grunerwaldのblog

バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭など、主に海外の音楽祭の鑑賞記や旅行記、国内外のオペラやクラシック演奏会の鑑賞記やCD、映像の感想など。ワーグナーやR・シュトラウス、ブルックナー、マーラー、ベートーヴェン、モーツァルトなどドイツ音楽をメインに、オペラやオペレッタ、シュランメルン、Jazzやロック、映画、古代史・近現代史などの読書記録、TVドキュメンタリーの感想など。興味があれば、お気軽に過去記事へのコメントも是非お寄せ下さい。

2018年05月


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Fidelio as a fake news-----

終演の幕が下りるや、待ち構えていたようにやんやの(とは言わんか、この場合)ブーイングの声が立ちどころに場内に響いたのは想像はできた(以下ネタバレあり注意)。「何年も足繁くオペラの観劇をしてきたけれども、運がいいのか悪いのか、いままでブーイングと言うものをしてみる機会がなかった」「前から一度は半可通のようにカッコよくブーイングというのがしてみたかったけど勇気がなかった」そういう御仁には持ってこいのオペラ上演になったのではないだろうか。なにしろ神聖にして侵すべからざるベートーヴェン唯一のオペラの筋書きの最後を、こともあろうかワーグナー家現当主であるリヒャルト・ワーグナーのひ孫娘がいじくったのである。これはもう、前評判を目にしただけでも、絶対安全圏から安心して、思いっきりブーイングを叫ぶことができるぞ!すげー!「フィデリオ」でブーイングしてるオレ、超カッケェ~!と言わんばかりに鼻息荒く肩で風を切って会場を後にする半可通たちの、それは格好のいいことと言ったら、ありませんな。すんげえ、カッコよかったぜ!彼らが「フェイクニュースだ!」「オルタナだ!」と言っていたかまでは知らない。


ところで自分はブーイングするほど、腹など立たなかった。むしろ、あ、そう来たか、と。確かに最後にピツァロがフロレスタンとレオノーレを殺してしまっては、正統な筋書きからしたら大ひんしゅくですわな。塩冶判官が松の廊下でうっかり高師直をズブリと刺してしまったら、「仮名手本忠臣蔵」じゃなくなってしまいますわな(笑→これは映画「てれすこ」柄本明の一場面)。それはさておき、「レオノーレ序曲第3番」が演奏されるあいだ、主役夫婦二人の遺体をそのまま牢屋に残し、ピツァロが入口を煉瓦で徐々に塞いで行くと言うことの意味を考えていると、そら恐ろしくなってくるというか、戦慄すべきことが眼前に提示されているようで鳥肌が立った。序曲が終わる頃には、夫婦が殺された地下牢の入口は、煉瓦で完全に閉じられてしまった。あったことがなかったことにされる。うその積み重ねで真実が隠蔽されていく。煉瓦が一個、また一個と積み上げられていくごとに、今まさこの国のあちこちで起こっていることが暗示されているようで、身の毛がよだつ。そう感じるには、あまりにタイミングが良すぎて、まさか日本のこのような政治状況に関心があってこういうドラマトゥルギーが練られたとはもちろん思えないけれど、人間の悪行に洋の東西や時代の新旧は関係ないと言う普遍性が感じられて、表現としては悪くはないじゃないかと感じた。その後ピツァロがフロレスタンを装って大臣フェルナンドと絡むところでは、なんとなく大臣も一味のように感じさせるような描きかたで、大臣がアメフトの監督でピツァロがコーチにも思えた。レオノーレの身代わり役は、ちょっと取って付けたようで消化不良気味だったけど。

盛大なブーイングは多分みなカタリーナ・ワーグナーに向けてそうしているつもりなんだろうけれども、そこは相手もさる者で、ダニエル・ウェーバーというプロのドラマトゥルクが(言ってみれば参謀役的に)一枚間に噛むことによって、ワーグナー家の当主に直接類が及ばないように、そこはうまく配慮されている。評判がよければ彼女の仕事として持ち上げられるし、評判が悪ければドラマトゥルクの彼の責任にすれば済むわけだ。2015年にバイロイトで観た「トリスタンとイゾルデ」もこの方式だった。この時も、善良なイメージが定着しているマルケ王を不届きものに仕立てて観客の度肝を抜いていた。まあ、なにかで客をあっと言わせたい性格なんだろう。まあ、自分としては、カタリーナ・ワーグナー自身の本来のオリジナリティじゃないか感じられたのは、第一幕が開いたところの中央のマルツェリーナの部屋の光景で、なぜか「Little Princess」という子供っぽいマークがいくつも描かれたピンク色一色の壁が浮きまくっていて、これはまぁ、フロレスタンが幽閉されている地下牢の陰鬱な暗さとの対比なのだろう。ちなみにフロレスタンのステファン・グールドは第一幕での歌唱はないが、ずっと薄暗い地下牢の壁のあちこちにレオノーレの絵を描き続けている。舞台の装置は、地下一階、二階と地上階と中二階の計四層の立体的で手の込んだ仕掛けになっていて、新国立劇場の舞台装置を駆使した本格的な舞台セットでこれは大変見応えがある。演出・ステージセットともに、まったく意味不明だった2015年のザルツブルク音楽祭の「フィデリオ」に比べれば、はるかによくできたものだった。

肝心の演奏のほうだが、2014年の「パルジファル」から「指環」、「ローエングリン」と大変素晴らしいワーグナー上演を続けてこられた飯守マエストロだが、今回の東響演奏の「フィデリオ」は、ちょっと真面目一筋と言った音楽づくりで、慎重だけれども起伏と盛り上がりに欠け、金管のアラも気になったりで、いまひとつ気分がのらなかった。なにしろザルツブルクでは演出はクソだったが、それでもメスト指揮ウィーンフィルの爆演ぶりは凄まじかったので(特に序曲レオノーレ3番のもの凄かったのは、さすがにレヴェルが違う!)。歌手はもちろん主役のステファン・グールドとリカルダ・メルベートの二人が超絶素晴らしかったのは言うまでもないが、マルツェリーナの石橋栄実さんも健闘ぶりは立派だった。可憐さが一番のマルツェリーナにしてはちょっと声が強すぎるけれども。そう言えば他の「フィデリオ」ではマルツェリーナの存在感ってあまり大きいものではないけれど、今回の舞台ではなぜか大きなシルエットで強調されたり、なぜか看守たちから酷い虐待を受けたりと、彼女の存在がクローズアップされていたのはよく意味がわからなかった。囚人たちの最後の合唱はよかった。解放されたと思いきや、最後は再び悪漢に扉を閉じられ… (※追記;マルツェリーナが看守から執拗な虐待を受けるのは、多分ピツァロがレオノーレに横恋慕していることかなにかの秘密を彼女が知ってしまったので口止めされたと解釈するのが妥当だろうが、あいにく不注意でそれを確認できる場面に気づくことができなかった。この後鑑賞して気がついた人がいたらご教示頂けたら有難い。)

ところでこの演目を観て思い出されるのが、最近の茨城県牛久市の入国管理センターの収容者の人権状況が劣悪なことになっているという気になる報道。相手が不法滞在者という立場の弱い外国人となると、頭と口が空気のように軽いネトウヨな勢力が国の中枢で幅をきかせ始めると、とたんにそのはけ口がそういうところに向いてしまうのというのは気がかりなことだ。死者が出始めているのは最悪だが、盲腸炎や脳梗塞など緊急に適切な医療処置が必要なケースでも放置され重篤な症状に陥る事態も起こっているというのは心配なところである。21世紀の日本でこんなことが当たり前のようになってきているなんて、悲しすぎるではないか。

午後二時開演、休憩30分で午後五時前には劇場を後にし、九時には自宅着のらくらくの日帰り。帰りの新幹線の電光ニュースで突然「ワグネリアン」の文字が目に入り、すわ何ごとか!と思いきや、競馬のことかよ(笑)


【指揮】飯守泰次郎
【演出】カタリーナ・ワーグナー

【キャスト】黒田博/ミヒャエル・クプファー=ラデツキー/ステファン・グールド/
       リカルダ・メルベート/妻屋秀和/石橋栄実/鈴木准/片寄純也/大沼徹

【合唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京交響楽団

源流と言ってももちろんこれがただひとつの源流と言うわけではなくて、様々な時代の様々な事象がその基になっているのは言うまでもないが、「日本すごい」気運のかなり大きな要因のひとつに山鹿素行という江戸時代前期の儒学者の存在があると言えよう。

なんでまた突然そう言う話しになったかをまず説明すると、今年に入ってから哲也さんと圭さんというお二人の小室さんがなにかとメディアで話題になっていて、どちらの小室さんにも縁も関心もない自分としては、小室さんと言えば自分の世代的には「等さん」か「直樹さん」くらいしか思い浮かばないなあ、などとぼんやりと思っていたところ、そう言えば「直樹さん」の書かれた本で、ソ連消滅の何年も前に、そのことをずばり予言しておられたのがあったなあ、と思い出して、カッパブックスの「ソビエト帝国の崩壊」を十数年ぶりに読み返してみたのだ。昭和55年に書かれた本だから、実際にソ連が崩壊し消滅する10年ちかく前からずばりそのことを予言しておられたわけで、それだけでもすごいのだが、その凄まじいまでの博覧強記ぶりには改めて舌を巻く。東大、京大、阪大、マサチューセッツ工科大、ミシガン大、ハーバード大ともの凄い経歴だが、その風貌や型破りな言動から、当時から「変人学者」の異名が付けられていても不思議ではなかったと思う。

そういうこともあって、あらためて小室直樹氏と山本七平氏という碩学二巨頭の対談集「日本教の社会学~戦後日本は民主主義国家にあらず」(ビジネス社)を取り寄せて読了し、凄まじい知性と知性のぶつかり合いと融合に思わず唸った。単に博識ぶりがもの凄いというだけでなく、山本七平氏は旧制高校(青学)卒業後に召集され野砲少尉として終戦をマニラで迎え捕虜となっており、もとより敬虔なクリスチャンである。戦後を通じて世に問うてこられた「日本とはなにか。日本人とはなにか」と言うテーマに、時に軍経験者の視点から、また時には宗教学的視点から、あるいは社会学、経済学的視点から、非常に幅広く多角的な視点から、様々な事象を鋭く深く抉っておられる。すでに1991年に逝去されているが、2018年現在の日本の状況を考えるうえでも、非常に意義大きく有益な手がかりを多く遺されているのではないだろうか。

そうしたなかで、ここ数年で特にマスメディアやネット上で頻繁に目にするようになった「日本美化キャンペーン」、あるいは「日本礼賛キャンペーン」、簡単に言うと「日本すごい」キャンペーンというべき現象が生じているのは多くの人が指摘している。自分自身も、これに対してはかなり唐突でいびつで作為的な印象を受ける。言うまでもなく、発端は「美しい日本」とか言い出した頃からだろう。それまでは、なにもこんないびつな取り上げられ方をしなくとも、普通に日本の優れた技術や伝統美をバランスよく良心的に伝える番組や企画はいくらでもあった。それらには「押しつけ感」も「押し付けられ感」もなかったし、純粋にその良さを伝えたいという思いだけで成り立っていたように思う。でも、現在目に入るそうした番組や企画は、そうした作品としての純粋さが損なわれ、ある種の圧力的なバイアスを感じさせるような、かなり強引で押しつけがましい無神経さが感じられる。もっと言うと、そうした切り口で制作すれば、手っ取り早い「稼ぎ」に繋がるという安直さが透けて見えるのだ。なんでもよく知っていて、だれにでもわかりやすく解説してくれる親切そうな解説者のオジサンが、「…と、言うことでして。日本ってやっぱり、すごいと思いません?」というあからさまな誘導に、ひな壇の若くてちょっと画面映えがいいだけの阿呆みたいなタレントとか芸人が、「ほんとだぁ。日本ってすごーい」という烏滸のやうな反応ばかりが延々と垂れ流されているのを見ていると、気が滅入ってくる。むかし戦争中に侵出したアジアの統治先の現地の子供たちに日本式の教育を行い、幼い彼ら彼女らに「おとーうさん、おかーあさん、ありがとーございます」とか大きな声で日本語で言わせて悦に入って破顔する日本の軍人の姿が戦時中のニュース映像として放送されているのを見た時の違和感、きもちわるさとよく似ている。こうした番組を制作する現場の職員は、どういう思いなのだろうか。生活のためにはもうなにも考えないで、頭を空っぽにして上からの意向と圧力に唯々諾々と従うしかないのか。あるいはこうした国策に沿った番組を作り放送していれば、国庫から報奨金か奨励金でも出される仕組みにでもなっているのだろうか。緻密な検証や繊細な配慮を忘れ、果たしてこれで良いのかといった自省や懐疑の念などは単に煩わしいだけの他人事で、とにかく都合の良い自己肯定的態度のみで時代と趨勢におもねる浅ましさだけではほとんど思考停止状態である。

さてそこでこの思考停止的な「日本はすごい」「日本は特別な国」と言った概念の源流が那辺にあるのかを思ったとき、山本七平の「現人神の創作者たち」(ちくま文庫)を続けて読み進めるなかで、江戸時代前期の朱子学者で兵学者の山鹿素行(1622~1685)が1669年に著した「中朝事実」の影響がかなり大きいことがわかってきた。山本はその著書のなかで、いまもむかしも日本人の政治意識に大きくあるのは慕夏主義であり慕米主義であり慕ソ主義であると看破している。慕夏は中国を慕い政治や文化のモデル、お手本とすることである。確かに江戸時代までが慕夏主義で明治から慕欧、戦後は慕米、一部慕ソ主義として見るとわかりやすい。同じ漢字文化圏の先達である中国を長い間お手本としてきたのはその通りだろう。徳川幕府も中国の儒教、朱子学によりその正統性を明らかにし権威づけるために林羅山を大学頭に任用し、他の思想には厳しい統制をかけた。ところが当の江戸時代前期には肝心の中国では明が衰え、異民族の女真族(満州)が勢力を拡大しており、1644年にはついに北京に入り清朝の中国支配が始まった。この辺りで明から逃れ日本に支援を求めてきて日本人にも大きな影響を与えたのが朱舜水であり、福州から台湾を根城に海賊として活躍していた鄭芝龍、鄭成功父子である。こちらは芝居の「国姓爺合戦」の大ヒットで、そのモデルとして当時から広く知られていたから、中国の王朝交代は当時の日本人にとっても大きな関心事であったことだろう。朱舜水は当時の日本の支配層にも思想的に大きな影響を及ぼし、水戸学にも影響を与えている。ところが肝心の中国たる明朝は滅び北狄たる女真族の支配による清朝に代わってしまった。幕府支配の正統性の根拠とし、お手本としている中国そのものが「中国(中つ国、世界観の中心)」でなくなり、漢人によらない異民族の国家となってしまった。いったい、そのままの慕夏主義のままでいいのか。世界の中心はなんなのか。なにを根拠に国家の基盤としての幕府の支配を正統化すればよいのか。

そこで「日本こそが中国である」という逆転の発想を打ち出したのが、山鹿素行「中朝事実」であった。山本七平著「現人神の創作者たち・上」から一部を抜粋すると

 この「日本こそ真の中国」論とも言うべきものは、山鹿素行の「中朝事実」にはじまると言ってよい。(中略)「日本=中国」で、かつて中国が絶対化されたように、今度は日本が絶対化される。 だがそれは何が何でも日本はすべてにおいて「絶対正しい」という発想だから、今の体制もそのまま正しくなってしまう。そうなると朝幕併存こそ「真の中国」のあり方になってしまうから、極端な体制派になる。(中略)そして戦時中の超国家主義の祖はだれかと言えば、おそらくこの山鹿素行で、その基本が「中朝事実」であり、彼がここに記している中国とは日本のことなのである。(p71)

要するに、それまでの捉え方であった「大陸の中国」の基準で朝幕併存が正統なのか否かをずっと議論してきたけれども、肝心のこの中国が中国でなくなってしまった。それならわが日本こそが「真の中国」と捉えて、その中で解釈して行けば、いまある朝幕併存が既定の事実なのだから、なんの文句があるか、と言う究極の現状肯定である。そうなると日本こそ中国なのだから、なんでもオッケー、自分こそがルールブック、「これでいいのだ。」と言うことになってしまう。そして際限のない自己肯定は、その後の「問答無用」で議論を極端に軽視する傲慢で乱暴なやり方と、その時々の曖昧な空気のようなものに阿諛追従することしかできない日本人の体質として定着して行くことになる。むかし関東軍、いま○○内閣。そう考えると、たかだか70年か80年そこらで日本人の本質がそう容易に変わるとは思えなくなってくる。喉元すぎれば戦争の悲惨さも忘れてしまうようでは悲しい。しかし、こうした際限ない自己肯定と他者軽視(即ち扶清滅洋)の精神こそが、清朝と言う巨象を最後に断末魔に追い込んだ要因であり、19世紀末の波乱の中国史はそれを象徴する「義和団事件」で幕を降ろすと同時に20世紀の扉を開けることになるのである。

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