grunerwaldのblog

バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭など、主に海外の音楽祭の鑑賞記や旅行記、国内外のオペラやクラシック演奏会の鑑賞記やCD、映像の感想など。ワーグナーやR・シュトラウス、ブルックナー、マーラー、ベートーヴェン、モーツァルトなどドイツ音楽をメインに、オペラやオペレッタ、シュランメルン、Jazzやロック、映画、古代史・近現代史などの読書記録、TVドキュメンタリーの感想など。興味があれば、お気軽に過去記事へのコメントも是非お寄せ下さい。

2017年03月

昨年の「マタイ受難曲」に続いて、今年は「ヨハネ受難曲」を京都・バッハ・ゾリステンと京都フィグラールコールの演奏で鑑賞して来た(指揮・福永吉宏、3/26大阪いずみホール、14時開演)。

何度も繰り返し聴いて来て耳に馴染んでいる「マタイ受難曲」に比べると、「ヨハネ受難曲」はバッハによる同じテーマの受難曲だけれども、はるかに聴く機会と頻度は少なかった。CDで聴いていても、やはり「マタイ」のほうが音楽の起伏に富んだ印象でこころに刻まれるのだが、「ヨハネ」のほうは「ふーん、なるほど」と頭には内容は入ってくるのだが、肝心の音楽のほうが「マタイ」ほど浸透してこないのである。歌詞の内容はとても説明的でわかりやすいのだけれども。この点では「マタイ」より叙事的ではあると思う。でも何かもうひとつ、「マタイ」のような「ときめき」が薄いのはどうしたものだろうか。まぁ、こんなことはあくまでも百パーセント、個人的な主観でしかないですが。

とは言えそれは曲についてであって、演奏のほうはと言うと、やはり京都フィグラールコールによる合唱は大変感動的で素晴らしく、来た甲斐があった。実態としてはアマチュアと言うことらしいけれども、全然そんな素人レベルではない。もっと合唱の部分が多くあったらよいのに、と感じるくらいだった。福永吉宏氏の指揮は繊細で丁寧で実に説得力があり、相当丹念にこの曲に打ち込んで来られた証しであると感じる。昨年とほぼ同じ顔ぞろえのソリストも実力十分で安心して聴いていられた。特にイエス役の篠部信宏氏の深いバスは聴きごたえがあった。

席は7列目くらいの中央付近で、理想的な位置で名曲を聴くことができた。昨年の「マタイ」は全席完売だったが、今回の「ヨハネ」はやはりあまり人気がないのか空席も結構多く、ちらほらと目立つ状況であった。隣の大阪城公園では、もう桜が開花しはじめているようだった。

それはそうと、この曲の第一部のイエスと大祭司カイファや提督ピラト、ユダヤ人たち、役人たちのやりとりを追っていると、いまの時節柄、つい先日の某理事長の証人喚問の国会のやりとりが思い出されて仕方がない。いや、あのオッサンがイエスというわけでは全くなく、単純に「糾弾する側」と「糾弾される側」という構図においてだけの話しですが。大祭司カイファの「ひとりの人間が民全体に代わって死ぬ方が好都合だ」とか言う生々しい話しもあるし。「わたしがどんな悪いことをしたのか」というイエスに対し、下っ端役人が「おんどれ!大祭司様に向かってなんちゅう口きいとんじゃあ、ゴルア!」なんて恫喝するところなど、血迷ったあげくにてめえの親分がはしごをかけましたなんて、言わんでもいいことを「自供」したおバカな議員とおんなじではないか。なんか、いつもなんとかのひとつ覚えみたいにオレンジのネクタイばかりしたはるけど。あんたちょっと、悪いんじゃないのぉ~?まぁ、今日のところは、これくらいにしといたる(笑)  

それにしても、期待度ゼロのメディアのなかにあって、ひとり菅野氏の奮闘ぶりは大したものだ。論旨明確だし、腹が据わってるわ。あれでは、PMといっしょに赤飯食っただの寿司食っただのとか言って調子に乗せられてる大手御用メディアなんかはとても叶わんな。活躍に期待。


指揮 : 福永 吉宏

独奏 : 福音史家:畑儀文   イエス:篠部信宏  
      ソプラノ:松田昌恵  アルト:福永圭子 
      テノール:大久保亮 バス:成瀬当正


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最近新しい演奏会場が出来て、普段は音楽とは縁のない一般紙でも取り上げられたりで話題になっている、ハンブルクのNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団(旧称ハンブルク北ドイツ放送交響楽団)の来日公演最終日、3月15日(水)大阪フェスティバルホールの公演を鑑賞してきた。指揮はポーランド出身のクシシュトフ・ウルバンスキ、ソリストはアリス=紗良・オット(ピアノ)。演目は、


     ベートーヴェン:序曲「レオノーレ」第3番 ハ長調 Op.72b 
     Beethoven:"Leonore" Overture No.3 in C major Op.72b

     ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 Op.37<ピアノ:アリス=紗良・オット>
     Beethoven:Piano Concerto No.3 in C minor Op.37 (Alice Sara Ott, Piano)

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     R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」 Op.30       
     R.Strauss:"Also sprach Zarathustra" Op.30


旧称の北ドイツ放送交響楽団と言えば、御多分に漏れずギュンター・ヴァント時代のブラームスやブルックナーのCDで耳にしていた。いつ頃から現在のNDRエルプフィルと言う名称に変わっていたのか気がつかなかったが、二年前にヘンゲルブロックとの来日公演で大阪のザ・シンフォニーホールでマーラーの交響曲1番とヴァイオリンがアラベラ・美歩・シュタインバッハーというのでチケットを購入していたのだが、仕事の都合であいにく行けなかった。今回はじめてこのオケを聴きに行き、毎度のことながら本当にドイツというのは各地域の都市ごとにこの様なレベルの高いオーケストラが数多くあるのが、すごいことだと実感する。

主催はフジテレビで東芝の提供。東芝にはもうこのような大盤振舞いを続けて行く余力はないかと思われるが… フジは最近ベルリンフィルの来日公演を主催したりして、クラシックにも注力している様子が窺える。今回のNDRエルプフィル、S席は1万3千円なので、ウィーンフィルやベルリンフィルなどのスーパーオーケストラに比べればべらぼうに安いし、残席も結構余裕がある。毎回思うが、この違いは何だろうか。確かにウィーンフィルやベルリンフィルは素晴らしいオケだし演奏がすごいのは言うまでもないけれど、コンサートのチケットで4万円近いというのはべらぼうだし、そこまでの差がNDRエルプフィルのクラスのオケが出す音とに本当にあるのかどうなのか。実際、価格としては二倍の差はあると言われればそれは納得の範囲内だが、三倍までの差があるほどNDRがヘタレなオケとは思えないというのが実感である。

さて、一曲目「レオノーレ3番序曲」、暗い牢獄の絶望を思わせる、陰鬱で暗く繊細な音で奏でられる冒頭部分の演奏の繊細なこと。素晴らしい集中力で引きこまれるようだ。ところが、冒頭部分が終わりかけたあたりで、近くのご婦人がいかにも退屈そうに、ペラペラと音を立ててパンフレットをめくりはじめた。あのなぁ!客電も落ちてるのに、パンフレットめくったところで、なんか文字読めるか?いかにも退屈でじっとしていられないようで、ごそごそと動いては足元のかばんから何かを取り出したり、おまけに演奏中ずっとチラシの入った薄いビニールの袋を手の平でいじり続けてぺちゃぺちゃと不快な雑音を出し続けている。クラシックの演奏など大した興味ないけど、ただで招待券もらったんでとりあえず来てみたけどやっぱり退屈だなぁ、って感じがありありで。すぐ隣りならすぐにでも注意したいところだが、中途半端に何席か離れているのでそれもできずもどかしいまま。おかげで「レオノーレ序曲」の途中あたりから二演目目のピアノ協奏曲まで、まったく音楽に集中できなかった。いい迷惑な話しである。なのでアリス=紗良・オットの演奏もあんまり耳に入って来ず、強烈なルックスの印象だけしか残らなかった。いい迷惑な話しである。ルックスは凄く印象に残った。細いウェストのスレンダーなプロポーションで、黒のスパンコールのロングドレス。背中と両脇腹に大きなスリットが入ってシースルーになっている。ボディから膝あたりまではぴったりと絞りこんで、膝あたりから足もとにかけて裾が広がったエレガントなシルエットのスパンコールドレス。見せます感オーラがハンパない(笑) 人生楽しいだろうな、きっと。アンコール2曲、グリーグとショパン。

ちょっとこれでは話しにならないので、休憩時に係員さんにオバサンにご注意してもらうようにお願いしておく。まあ、こういう苦情はよくあるのだろう。「はい、わかりました」みたいな感じで、うまく対応して頂いたようで、後半の「ツァラトゥストラかく語りき」では、客席に通常の静謐が取り戻され、音楽に集中することができた。素晴らしい演奏であった。迫力ある演奏だった。何より、R・シュトラウスのこの面白い曲が堪能できた。各楽章にはそれぞれ一見難解そうで意味ありげな標題が付けられているが、別にそれは何かと頭で理解しようとしなくても、音楽そのものは難解ではなく、他のR・シュトラウスの交響詩となにか特段変わったところがあるような曲でもないだろう。壮大なスケールの冒頭、おどろおどろしいところ、可憐でかわいげのある個所、優雅なワルツなど、「ティル・オイレンシュピーゲル」や後の「サロメ」や「ばらの騎士」を想起させるような曲風も感じ取られる。この曲はトランペットは要だと思うが、トランペットをはじめ金管はすこぶるうまく重厚で、大変な迫力があった。ワルツのヴァイオリン・ソロは全然ウィーン風ではなかったが、安心して聴いていられた。チューブ・ベルはどこにあるか見えないようだったが、上部のスピーカーから聞えたような気がした。アンコールはローエングリン3幕前奏曲で、文句なしの快演。どのコンサートも、この価格でこの席(中央付近)で聴けたら、言うことがないのだが。

この曲は、以前2014年5月にライプツイヒを訪ねた時に、ゲヴァントハウス管の演奏(指揮アンドリュー・デイヴィス)でも聴いているが、二階の席だったためかちょっと音が遠く感じてもったいないことをしたのが心残りだった。実はこの時、前半のプログラムは一階の席で聴いていたのだが、ホールの全体像がよく見える二階の席も同時に購入しており、後半はそちらに移動したのだ。やはり音は一階のほうがダイレクト感があった。席を変えずに一階のままで聴いていたほうがよかったのかも知れない。今回のNDRエルプフィルという、よいオケのよい演奏で挽回できたのは、よかった。





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びわ湖ホールプロデュースオペラ「ラインの黄金」(会場・大津市びわ湖ホール・14時開演)3月4日(土)と5日(日)の両公演を鑑賞してきた。沼尻竜典指揮、京都市交響楽団演奏。ソリストは下記。演出ミヒャエル・ハンペ、美術・衣装ヘニング・フォン・ギールケによるオリジナル・ニュープロダクション。このチームによる公演は、昨年3月の「さまよえるオランダ人」を観て非常に面白かったので、期待も高まる。この「ラインの黄金」を皮切りに、2020年まで4年をかけて毎年一作づつ「ニーベルングの指環」が制作・上演される「びわ湖リング」プロジェクトの第一作目。

普段はひとつの公演を一回観るだけのことがほとんどだが、今回は珍しく両日ともほぼ同じ席から鑑賞することができた。休憩なし一幕2時間半の演奏。


客電が落ち、暗闇と無音のなか静かに幕が開いて行くと、まずはCG(プロジェクションマッピング、以下CGとする)で大きいスクリーン一面に星々に散りばめられた宇宙の模様が映写される。そこから低弦のペダルで序奏が静かに開始されていく。序奏の盛り上がりに合わせて、中央のスパークのような模様が徐々に大きくなって行く。宇宙空間はいつしか水面の下のラインの川床の様子に変化して行く。舞台奥の大スクリーンと、舞台手前側にも紗幕によるスクリーンがありそこにも水面の揺れる様子がCGで映写されるので、非常に立体感に富んだ映像感覚で、あたかも本当に深い水中に漂っているような感覚である。ちょうどすぐ隣りはびわ湖なので、びわ湖の水面の下、という印象も受ける。細かい水の泡の感じまでリアルに感じる。

最初に登場するラインの乙女は、人魚のような姿で描かれたCGの動画で現れる。水のなかを行ったり来たりはCGのアニメーション。歌声は深いエコーがかかってスピーカーから聞こえる。アルベリヒが登場して彼をからかう段になって、ようやく岩陰から彼女らがひょいという感じで出てくると、そこからは生の歌声に切り替わり、また岩陰にひょいと隠れたかと思うとスクリーンのなかのアニメに切り替わり、スピーカーの音に変わる。これがとてもタイミングよくうまく切り替わるように演出されている。

ところで舞台上に設えられたセットらしいセットと言えるものは、舞台左右のこの土手のような岩場のようなものだけで、あとは舞台奥と正面の二つの大きなスクリーンに映写されるCGの画像のみ。言わば「電子書割り」である。神々の城やニーベルングたちの地下の洞窟のような作業場などはト書きに忠実に描かれていて、奇をてらったようなものでは全くない。衣装も割とオーソドックスな感じで奇抜さはないが、例えばローゲなんかは遊園地かなにかのこども向けのアトラクションに出て来るアニメのキャラクターのような感じでちょっと面白い感じだったのと、ラインの乙女が結構身体のラインピッタリで金髪の鬘でなんだか人魚版セーラームーンみたいな感じだった。ファフナーとファゾルトは、上下二段で下段に足の役の人が隠れた「ジャンボマックスくん」みたいなやつ(古~っ!つか世代限られる!)。アルベリヒがドラゴンに化けるところももちろんCGなのだが、うまく尻尾の部分だけを巨大なつくりものにして、これが舞台上でのたうちまわる仕掛けにしているので、かなり立体的で3D感と迫力のある映像である。とは言え、CGはどこまで行ってもCG。CGの制作費は相当掛かっているだろうことはわかるが、舞台上に設えられた造作物は上で述べた土手と岩場のセットくらいのものだけ。舞台演出としてはCG90%と言ったところではないだろうか。ここまで徹底してプロジェクションマッピングだけの「指環」の上演というのは、はじめてではないだろうか。CG製作費を除外すれば、舞台制作のコストは最小限にまで抑えられた経済的なやりかただろう。豪華でリアルなセットにコストと労力がつぎこまれた舞台こそがオペラの醍醐味と思い続けていると、今の時代の新しいオペラ演出の変化が見えてこないかもしれない。とは言え、ちょっと寂しい感もなきにしもあらず。最後の虹の橋を渡る神々の城への入場のCGはしょぼすぎて失笑。あんなものならないほうがまし。明らかに最後の壮大な音楽とは不釣合いだった。

歌手の皆さんは両日とも、どの役も大変聴きごたえ十分ですばらしかった。これだけ実力のある歌手による「リング」がびわ湖ホールで聴けるのは実に有意義なプロジェクトだと実感。期待通りのハイレベルな演奏にまったく文句なしだった。京響の演奏は、二日両日とも聴いて、初日と二日目で大きく印象が異なるということはなかった。実に丁寧な演奏で、美しいところは美しく、迫力のあるところは十分に迫力のある演奏で高水準だった。ただ、濃厚なコクで音楽の渦に巻き込まれるほど重厚で強烈な印象があったかと言われると、そこまでの重厚感まではなかった。ドイツ車で時速160キロくらいでアウトバーンを疾走するような感じではなく、名神高速を時速90キロくらいで安全運転している感じだった。なお両日とも完売御礼の案内が出ていて、実際満席のようだった。関西での本格的な「リング」プロジェクトへの期待値は低くはないと思われる。

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ラインの黄金 
Das Rheingold
3月4日3月5日
ヴォータン
WOTAN

ロッド・ギルフリー
ROD GILFRY

青山 貴
TAKASHI AOYAMA

ドンナー
DONNER

ヴィタリ・ユシュマノフ
VITALY YUSHMANOV
           
黒田 博
HIROSHI KURODA

フロー
FROH

村上敏明
TOSHIAKI MURAKAMI
 
       
福井 敬
KEI FUKUI
ローゲ
LOGE

西村 悟
SATOSHI NISHIMURA

清水徹太郎*
TETSUTARO SHIMIZU

ファゾルト
FASOLT

デニス・ビシュニャ
DENYS VYSHNIA
 
        
片桐直樹
NAOKI KATAGIRI

ファフナー
FAFNER
斉木健詞
KENJI SAIKI
               
ジョン・ハオ
ZHONG HAO
                 
アルベリヒ
ALBERICH
カルステン・メーヴェス
KARSTEN MEWES
      
志村文彦
FUMIHIKO SHIMURA
           
ミーメ
MIME
与儀 巧
TAKUMI YOGI
              
高橋 淳
JUN TAKAHASHI
            
フリッカ
FRICKA
小山由美
YUMI KOYAMA
              
谷口睦美
MUTSUMI TANIGUCHI
     
フライア
FREIA
砂川涼子
RYOKO SUNAKAWA
    
森谷真理
MARI MORIYA
              
エルダ
ERDA
竹本節子
SETSUKO TAKEMOTO
     
池田香織
KAORI IKEDA
            
ヴォークリンデ
WOGLINDE
小川里美
SATOMI OGAWA
        
小川里美
SATOMI OGAWA
    
ヴェルグンデ
WELLGUNDE
小野和歌子
WAKAKO ONO
               
森 季子*
TOKIKO MORI
        
フロスヒルデ
FLOßHILDE
梅津貴子
TAKAKO UMEZU
             
中島郁子
IKUKO NAKAJIMA 
  
*…びわ湖ホール声楽アンサンブル・ソロ登録メンバー

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