8月5、6日に大津市のびわ湖ホールで上演された、びわ湖ホール制作の「ミカド」が初台の新国立劇場(中ホール)で招聘公演のかたちで行われた。なので、スタッフとキャストはほぼびわ湖の時と同じで、歌手たちは「びわ湖ホール声楽アンサンブル」のメンバーが中心となっている。びわ湖ホールでの上演は是非とも行きたかったのだが、あいにくバイロイト音楽祭(マイスタージンガーとパルシファル)への旅行とぶち当たってしまい、泣く泣く行けなかった。それと同じものが日を改めて初台という良い条件のもとで鑑賞できたのは、救われた思いだった。午後4時開演、20分の休憩一回をはさんで二幕の上演で終演は午後6時50分頃。夜8時の新幹線で日帰り鑑賞ができたのは便利だった(とにかく蒸し暑い一日だった)。
この英国発の世界的に有名なオペレッタが日本でまともなかたちで上演されることは、ほとんどない。舞台が「ティティプ」ということから秩父市が町おこしの一環として地元制作の公演を何度か行ったらしいが、これは行っていない。うまく上演されれば圧倒的に面白くて、音楽も上質なこの人気のオペレッタが日本で人気がないのは、やはりたとえ表面上とは言え日本の天皇がグロテスクなかたちで取り上げられ、日本が正当に取り扱われていないという根源的な不満が根強くあるからなのは間違いない。第二次大戦の壊滅的な敗戦後、東京に進駐した占領軍が兵士の慰問行事で真っ先に上演したのが「アーニーパイル劇場」の「ミカド」だったということも、ますますこのオペレッタから日本人のこころが離れる大きな要因にもなったことだろう(興味深いことに先日のNHKスペシャル「東京ゼロ年」でも、これが取り上げられていて驚いた)。それに加えてこの傑作オペラを日本人にとって難しいものにしているのは、「パターソング」と呼ばれる超早口の言葉遊びがこの作品の醍醐味であるので、たとえ英語の歌唱が上手な歌い手でも、このような複雑な早口ソングを難なく歌いきることはほとんど不可能という現実的な面もあることだろう。なので、何度もこのブログでは取り上げている(これとか、これとか、これとか)が、海外の英語圏では大変知名度も高く人気があるこの傑作オペラが日本でまともな形で鑑賞できる機会は極めて少ない。
この英国発の世界的に有名なオペレッタが日本でまともなかたちで上演されることは、ほとんどない。舞台が「ティティプ」ということから秩父市が町おこしの一環として地元制作の公演を何度か行ったらしいが、これは行っていない。うまく上演されれば圧倒的に面白くて、音楽も上質なこの人気のオペレッタが日本で人気がないのは、やはりたとえ表面上とは言え日本の天皇がグロテスクなかたちで取り上げられ、日本が正当に取り扱われていないという根源的な不満が根強くあるからなのは間違いない。第二次大戦の壊滅的な敗戦後、東京に進駐した占領軍が兵士の慰問行事で真っ先に上演したのが「アーニーパイル劇場」の「ミカド」だったということも、ますますこのオペレッタから日本人のこころが離れる大きな要因にもなったことだろう(興味深いことに先日のNHKスペシャル「東京ゼロ年」でも、これが取り上げられていて驚いた)。それに加えてこの傑作オペラを日本人にとって難しいものにしているのは、「パターソング」と呼ばれる超早口の言葉遊びがこの作品の醍醐味であるので、たとえ英語の歌唱が上手な歌い手でも、このような複雑な早口ソングを難なく歌いきることはほとんど不可能という現実的な面もあることだろう。なので、何度もこのブログでは取り上げている(これとか、これとか、これとか)が、海外の英語圏では大変知名度も高く人気があるこの傑作オペラが日本でまともな形で鑑賞できる機会は極めて少ない。
その日本で極めて不人気の「ミカド」を正面きって取り上げようというのだから、びわ湖ホールの心意気と目の付け所のセンスの良さには敬意を表する。また、この(日本人には)わかり難い作品の内容を、なんとか少しでも楽しんで観てもらおうと訳詞まで手掛けられた演出家の中村敬一氏の熱意にも、頭が下がる思いである。
そしてまず文句なしに何よりも十分に楽しむことが出来たのは、園田隆一郎指揮日本センチュリー交響楽団の上質な演奏であったことはまず第一にあげておきたい。大変よい演奏だった。弦のしっとりと美しい聴かせどころも、テンポ感のあるメリハリが必要なところも、まったく何の破綻もなく、この傑作オペラが持つ本来の音楽の良さが十分に堪能できる演奏であった。日本センチュリーという規模感が、このオペラにはピッタリと絶妙にフィットしているのだ。間違ってもウィーン・フィルだとか、N響だとかの超一流オケで聴いて面白いオペラでは、ないのだ。あまりに重厚すぎても、あまりに艶やかすぎても、(セ響には申し訳ないが)あまりに「上等」すぎても、こういう作品は「違う」のだ。逆に、あまりに小規模の市民楽団や町内会のイベントでは、もちろんまったくこのオペラの楽しさは引き出すことはできない。その意味で、普段は自分としてはあまり聴く機会が少ないセ響の演奏は、今回の「ミカド」にはぴたりとツボにはまった快演であった。
大きな問題は、英語での原語上演か、日本語訳詞による上演かである。この点、上記したように大変な熱意と労力で訳詞まで手掛けて舞台にも字幕装置まで用意された演出家の中村敬一氏には敬意を表しているところだが、やはりオペラ(オペレッタ)の上演というのは、原語の歌詞もまた我々観客は当然のごとくそれを重要な「音楽」の一部として「聴いている」ことを改めて痛感する上演となった。言葉と言うのは、「意味」だけではないのだ。歌唱となるとやはり、「響き」も含めて我々はそれを聴き、無意識のうちに楽しんでいるのである。結果的には、日本語の歌詞とすることにより、この傑作オペラが本来持つ「言葉のスピード感とパンチ感」が半減されてしまって、「ノリ」の悪いものになってしまったことはとても残念ではある。「日本語に翻訳する」という「まじめ」な志しが、そのまま「まじめ」な思いのオブラートになり、結果、毒のある原語の歌詞の痛快さやテンポ感をやんわりと包んでしまい。中和してしまうのだ。こういう場合「まじめさ」は邪魔なのである。思いっきり「不真面目」であったほうが、こういう場合は面白い。
中村氏もその点は相当努力されていて、ここ最近の時勢ネタを随所に盛り込んで、なんとか「笑い」を引き出そうとはされていて、一部には大いにそれが成功しているところもあった。が、やはり上に書いたように、原詩も「音楽」として聴いている観客からは、特に前半のあいだはそれをもどかしく思っているようなムードが感じられた。例えばナンキプーは本来、原詩では地方巡業の楽隊の「第二トロンボーン奏者」に身をやつしているというところ、「A second trombone!」と揶揄していかにも大げさに強調するところが笑えるのだが、ここでは少しでもわかりやすいようにと言う配慮からか単に「ストリートミュージシャン」となっていたり、ココの役職の「Lord high executioner」を「最高指導者」という風にしていたが、時勢的にお隣りのミサイル狂の若き「最高指導者」を連想させてウケるのだろうが、ここは素直に「最高位処刑執行人」とか「首切り担当大臣」とかにしておいたほうが原詩のイメージは伝わる。なので、全体としての感想で欲を言えば、セリフ部分は日本語訳で、歌唱部分は英語の原詩でやってほしかったところではあるが、上述のようにとにかく早口でやるほど活きて来るパターソングを原語で歌うのは普通の日本人にはとても不可能なことなので、その辺はフレキシブルに折衷するのも手だろう。なおこれは全く個人的な当てずっぽうだが、このプロダクションがここまで日本語翻訳上演に拘った背景には、この事業が文化庁の助成を得ているということが影響しているのだろうか。なにしろ子供たちを真っ当な「愛国」教育に導きたいお役所のことであるから、助成が欲しけりゃ日本語で上演しろというくそつまらない官僚的横車を入れて来ても不思議ではない。制作者サイドの「忖度」かも知れないが。
また森友・加計問題や秘書への暴言問題など時勢ネタには事欠かない昨今であるので、このあたりのネタを盛り込むことは、演出家には苦もない作業であったに違いない(そう言えば「一線を越えてない」という直近のネタもさっそく取り入れていた)。「私設秘書」のプーバー(シェイクスピアを思わせる容貌と衣装となっている)が、ヤムヤムから「このハゲー!」と罵倒されるところがおおいに受けていたのにはニンマリとしていることだろう。
歌唱では、音楽本来の美しさでこのアンサンブルの特質を高度に活かすことのできた「結婚のマドリガル」の五重唱がもっとも盛大な拍手を受けていたように思う。この五重唱は本当に美しく、決してこのアンサンブルが単なるお茶らけではないことを証明するよい出番となった。ココ役の迎 肇聡はセリフでの発声も聴き取りやすく、歌唱も安定していた。ナンキプーのルックスのイメージはジョン・レノンということらしいが、最近流行のアニメの声優さんのような雰囲気だった(ヤムヤムら女学生もまったくアニメの雰囲気)が、こちらも聴きごたえはあった。ミカド役の松森 治も深みのある素晴らしい低音で、この「冷酷かつ慈悲深き博愛主義者」のミカドを好演していた。最後は吉本の芸人さんみたいな感じだったと言えば、演出家も喜ぶだろうか。なかなかわかりやすくて楽しめる舞台に仕上がっていたが、もう少し合唱やエキストラの人数があれば、空間的な充足感が満たされたのではないかと思った。
それはそうと、休憩時に丸テーブルでサンドイッチをパクついていた時、なにげにふと横のテーブルを見たらすぐそこに飯守マエストロのお姿があってびっくり仰天。マエストロも「ミカド」を観に来ておられたとは! でも、さすがに今回は本物の「ミカド」や「皇太子」のご来臨はありません(笑)
なお当日は映像収録の大型のTVカメラが4台後方に設置されていたので、近いうちにこの模様が放送されることを祈っている。
指揮:園田隆一郎
演出・訳詞・お話:中村敬一
管弦楽:日本センチュリー交響楽団
美術:増田寿子
照明:山本英明
衣裳:下斗米雪子
振付:佐藤ミツル
音響:押谷征仁(びわ湖ホール)
舞台監督:牧野 優(びわ湖ホール)
出演:びわ湖ホール声楽アンサンブル
ミカド 松森 治*
ナンキプー 二塚直紀*
ココ 迎 肇聡*
プーバー 竹内直紀*
ピシュタッシュ 五島真澄
ヤムヤム 飯嶋幸子
ピッティシング 藤村江李奈
ピープボー 山際きみ佳
カティーシャ 船越亜弥
(右はびわ湖ホール上演時の告知ポスター)