そう言えば20年くらい昔にショルティとウィーンフィルの有名な「ニーベルンクの指環」の制作現場を取材しBBCが映像化したドキュメンタリーのLDがあったのをふと思い出し、久しぶりに改めて鑑賞(画像はDVDのもの)。
驚くのは、もう50年ちかく昔の白黒の映像ながら、画質は極めて鮮明で現在視聴しても何らまったく違和感がないことだ。この映像を製作したBBC(当時)のハンフリー・バートンの解説によると、ORFのテレヴィジョン・カメラ5台が8日間にわたって密着し、ショルティとVPO、歌手たちによるソフィエンザールでの「神々の黄昏」の録音風景を約90分のドキュメンタリーに仕上げている。スタジオ外での移動場面やインタビューには16㎜ハンディカメラのフィルム映像が使われているが、ソフィエンザールでの演奏収録場面はすべて大型のテレヴィジョン・カメラによるVTR映像なので、いま見直しても驚くほどシャープで鮮明な映像だ。音声も、ジャケットにはモノラルと書いてあるが、明らかにステレオの良好な音質である。もっとも1965年の放送当時は当然ながらモノラルで放送されたためにそうなっているのだろう。私が購入したLDは1992に発売された輸入物で、ハンフリー・バートンのナレーションで字幕は無い。2007年に国内で発売されたDVDには日本語字幕があるようだが、現在は再販の見通しはなさそうだ。
よく知られているように、デッカのプロデューサーのジョン・カルショーとゲオルグ・ショルティによるウィーン・フィルとのワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の制作は1958年の「ラインの黄金」から始まり、「ジークフリート」を経て、この映像が収録された1964年の5月と11月に、「神々の黄昏」の録音が集中して行われた。この撮影は、その11月の録音時の模様を、8日間現場となったウィーンのソフィエンザールにTVカメラを投入して行われた。恐ろしいことに、レコードの録音の真っ最中に5台のTVカメラがその模様を同時収録していたのだ。映像撮影時に発生するノイズと言うのは、光学フィルム式カメラなどでフィルムを巻き上げるモーター音が大きな要因となるが、TVカメラの場合は、収録用のVTR機材が離れていれば、カメラ自体からはさほど大きなノイズは発生しない。とは言え、一度は「ジークフリートの葬送行進曲」の静かなところでレンズがズームの際に大きなノイズを出してしまい、この時はショルティの「人間的な」冗談でその場が救われたという一幕もあったらしい。
その年の5月に録音の半分は収録されており、この11月の撮影時には歌手ではビルギット・ニルソン、ヴォルフガング・ヴィントガッセン、ゴットローブ・フリック、D.F.ディースカウ、クレア・ワトソンの5人と合唱によるギービヒ家での場面と「ジークフリートの死と葬送行進曲」、「ブリュンヒルデの自己犠牲」の収録シーンを中心に収録されている。とくにハーゲンが手下たちを召喚する「角笛」の場面では、オーバーダビングではなく別室にホルン奏者4人を二人づつの2組に分けて配置し、TVモニターを見ながら同時に演奏させて録音することに大変こだわったことが映像で紹介されている。楽器も通常のホルンやトロンボーンではなく、この録音のために特別に製作されたもので、ワーグナー作曲当時のものをできる限り再現したものらしい。ハーゲンが吹く角笛は、臨場感を出すためにG.フリックのすぐ隣りから、同じマイクを使って行われている。別室の4本の角笛は、わざとガランとした広い部屋に演奏者だけを置くことで、メインの収録会場と異なる残響が強い響きを出すように意図されている。また、全曲、全幕を通して演奏するのではなく、いくつかのパートに区切って細切れで収録し、編集でそれらを組み合わせて完成することも紹介され、そのことにはいくらかの批判もあるが、とはしたうえでカルショーのインタビューで意見を述べさせている。あとひとつ気づいたのは、現場での収録用のマスターテープが思ったより細い幅で、8㎜くらいだろうか。普通の家庭用のオープンリールでも使っていそうなものとそう変わらないくらいの幅に見える。てっきり1インチくらいはありそうなものを収録時の現場でも使っているのかと思っていた。
ある日コントロールルームで前日収録した音のチェックをしているカルショーら3人がミキサーに向かって仕事をしていると、吸いかけの煙草を片手に愛想の悪そうな男が突然入ってきて、なんだか偉そうににあれこれとものを聞いてカルショーたちがやや恐縮気味に受け答えをしている場面を見て、最初はなにかと評判の悪いデッカの上役が突然現場に現れて、現場を委縮させているのかと思ったが、よく見ているとその場のナレーションが「I broke in on them this morning...」と一人称で語っているのを聞いて、この男がハンフリー・バートンであることがわかった。もっとも、この「突然の来訪」のような演出も、用意周到なアングルから二台のカメラが収録していることからもわかるように、意図されたインタビュー風景のようだ。それにしても、この映像でのカルショーと言い、1980年代に初めてバイロイトのシェローの「指環」の舞台をTV映像化した模様を追ったドキュメンタリー映像のなかのブライアン・ラージの姿と言い、「いままさに最高のオペラ製作の渦のさなかにある人間」として、見ていて眩しいくらいに輝いて思えるのは、私だけだろうか。
映像の後半、ヤマ場を盛り上げようと言うスタッフの粋な計らいか、「ブリュンヒルデの自己犠牲」の場面を迎えて現場で調整中のB.ニルソンを和ませるためか、運命を共にする「愛馬グラーネ」よろしく、一頭の本物の馬が、建物の階段を登ってソフィエンザールの録音会場へ、「パッカ、パッカ…」と手綱にひかれて入って来た場面では、それを知らないニルソンやVPOの楽員らがびっくりして、大騒ぎしていておもしろい。また、VPOの楽員らも、録音だけの現場にも関わらず全員がきちんとネクタイをしていて、時代を感じさせるなあ、と思った。いまの時代は、多分録音の現場は皆さんジーンズにポロシャツが普通でしょうから。
そんななかで、ひとりトレーナー姿のようなカジュアルな出で立ちながら、いざ演奏が始まると、もの凄い集中力とエネルギーで、全身からパワーを出しまくっているのが指揮者のショルティで、本当に圧倒される。人間って、本当にここまで凄いエネルギーを身体から出せるんだなあ、とつくづく感心した。いいなぁ、あの凄いエネルギーが、このような芸術と言うかたちで、本人が亡くなったあとも残りつづけ、伝え続けられて行く。当然ながら、時代はその後も様々な指揮者とオケによる、新たな「指環」製作物語を生み続けていくわけであるが、自分にとっての「指環」の音楽の原点が、この録音だったのは幸いであった。