた。



先日のフォト日記の続き。前回は湖東三山の真ん中に位置する金剛輪寺だったが、今回はその3キロほど北側に位置する西明寺の紅葉。ここでは省いたが、南側に位置する百済寺(ひゃくさいじ)も鄙びた風情で紅葉のきれいな山寺。ここは金剛輪寺からは7キロ程度南側なので、湖東エリアの南北10キロ程度の東山麓に、紅葉のきれいな古刹が三つ並んでいる。前者の二寺はいかにも鎌倉時代創建というのが伝わってくるが、百済寺の創建は古く聖徳太子ゆかりというから時代を感じさせる。戦国時代には信長の焼き討ちに遭い社殿の多くが失われたが、日本書紀記載の通り天智時代に移された百済びとの末裔たちが集住したこの地ならではの歴史を、肌に感じる。話しはずれたが、以下はすべて西明寺の写真。最下段に愛荘町の観光案内マップ。

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湖東三山スマートインターチェンジ周辺観光マップ
滋賀県愛荘町の観光案内より借用

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いかにも「田園」的な長閑な風景


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色づく湖畔のプロムナード


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びわ湖ホールの木々も鮮やかに色づき始めた

↓ところかわって湖東三山のひとつ、金剛輪寺。古刹に鮮やかな紅葉が映える

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どうと言うほどのない、先週の静かな秋の一日

びわ湖ホールは、イベントがない日でもロビーラウンジは一般に開放されていて、正面の通り側からびわ湖沿いのなぎさ公園遊歩道側に通り抜けができるようになっている。

ロビーにはびわ湖に面してレストラン「オペラ」があって、軽いランチが用意されている。イベントのない平日のお昼時でも、今日のようにお天気がよい日にはそこそこお客さんで賑わっている。基本的なメニューは3つのコースからなっていて、ビーフシチューやハンバーグ、オムライス、ナポリタンなどから選べる1,250円のセットと、1,500円の近江牛のサイコロステーキのセット(数量限定)、もう少し奮発すれば3,800円の近江牛贅沢ロースステーキのセットが楽しめる。ちょうどお昼の直前に訪れると、近江牛のお肉を焼くなんとも言えない甘い香りが館内中に漂っていて、迷わずサイコロステーキのセットを注文。カウンターで先に注文し、しばらくすると固形燃料式のミニかまどにひとり用のフライパンが載ったトレイが客席に運ばれてくる。10個ほどのサイコロ状にカットされた近江牛が片面のみ焼かれた状態で提供されるので、あとは自分で好きな加減に焼きながら食べる。コンソメスープとミニサラダにライスがセットになっているので、1,500円と言う価格を考えればウィークデイのランチとしてはじゅうぶん満足な部類だろう。もちろん、毎日というのは少々難しいけれど。
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大きなガラス越しに見るびわ湖の景色も、こころを和ませてくれる。すぐ隣りに日本最大の観光地である京都があって、そちらで観光客の足が止まってしまうということもあってか、概して滋賀県というのはせっかくのこの広大な湖を観光資源としてはやや持て余しているやにも思えるところがある。つまり、全体で捉えると手に負えないくらい面積が大きいのだ。そのなかでは、このびわ湖ホール周辺のなぎさ公園一帯が、もっともきれいに整備された一画と言える。まぁ、そういう事情はそうしばらくは変えられはしないだろう。
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びわ湖ホールでは、小ホールでのいくつかの室内楽演奏会を除いて、大ホールでの演奏会はしばらくはお休み。11月にハンガリー国立歌劇場の「魔笛」と、沼尻竜典オペラ・セレクションの「セビリアの理髪師」が予定されている。

今日は、ひさしぶりにお天気もよく心地よい秋晴れの日だったので、びわ湖ホール周辺のなぎさ公園(におの浜)に午前中から散策に出かけた。びわ湖沿いの適度な距離がプロムナードとなっていて、ウォーキングやジョギング、サイクリングなどを楽しむ人でにぎわっている。芝生もきれいに整備されているが、もうしばらくすればこの芝生の緑もしばらくはお預けとなる。

ホールご自慢のホワイエの大きなガラス窓に映る公園の木々の色も、そろそろ黄色くなり始めていた。

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7月10日(日)午後2時開演
京都コンサートホール 大ホール

R・シューマン : ゲノヴェーヴァ序曲
J.ブラームス  : ドイツ・レクイエム
(休憩なし)

指揮/角田鋼亮 管弦楽/京都市交響楽団
ソプラノ/石橋栄実   バリトン/大沼徹
合唱/京都ミューズ・ドイツレクイエム合唱団
合唱指導/大谷圭介

ひさしぶりに京都コンサートホールに出かけて、京響の「ドイツ・レクイエム」を聴いてきた。

角田鋼亮(つのだこうすけ)の指揮でははじめて聴く。1980年生まれとあるから、現在42歳前後か。プロフィールを見ると東京芸大大学院とベルリン音楽大学で学び、ドイツ大学指揮コンクールで上位入賞後、日本では各地のオーケストラに招かれ、現在はとくに愛知や仙台を中心に活躍中であるとのこと。躍進中の若手指揮者として期待されている人材のようだ。奇を衒わない端正な指揮で、音楽をていねいにまとめ上げていた。

合唱の京都ミューズ・ドイツレクイエム合唱団というのは、今回のコンサートのために結成されたアマチュアの団体で、約140人規模の合唱。男性も女性もみな首元に見慣れない小型のヘッドホンのようなものを着けているので何かなと思ったが、終演後にスタッフに訊ねると、飛沫飛散防止の器具とのこと。なるほど。運営の京都ミューズではいままでに「第九」やヴェルディ「レクイエム」、オルフ「カルミナ・ブラーナ」などに取り組んで来ており、結成50周年となる今年は更なる飛躍を目指して大作の「ドイツレクイエム」に挑んだとのこと。アマチュアとは言え、しっかりと聴きごたえのある合唱だった。特に第2曲の力強い部分などは本格的だった。

ソプラノとバリトンのソロは、まあまあのように感じた。これはまあ、少々自分の期待値が高かっただけかもしれない。京響の演奏は、ゲストコンマスの石田泰尚氏のリードにより、安定した演奏が聴けた。今回特に印象に強く残ったのは、オルガンの迫力が結構大きかったこと。以前2014年にウィーンの楽友協会でブロムシュテットの指揮、ウィーン響の演奏で同曲を聴いたが、その時もオルガンはあるのはわかったが、今回ほどその存在感を強く感じるほどの演奏ではなかった。今まで聴いてきた数種類の同曲のCDでも、オルガンの存在をそれほど強くは感じたものではなかった。この曲って、こんなにオルガンの存在感がある曲だったっけ?今回は京都コンサートホールにせっかく設置されている立派なオルガンの見せ場、聴かせ場をかなり意識した演奏となっていたのではないだろうか。正面のオルガンのシャッターが開くと同時に、コントラバスをより補強するような、迫力のある低音がホール内に深々と響く。この感覚は、以前ライプツィヒのゲヴァントハウスのホールで聴いたR.シュトラウスの「祝典前奏曲」のオルガンの冒頭部分を思い出させる。もっとも、そこまでオルガンだけのソロというわけでは、もちろんないけれども。このホールのオルガンであれば、たまにはオルガンコンサートを聴きに来るのも悪くないな、と思った。

ところで一曲目のシューマン「ゲノヴェーヴァ序曲」というのは初めて知ったし、聴いたのも初めてだが、実はシューマンが一曲だけ書いたオペラの序曲だったらしい。1848年に完成し初演されたが、散々な評価だったらしく、その後シューマンがオペラを作曲することはなかったと言う。その後もこのオペラが上演される機会は滅多にないが、序曲だけは単独で演奏されることが多いらしい。暗く陰鬱な曲の開始からホルンによる森の描写など、一聴してシューマンらしいロマンティックな雰囲気が伝わってくる佳曲だった。

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シェイクスピアの戯曲や映画の「ロメオとジュリエット」はあまりにも有名すぎてその内容については言うまでもないが、意外にもオペラ(グノー作曲)の同曲は、今までに観る機会がなかった。そう言えば、ベルリオーズの劇的交響曲のCDも、ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィル1972年録音のを大方四半世紀も昔に聴いて以来なので、すっかりどんな演奏だったか忘れてしまっている。今回のBRディスクは、このところネット画面上のタワレコの○○%オフの広告がしつこく表示され、そのなかで1,500円を切る大特価で投げ売られていたので、いい機会だと思って即購入した。

2011年夏のヴェローナ野外劇場での公演で、NHKでもその年にBSプレミアムシアターで放送されていたようだが見逃していたようで、録画もしていなかった。不思議なのは、映像にもパッケージにもちゃんとNHKがクレジットされているのに日本語の字幕がないので、仕方がないので英語字幕で鑑賞した。まあ、値段も安かったことだし、そこは一向に差し支えはない。ただ、字幕ばかりに気を取られていると肝心の映像や音楽がおろそかになるので、2回、3回は見直すことにもなる。今回字幕で最も難儀したのは、メルキュシオによる「マブ女王のバラード」のところで、曲はこの歌劇のなかでも前半で最も印象に残る箇所のひとつだが、最初は英語字幕での歌詞の内容がまったくなんのことやらわからなかった。なので原語のフランス語歌詞なども参照して、ふんだんに押韻をちりばめた、お遊び的な詩だろうと言うことが伝わって来た。なので、こういう場合、必死になってその意味を、ましてや翻訳でなど全部を理解しようとするほうが無謀な挑戦だ。それ以外の部分は、筋もよく知られている話しだし、基本は普遍的でわかりやすい悲恋ものなので、わかりにくい要素はない。

この映像でのお目当ては何と言ってもニーノ・マチャイゼのジュリエットとステファノ・セッコのロメオの主役二人だろう。とくに無邪気な笑顔が印象的なマチャイゼによる少女のような演技と、言うことのない素晴らしいコロラトゥーラの歌唱(特に有名な「私は夢に生きたい」のアリア)が聴ける。セッコのロメオも、とても真摯で情熱的で聴きごたえがある。これだけでも1500円のもとはじゅうぶん取れている。歌手ではほかに、上述した「マブの女王のバラード」で最初に喝采を取ったメルキュシオ役のアルトゥール・ルチンスキが素晴らしい低音を披露。黄色と黒の配色のレザースーツも実に決まっていて見映えがする。近年東京の新国立では飯守マエストロ指揮の「ルチア」でエンリーコを歌っているようだが、ピッタリな役だろう。ジョージア出身のメゾ・ソプラノのケテワン・ケモクリーゼのステファノによる第三幕のシャンソン「Que fais-tu, blanche tourterelle(白鳩よ、ハゲタカの巣で何を)」も表情豊かな歌唱で印象的。彼女も黒と赤の配色のぴったりとフィットしたレザースーツでセクシーに決めている。上述のメルキュシオの「マブの女王のバラード」のところでは、その姿に鞭を手にして「マブの女王」を表現しているようだ。

他には、ロラン神父のジョルジオ・ジュゼッピーニも良い低音で人間味のある神父役で前半は特によかったが、なぜか後半(第四幕)でジュリエットに仮死の薬を渡す肝心な場面で、なぜか急に声量が落ちてしまったような感じがした。他の歌手は可もなく不可もなく問題なく、と言いたいところだが、なぜかキャピュレット父役マンリーコ・シニョリーニにだけは、まれに見る強烈な違和感を感じてしまったのは自分だけだろうか。声質、音程、テンポ感、歌い方、表情と演技、それらすべてにおいて、そこだけ違った空気が流れているような違和感を感じた。なにか問題があったのではないだろうか。

演出(フランチェスコ・ミケーリ)は、なかなか面白いものだった。大きな会場の広い舞台には遠目には巨大な王冠に見えるセットが用意され、よく見るとそれは大きなはしごや脚立を複雑に組み合わせてできた、高さ8メートルくらいはありそうな王冠状のセットで、内側は鉄骨製の3階建てのベランダ風になっていて合唱やエキストラが立っている。それが、ケーキを半分に切り分けたように真ん中で分離していき、背景のセットとなり、向かって左側、すなわち下手側がキャピュレット家の領域、向かって右の上手側がロメオのモンタギュー家の領域に分かれている。そのなかにやはり高さ5メートルくらいの櫓が設置され、その2階部分がジュリエットの部屋を表している。ロメオはこの丸窓のジュリエットに向かい、大きなはしごや高い脚立に上って歌を歌う。そう言えば、写真で見たことがあるヴェローナの「ジュリエットの部屋のバルコニー」とされる観光地の風景も2階にあったはずで、映画ではロメオは木に登って愛を囁いていただろうか。なにしろ小学生の時に観て以来でよく覚えていない。

両家の若い衆たちは基本、ロメオ側が赤、ジュリエット側が青の配色の衣装に分かれ、(マスカレードとして)ホッケーのフェイスガードやフェンシングのマスクのようなものを着けている。メルキュシオやティボールなどの準主役クラスはライダー風のレザースーツに身を包んでいる。メルキュシオとティボールの決闘は直径3メートルほどの鉄骨製の球体のなかで行われる。中でオフロードバイクがぐるぐると回転するスタントのような出し物のような、あれだ。メルキュシオの「マブの女王の歌」のところでは、夢のような歌詞をイメージさせる幻想的な、と言うか奇妙な装飾を施した山車のようなクルマのオブジェが出て来て面白い。この場面だけのために、と思えばなかなか手が込んでいる。後半のロラン神父の場面では、カボチャのお化けほどの大きさのステンドガラスが美しい教会のイメージのセット。仮死状態のジュリエットを本当に死んだと思ったロメオが自分も毒をあおり、息を吹き返したジュリエットがそれを見て短剣で自死する最後の場面では、その後二人は死んだけれどもあの世で結ばれてハッピーエンドになるとの解釈からか、二人手をつないで幸せいっぱいそうに舞台から降りて笑顔で客席中央の通路を颯爽と走り去り、幕となる。

最後にファビオ・マストランジェロ指揮ヴェローナ歌劇場管弦楽団の演奏は、可もなく不可もなく。音楽は特段変わったところもなかったが、これと言って特筆するほどの上質感は、特に感じられなかった。もう少し濃厚で繊細、シルキーで艶のあるところが欲しかった。演奏の出だしが不揃いな部分も結構あって気になった。会場や録音の特性ということもあったのだろうか。まあ、観光地ヴェローナの史蹟円形歌劇場での夏のお祭りの出し物としてその場で観ている分には、ロマンティックで贅沢な気分を盛り上げてはくれることには違いないだろう。

そう言えば、ロミオとジュリエットのことを書いていて、葉巻のことを思い出してしまった。ハバナ製の上質な葉巻の銘柄に同名のものがあるのだ。残念ながら、健康上の理由から葉巻を断念してもう何年も経つが、ヒュミドールのなかには今でもロミオ・イ・フリエタやコイーバなどが残ったままになっている。パンチやアップマン、パルタガス、ラ・グロリア・クバーナ、etc... あの濃厚で芳醇な香りに包まれていたことを思い出すと、いてもたってもいられなくなる。いつかまた葉巻について書いてみようか。
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(↑10年ほど前に上海の空港の免税店でボックスで買った Romeo Y Julieta の箱内側のイラスト。購入後によく見ると、メダルの部分の印刷状態がどうも不鮮明。もしかして fake? コロナサイズのシガーそのものの外見には違和感はないが、気のせいか吸い慣れた同ブランドのシガーに比べると、味わいにいまひとつ濃厚さとインパクトに欠けるような気がしてくる… キューバ政府の真正のシールで封印はされてはいたのだが。)


・グノー:歌劇『ロメオとジュリエット』全曲


ニーノ・マチャイゼ
(S ジュリエット)
ステーファノ・セッコ(T ロメオ)
ケテヴァン・ケモクリゼ(Ms ステファノ)

クリスティーナ・メリス(Ms ジェルトルード)
ジャン=フランソワ・ボラス(T ティバルト)
パオロ・アントニェッティ(T ベンヴォリオ)
アルトゥール・ルチンスキ(Br メルキューシオ)
ニコロ・チェリアーニ(Br パリス)
ジャンピエロ・ルッジェーリ(Br グレゴリオ)
マンリーコ・シニョリーニ(Br キャプレ)
ジョルジョ・ジュゼッピーニ(Bs ロラン神父)
デヤン・ヴァチュコフ(Br ヴェローナ公)
アレーナ・ディ・ヴェローナ財団管弦楽団&合唱団、バレエ団
ファビオ・マストランジェロ(指揮)

演出:フランチェスコ・ミケーリ
装置:エドアルド・サンキ
衣装:シルヴィア・アリモニーノ
振付:ニコス・ラゴウサコス
照明:パオロ・マッツォン

収録時期:2011年8月
収録場所:アレーナ・ディ・ヴェローナ(ライヴ)

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5月最後の週末となった先週末は、大阪中之島美術館で開催中の「モディリアーニ展」を鑑賞しに、久しぶりに大阪へ出かけた。良いお天気だが午後には27度くらいの予報が出ていたので、午前中には京阪特急で中之島に到着して早めの軽い昼食を済ませて、お昼頃までには涼しい館内に入館した。この展示会は4月9日から7月18日まで開催されていて、まだ日程に余裕があるため、さほど混雑しているほどではなっかった。列に並ぶこともなく展示スペースに入ると、それぞれの絵画の前には適度に入館者が群がっているという感じだった。

大阪中之島美術館というと、なんとなくもう昔からありそうな気がしていたが、構想と準備そのものは約40年ほど前からあったものの、ようやく開館したのは意外にも今年2022年の2月になってかららしい。オープン時の展示会では、それまでに収蔵した約6千点を超えるコレクションのなかから、代表的な400点を選んで披露していたらしい。大阪市立美術館としてはもともと天王寺公園内にあり、古代美術から東洋美術、近現代の美術まで網羅していたが、新しい大阪中之島美術館は近現代美術に特化しているようだ。

大体、大阪「市立」中之島美術館なのか、大阪「府立」中之島美術館なのか、どっちなん?と単純によく知らなかったのだが、この曖昧さが「府市統合」の結果によるものなのか。当然、1989年の構想当初に「府市」統合の予定などあるはずもなく、当時は市政百年を記念する行事として大阪市による美術館構想としてスタートした。その後の財政悪化や大阪都構想などのゴタゴタのなかで、ずいぶんと政治的な影響を受けたのは想像ができる。構想40年を経てようやく本年に開館、との報道は聞いてはいたが、このところすっかり「けったい」な感じの〈大阪〉の行政と在阪メディアが一体となって躍起になればなるほど、なんとなく薄気味悪い気がしてやや距離感をおいていたので、オープン展示には行かなかった。

なんとなく、殺風景なビルとアスファルトばかりでごみごみして味気ないイメージが強かった大阪だが、都心の中之島周辺は川(運河のなごり?)にはさまれた遊歩道もあり緑もそこそこあって、爽やかな風があれば心地よい。昔は図書館によく来ては自習スペースで時間をつぶしたものだった。そんな一画、京阪中之島線の渡辺橋を出てすぐに、黒い外壁の立方体でいかにも現代建築と言う以外にはこれと言って特徴のない建物が目に入る。万博か何かの臨時のパビリオンのようだ。前庭の芝生では、臨時のオープンカフェが設営されていた。建物正面のガラス扉を入り大きな空間の長いエスカレーターでチケット売り場に着き、そこからさらに長いエスカレーターで展示室の入口に到着。入口の大きな窓からは、北側の梅田方面の眺めがよい。

さて、モディリアーニである。いままであまりモディリアーニへの関心はそう高くはなかったが、よいきっかけとなった。なので、以下は今回の展示会ではじめて目にし、知り得たことなので、まずもって初心者、ほとんど門外漢の鑑賞記である。

大阪中之島美術館では、もともとオープン時の目玉としてモディリアーニの《髪をほどいた横たわる裸婦》(1917)が出展されていたことからもわかる通り、1989年に当美術館(予定)海外作家作品の購入第一号としてコレクションに加わった、国内では唯一のモディリアーニの裸婦像であるとのこと。アメデオ・モディリアーニーAmedeo Clemente Modiglianiーは 1884年イタリア・トスカーナ州のリヴォルノで生まれ、1903年にヴェネツィアの美術学校で学び、1906年1月にパリに移住する。当時のパリは〈ベル・エポック〉と呼ばれる時代で、多くの若い才能が外国から集まり、世界の絵画芸術の中心地として華やかな賑わいをみせていた。

展示会場の入り口には1900年に万国博覧会が行われた際のエッフェル塔のモノクロの写真がタテヨコ4mほどの大きなパネルとなって来場者を迎える。図録の解説には当時のパリの状況について「~前略~なかでもパリは、市内の規模がコンパクトで、画家や文学者、音楽家、学者らが日常的にジャンルを超えて、出自を問わずに自由に交流し、互いに刺激し合うという理想的な都市文化が形成されていた。外国人であることや宗教を理由に排除されることはなく、多様な可能性が開かれたパリは、国際的な芸術都市として世界中の誰もが憧れる街となったのである。イタリア出身のユダヤ人、モディリアーニもそうしたひとりであった。~後略~」として、活力に溢れて魅力ある芸術都市として賑わったパリの様子を伝えている。青年モディリアーニが移り住んだ当時のパリの〈ベル・エポック〉の雰囲気を伝えるものとして、ジャン・コクトーによる《バレエ・リュス》(1911)などのパリらしいポスターが序章部で展示されている。

以降は初期のパトロンとしてモディリアーニを支えた《ポール・アレクサンドル博士の肖像》の2点の肖像画(ともに1909年)から絵画の展示がはじまり、ピカソやローランサン、ルソー、ルノワールなど、彼と親交があったり関係があった人物らの作品の展示が続く。なかには、彼の彫刻作品に影響を与えたコートジボワール共和国の《仮面》のような素朴で民俗的なものなども展示されていて、とても印象深い。

モディリアーニと同時代の作家らは多くはセーヌ川右岸のモンマルトル地区や同左岸のモンパルナス地区に集住して活動し、エコール・ド・パリ(École de Paris、パリ派)と呼ばれた。左岸モンパルナスにはモディリアーニやシャガールのほか、パスキン、キスリング、スーティンらがおり、右岸モンマルトルにはルノワールやロートレックをはじめ、ドガ、ピサロ、ゴッホ、ユトリロやピカソらがアトリエを構えたりして過ごした。これらの作家の展示をはじめ、モディリアーニと親交のあった藤田嗣治の作品《タピスリーの裸婦》(1923)や《自画像》(1929)、《ふたりの女》(1928)、モディリアーニによる藤田のスケッチ画《フジタの肖像》(1919)の展示なども目をひいた。藤田嗣治とは親交が篤かったようだ。ほかにシャイム・スーティンによる《心を病む女》(1920)、《セレの風景》(1921)はなぐり描きしたかのような強烈な曲線で、非常に強い印象を受ける。

なかでも今回の展示の核となるのは、モディリアーニがモンマルトルに暮らしはじめた1915年頃から、35歳で早逝する1920年1月24日までの約5年間に描いた肖像画の数々だろう。今回の展示の目玉となっている《髪をほどいた横たわる裸婦》(1917)などには目の瞳も描かれているが、《若い農夫》(1918)や《少年の肖像》(1918-1919)、《小さな農夫》(1918頃)のように瞳がなく目の中が塗り潰されているものも多くある。いずれも唇を閉じていて表情の動きはあまり見られず、全体的に素朴でやわらかなタッチで描かれていて、静謐さが支配している。一見すると単純そうな画に見えて、よく見ていると、じっとこころの奥底を見つめているような内面性が感じられる。

1916年、モディリアーニが33歳の時に、画学生のジャンヌ・エビュテルヌと出会い、二年後の1918年に娘のジャンヌが生まれる。翌1919年には二人目の子の妊娠がわかる。この頃に描いた《ジャンヌ・エビュテルヌの肖像》(1919)、《大きな帽子をかぶったジャンヌ・エビュテルヌ》(1918)も展示されていて、いずれも長く特徴的な首が右に曲がっていて、鼻がすらりと長く描かれている。しかしそんな幸福は長くは続かず、1920年1月24日、モディリアーニは結核性髄膜炎で死亡する。35歳という若さだった。その二日後の1月26日未明、臨月に近いジャンヌは実家の窓から身を投げる。21歳だった。

《小さな農夫》(1918頃)
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