grunerwaldのblog

バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭など、主に海外の音楽祭の鑑賞記や旅行記、国内外のオペラやクラシック演奏会の鑑賞記やCD、映像の感想など。ワーグナーやR・シュトラウス、ブルックナー、マーラー、ベートーヴェン、モーツァルトなどドイツ音楽をメインに、オペラやオペレッタ、シュランメルン、Jazzやロック、映画、古代史・近現代史などの読書記録、TVドキュメンタリーの感想など。興味があれば、お気軽に過去記事へのコメントも是非お寄せ下さい。

2018年02月

細川俊夫作曲、サシャ・ヴァルツ振付け・演出のオペラ「松風」の公演二日目を初台の新国立劇場で鑑賞して来た。

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2011年5月にベルギーのモネ劇場で初演されて好評を博し、以後ポーランドやルクセンブルク、ベルリンなどでも上演され、高い評価を得ている。個人的には2013年の2月にベルリンを訪れたのがちょうど「松風」がベルリン国立歌劇場(シラー劇場)で再上演された翌週で、現地で話題になっていたのを覚えている。その時は鑑賞は叶わなかったが、その夏のザルツブルク音楽祭のN響初出演演奏会(指揮デュトワ、フェルゼンライトシューレ)で同作曲家の「嘆き」(ソプラノ:A.プロハスカ)を聴いている。なので、「松風」はずっと気にかかったままだったので、ようやく「凱旋公演」のかたちで東京で観ることが叶ったのは同慶の至りである。この日のチケットは完売だったようだ。

「松風」のタイトルでわかる通り、素材としてはもちろん能の「松風」から取られている。ただし、能の表面的な真似事をオペラでやるのではなく、あくまでも新しいオペラのかたちを模索したと、作曲者は「作品ノート」で書いている。私は庶民なので、庶民の娯楽の歌舞伎や文楽は好んで観に出かけるが、能の実演にはまだ接していない。その意味でも、能の世界への「橋架かり」になることも意識して、この公演を楽しみにしていた。

舞台は在原行平が一時遠国送りとなっていた須磨の浜辺で、作曲者によると、浜辺というのはあの世とこの世の境界線であり、この世とあの世が交通するところであるらしい。能の舞台では演者(霊)と舞台(この世)を結ぶ「橋架かり」に結びつく。行平はここで地元の潮汲みの松風と村雨姉妹と懇ろになったが、行平は都に呼び戻された後に病にたおれ、それを伝え聞いた松風・村雨姉妹もこの世を去る。この悲恋の物語りを聞いた旅僧が体験した松風と村雨の霊との一夜の交流が音楽とコンテンポラリー・ダンスで表現される。その世界は予想の通り大変幽玄で幻想的なものだった。同じコンテンポラリー・ダンスと言っても、二年前のザルツブルクの「ダナエの愛」で観た妙ちきりんなタコ踊りに比べれば、その動きは躍動的で説得力があり、また書画の筆さばきのような美しさも感じられた。

舞台はとても抽象的で、樹木の茂みのような(というか「かすみ」のような)目の細かい網が舞台正面に張りめぐらされ、その向こうでワイヤーで吊られた松風と村雨が浮遊するように無重力的な動きを取りながら歌唱することで、彼女らが霊であることが表現されているようだ。すべてが幻想のような曖昧模糊としたビジュアルのなかで、唯一、浜辺を照らす月だけが明るく美しいのが印象的。

細川の音楽も動と静の対比が印象的で、無調性の弦の浮遊感が絶妙だ。ところどころで聴こえる風鈴の音は、霊鎮めの響きだろうか。音楽自体が、風の音や波の音、松葉のざわめく音など、自然界を意識した一種のアニミズムであるように感じられる。なお、潮汲みの桶の水音や風の音、波の音などはSEで効果的に演出されていた。

能に触発されるかたちで、こうした本格的な世界的鑑賞に堪えうる芸術にまで昇華させるのは並み大抵ではない。近年日本のメディアで多く見受けられるところの、表面的で底が浅く内容の薄い、自画自賛の「日本美化」キャンペーンで大衆の消費に供せられる権力者の玩具的風潮と、今回の「松風」凱旋公演はまったく異次元の別物であり、むしろ日本は7年もの遅きに失していることを露呈したとは言えまいか。なお本公演はNHKのTV収録が入っており、後日「クラシック音楽館」で放送予定とのこと。一幕で上演時間は一時間半。午後三時開演で余裕の日帰り鑑賞だった(ドイツ語上演・日本語字幕)。

[指揮]デヴィッド・ロバート・コールマン [演出]サシャ・ヴァルツ [独奏・独唱]イルゼ・エーレンス(S) / シャルロッテ・ヘッレカント(Ms) / グレゴリー・シュカルパ(Br)/萩原潤(Br) / 他 [演奏]東京交響楽団 [合唱]新国立劇場合唱団

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(こちらのブログ記事は2018年2月にアップしたものですが、それから6年も経った現在でもコンスタントに一定のアクセスがあるのですが、どういう経緯でこのページにたどり着かれたのかが不明で、謎に感じています。もし差支えがなければ、コメント欄で経緯をお知らせ頂けましたら幸いです。なおコメントの公開を希望されない場合は、その旨もお書き添えください。よろしくお願いします=ブログ主より 2024年3月)

いつもドイツやウィーンを旅行してホテルに連泊する際、スーパーやコンビニで必ず購入して部屋に備蓄しておくミネラルウォーターがある。ホテルの部屋の水道の水を飲んでも一向に差し支えはないようなのだが、とにかく飲みくちがきわめてスムーズでとてもおいしく、価格も高くないこのミネラルウォーターが買えるのも、毎回訪独・訪維のひとつのささやかな楽しみになっている。

薄いグリーンのペットボトルの Römerquelle と言うオーストリア産のミネラルウォーターで、たいていのスーパーやコンビニや売店で販売されている。日本では「ローマクエレ」と表記されているようだが、発音としては「ロ」の唇の形で「レ」の発音に近い、「リョェーマー・クヴェッレ」が近いのではないかと思う。現在はコカ・コーラ資本の傘下のようだ。緑色のラベルが炭酸ガス入り(prickelnd)で、赤色のラベルがガス無し(Still, Non gas, ohne Kohlensäure)。ほかに弱炭酸の mild やレモン風味、ハーブ風味のものもあったと思うが、いつも買うのは赤いラベルのガス無し、Still のほうと決まっている。

これが実に口当たりがスムーズで飲みやすく、常温でも冷蔵庫で冷やしても、とてもおいしい。喉に引っかかることなく、ゴクゴクと一気に胃まで落ちていき、疲れた身体を癒してくれる。日本の水道水やミネラルウォーターとはまったく異なる飲みやすさで、病みつきになってしまうのである。

ミネラル含有比率を表す硬度で言うと、日本で一般的な軟水の基準のものはたいてい30~100程度(単位はmg/ℓ)で、フランスのボルヴィックが60くらい、エヴィアンが291、ペリエで400などとなっていて、レーマークヴェッレはそれより高い635となっている(辻調グループ資料参照)。この数字だけ見るととても高い数値に思えそうだが、イタリア産で人気のサンペレグリノは674、フランスのコントレックスは1551、他にもイタリア産で1600以上の数値のものもあるようだ。日本の軟水を飲み慣れていると、この数値だけを見ると、なんだかとても飲みにくそうな印象を受けるかもしれないが、これが案外さにあらずで、上に記したように、大変くちあたりや喉ごしがスムーズで、味わいもよく、硬水はおいしくないのではという印象を大きく覆される。あくまでも個人的な印象でしかないが、そのまろやかさは日本で一般に市販されているミネラルウォーターとは比べものにならない。レストランで注文すると、500㎖の瓶入りで2~2.5ユーロくらいは取られたと思うが、スーパーなら1.5ℓのペットボトル6本パックが4~5ユーロ程度(だったと思う)で買える。重いのでせいぜい1本くらいしか買えないけど。とにかく、水でこんなに感動したのはこの水くらいで、これを飲んだら、そう簡単に「やっぱ日本の水が一番おいしい!」とは軽々に言えないな、と感じるのである。日本では取り扱いしているところはあるのだろうか。


ところで今日は、品切れでバックオーダーとなっていたポスター用のアルミパネルがようやく入荷したので近くのカメラ用品店に買いに行った。年末年始にウィーン国立歌劇場で鑑賞した「魔笛」と「こうもり」の公演当日のポスターを飾るためだ。ウィーン国立歌劇場では、公演当日の公式ポスターが、劇場に併設のCD店「アルカディア」(一階、ケルントナー通り側)で事前に頼んでおくと、幕間にホワイエ内に置かれる臨時の「アルカディア」のコーナー(CDやちょっとっしたおみやげを販売する売店)で購入できる(一枚5ユーロ)。その日の日付も入っているので、鑑賞の記念になる。ただし、丸めてビニールの袋に入れてくれるだけなので、帰国の際は手荷物にして折れ曲がったりしないように気を付けないといけない。公演後に気力と体力が残っていれば、建物一階外側(ケルントナー通り側、「アルカディア」の奥)の楽屋入口で出演者のサインがもらえるので、そのポスターにサインを貰うという手もある。ちなみにスカラ座では、オリジナルサイズでなく、A3サイズほどのミニチュアサイズのポスターが販売されていた。

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