grunerwaldのblog

バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭など、主に海外の音楽祭の鑑賞記や旅行記、国内外のオペラやクラシック演奏会の鑑賞記やCD、映像の感想など。ワーグナーやR・シュトラウス、ブルックナー、マーラー、ベートーヴェン、モーツァルトなどドイツ音楽をメインに、オペラやオペレッタ、シュランメルン、Jazzやロック、映画、古代史・近現代史などの読書記録、TVドキュメンタリーの感想など。興味があれば、お気軽に過去記事へのコメントも是非お寄せ下さい。

2018年07月


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新国立劇場制作で評判の「トスカ」は今シーズン現地初台での公演がこの7月に行われたばかりだが、千秋楽から一週後の先週末21、22日の2日間、提携公演として全く同一のキャストとプロダクションで、大津市のびわ湖ホールで引っ越し上演された。このうち22日の日曜日の公演(15時開演)を観て来た。この新国立劇場の「トスカ」は2000年にプレミエ上演されてから18年になるが、これぞイタリアオペラの醍醐味と言えるほど、豪華で写実的でスケールの大きい本格的な舞台美術と、オリジナルのイメージ通りの演出で大変評価が高いと聞く。この人気のプロダクションがわざわざ東京に出向かなくても、関西のびわ湖ホールで観れることになるとは、実に有難いではないか。昨年はびわ湖ホールの「ミカド」が初台で上演されたばかりだが、それぞれの熱のこもった人気プロダクションが両方で観れるのは、こうした提携の良い結果として観客にフィードバックされていると言うことであり、制作者側だけでなく音楽ファンにとっても、大変意義大きい交流ではないだろうか。

さてオペラ好きにはすでによく知られたプッチーニの人気作品である。いまさらあらすじをおさらいするまでもないだろう。直近では昨年の6月にパレルモ・マッシモ劇場の来日公演で、大阪フェスティバルホールでアンジェラ・ゲオルギューのトスカで観ているが、その時も良い内容だったが、今回はそれにも勝るとも劣らない大変上質の公演であったことは間違いない。タイトルロールのキャサリン・ネーグルスタッドはウィーン国立歌劇場でも同役で歌っているので期待が高い。東京の千秋楽で体調不良で降板し日本人歌手が代役で出演したと聞き心配していたが、この日は予定通り無事出演し、素晴らしく声量のある迫力満点のトスカを聴かせてくれた。気が強そうながらも舞台映えする美しい容姿もトスカにぴったりである。カーテンコール時にひとりよがりなブーイングしている輩がいたようだったが、一体どれだけのものを求めてこういうものを聴きに来ているのだろうか。あからさまな手抜きやどうしようもない不出来があったならば致し方ないことかもしれないが、なんの問題もなく上出来できちんと役をこなしたアーティストに対してこのようなひとりよがりなブーイングを知ったかぶって叫ぶのは、実に非礼でありシラケるものである。

カヴァラドッシのホルヘ・デ・レオン、スカルピアのクラウディオ・スグーラも実に上出来の素晴らしい歌唱で、感動ものであった。トスカは確かに昨年のゲオルギューには及ばないかもしれないが、男性の主役二人とオケの演奏いずれも、昨年のパレルモ・マッシモの出来を上回っていたと思う。とくに長身のクラウディオ・スグーラのスカルピアは非常にドスの効いた迫力ある低音とピッタリのルックスでまさに適役だった。ドン・ジョヴァンニとかイヤーゴなんかは、いますぐにでも聴きたいという感じだった。東京フィルハーモニー交響楽団の演奏も、実に繊細かつ豪快で美しい演奏だった(一度ヴィオラのソロで思いっきりヨロケた箇所があったが、全体の出来からすれば些細なことである)。ただ、新国立とびわ湖の混声の合唱は、ちょっと人数が多いだけで、感動的な出来とまでは自分には思えなかった。指揮者のロレンツォ・ヴィオッティはまだ20代とのことだが、経歴を見ると2013年のデビュー以来トントン拍子で主要劇場の大舞台を多数経験しており、若くして華々しい躍進とは文字通りこういうことを言うのだろう。新国立の2000年の「トスカ」のプレミエ公演を指揮し、2005年に急逝したマルチェッロ・ヴィオッティの子息であるとのこと。その他、脇を固める日本人歌手も実に手堅く見応え、聴き応えがあった。

しかしまあ、なんと言ってもこの絢爛豪華で写実性が高く、実に本格的で美しいこの舞台セット(照明含む)と衣装こそがこのプロダクションの最大の見ものであることは疑いないことだろう。こうしたオーソドックスな舞台と衣装はどこか一部にでも中途半端な箇所があると、それだけで気の抜けたビールのようになってしまう恐れがあるが、ここまで徹底して完成度が高く、中途半端な箇所が一切ない舞台美術を作り上げるというのは、並み大抵ではなく、予算もかかることだろう。実に贅沢で原作オリジナルの印象に近い舞台演出である。もとの演出家のアントネッロ・マダウ=ディアツ氏が亡き現在、終演後のカーテンコールでは、最後に再演監督の田口道子氏が登壇して労いを受けておられた(なお舞台美術は川口直次、照明奥畑康夫、衣装ピエール・ルチアーノ・カヴァロッティ)。最近ではこうした本格的で気合の入った(予算も含めて)舞台美術や衣装を目にすることができるのも、METくらいになっているのではないだろうか。つい最近の新国立のカタリーナ・ワーグナーの「フィデリオ」でも当初から見込まれた通り、日頃「最近の欧州流の現代版移し替え演出は意味不明で…」とグチばかりのオールド・ファンは、なにも無理して新しいものなど観て冷や水を浴びずとも、この「トスカ」のような舞台を繰り返し何度でも観て溜飲を下げていればよいのだ。「そうだ!これこそオペラの醍醐味なんだから!」。これでS席18,000円(会員17,000円)はスーパーリーズナブルなお値打ち公演だったにも関わらず後方やサイドの席には結構空席も多く、まだ団体でも入れるくらいの入り具合だった。せっかくの優良公演だったのに、来られなかった人はいいものを見逃されましたですな… まあ、このクソ暑い時節も時節ですから。お身体お大事に。

1800年ナポレオン当時のローマでの親共和派のアンジェロッティやカヴァラドッシらと、反共和派で親ハプスブルク派で教皇派のスカルピアとの政治的確執が伏線となっているが、オペラではその辺りは背景がわかる程度であくまでもトスカとカヴァラドッシの悲恋を主軸に、なによりもプッチーニらしい美しい旋律の音楽たっぷりで描かれる。その辺の政治的な伏線のところは原作のサルドゥの「ラ・トスカ」に詳しく描かれているようだが、原作まではもちろん読んでいない。ネットであたってみると、家田淳さんという洗足音大講師の方のブログでかなり詳細に紹介されていて参考になった。


指揮:ロレンツォ・ヴィオッティ
演出:アントネッロ・マダウ=ディアツ
出演:トスカ      キャサリン・ネーグルスタッド
   カヴァラドッシ  ホルヘ・デ・レオン
   スカルピア    クラウディオ・スグーラ
   アンジェロッティ 久保田真澄
   スポレッタ    今尾 滋
   シャルローネ   大塚博章
   堂守       志村文彦
   看守       秋本 健
   羊飼い      前川依子

合唱:新国立劇場合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル
児童合唱:大津児童合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団


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兵庫県立芸術文化センターの佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ「魔弾の射手」(ウェーバー作曲)の二日目公演を鑑賞してきた。昨日の初日はトレステン・ケールのマックス他の出演、今日二日目はクリストファー・ヴェントリスのマックス他によるダブルキャストで、7月29日まで計8回の公演が予定されている。いずれのキャストも魅力的で、できれば両キャストとも観たいところだが、都合が合うのが本日のみだった。兵庫でトレステン・ケールとクリストファー・ヴェントリスのマックス聴き比べなんて、なんて贅沢なキャスティングだろうか。東京でもペーター・コンヴィチュニー演出で二期会の同演目オペラがほぼ同時上演。あちらは歌唱ドイツ語、セリフ日本語となっているようだが、兵庫のほうは、歌唱・セリフともにドイツ語での上演。

佐渡裕指揮で演出はミヒャエル・テンメ。装置・衣装フリードリッヒ・デパルム、照明・映像ミヒャエル・グルントナー。序曲が始まると、舞台前部の紗幕に日本語でこのオペラの背景となっている1618年から1648までドイツ、ボヘミアで甚大な被害が出た30年戦争の説明がごく簡単に投射され、観客の理解の一助になっている。紗幕の奥では序曲のあいだ、カスパールがアガーテを手荒に我がものにしようとしているところへ、マックスが現れて事なきを得る、といった無言劇で三角関係を説明している。

第一幕が開けると、舞台中央に1メートル程度の高足の二重舞台の一辺が中央に直角に突き出るように配置され、その両側が左右の舞台奥へ上っていくスロープとなっている。広い舞台空間をうまく使った立体的で視覚的な舞台装置だ。衣装は当たり障りのない、古風で時代的なもので、まったく違和感なく最初から17世紀のドイツ・ボヘミアの世界に溶け込める。農民の長閑な行進曲の部分では、舞台奥からのバンダの鄙びた演奏が聴こえる。一幕が終わると、舞台転換のため5分ほどの小休止。二幕は、一幕の高足の二重のうえにさらに横10メートル×たて5メートルほどのキュービック状のアガーテの部屋が浮かぶように配置され、こちらも実に立体的で視覚的な効果を上げている。調度類などはシンプルなものだが、部屋は遠近法でうまく表現されている。しっくいの天井から壁にかけての大きな亀裂は、陰鬱たる時の経過・積み重ね、あるいはアガーテの心理の表現か(そう言えば今思い返すと、アガーテとカスパールの額にも亀裂のような生々しい傷あとがあったような気がする)。

そして最大の見せ場となる狼谷の場面では舞台の奥側がせりあがってきて、そこからはしごを伝って舞台前方の狼谷へ降りるという仕掛け。舞台前部の中央の穴の前で、カスパールが髑髏にナイフを刺し、魔弾の調合にとりかかる。てっきりザミエルはこの中央の穴からせりあがってくるものかと思っていたら、前方の紗幕に突然ザミエルの顔のみのどアップの映像が出現し、度肝を抜かれた。そして「アインス!」「ツヴァイ!」「トライ!」とザミエルが数を数えて行く度に髑髏のようなマスクのザミエルの分身たちがその都度いろんなところから立ち現れ、身悶えするような奇妙な踊りのような動きをする。最後に中央の穴から巨大悪魔の化身となったザミエルが出現して二幕目が終わる。これはまあ、なかなかの仕掛けで最後のザミエルは紅白の小林幸子の悪魔バージョンと思えばわかりやすい。そう思った途端、思わず笑ってしまったのだが、なかなか壮大な仕掛けには違いない。

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25分の休憩を挟んで三幕へ。三幕最初の場面はやはりアガーテの部屋だがベッドが置かれて寝室に変わっている。花嫁の介添娘たちは、この部屋の下手側、ベッドの左側のスペースに置かれた椅子の上に立ってそれぞれが歌唱する。でも、エンヒェンがアガーテに、はいどうぞと手渡した箱の中身が不吉な葬儀用の花輪だったって、普通にいまの感覚で言えば、まっさきに疑われるのって、エンヒェンの嫉妬か嫌がらせかいじめだよな、ってここ見る(聴く)度に思ってしまう。いやいや、エンヒェンちゃん、と~ってもそんな裏のないいいコだし、歌もとっても上手なんだけど。その後アガーテじゃなくて結局カスパールが魔弾に倒れる最後の場面は、以前ケンペ指揮ドレスデンのCDを聴いた時の感想そのまんまなので下に記すと、
それにしても、最後にマックスが撃った魔弾が、アガーテでなくカスパールに命中したのがわかった時の、皆の衆の冷酷無比な態度はちょっと痛々しいくらいで(中略)。「花嫁は大丈夫か?」「よかった。花嫁は生きてるぞ!」「やったー!当たったのは悪漢のカスパールだ!神様ばんざーい!」「悪漢はとっとと狼谷に落としてしまえ!ヒャッホー!!」てな具合でして…。いくら悪人とは言え、えらい落差ですな(by米朝風)。それにおおよそ話しの展開を追うだけでは、観ている観客にはカスパールは悪魔に魂を売った悪人なのがわかるが、その他の登場人物の大勢の村人や狩人仲間には特段カスパールがとんでもない悪人だということがはっきりとわかるような前段はなくて、息絶える最後に神を呪う怨嗟を叫んで死ぬくらいのことだ。突然最後にしゃしゃり出てきた正体不明の隠者が(まあ、聖人だというのは流れで理解はできるのだが)、どこの何者なのかもわかりもしないのに、領主までが「なんかよう知らへんけど、なんとなく高尚そうに見えるおっさん、あんたの言う通りや」くらいのノリで、マックスのご沙汰を彼の言う通りに任せてしまうという荒っぽすぎる展開で幕になるというのも、冷静に観ていると凄いことだが(以下略)。

で、演奏のほうはなんと言っても期待は主役のクリストファー・ヴェントリスのマックスだが、まあ世界じゅうの歌劇場でワーグナーなどを歌っている実力派からすれば、当たり前と言えば当たり前くらいの安定した歌唱なんだが、役が役だけにこう、どこか突き抜けて「うわー!すげー!」と感極まるような聴かせどころがあまり多くないのが少し惜しい気がしないでもない。カスパールのジョシュア・ブルームはオーストラリア出身と言うことだが、声量、表現、演技力、容姿どれも言うことなしで大変聴き応えがあった。バスでは最後の短い出番ではあるが、斉木健詞さんの隠者も貫禄ある歌唱で素晴らしかった。アガーテのカタリーナ・ハゴピアン、エンヒェンのマリア・ローゼンドルフスキー、ともにはじめて聴いたけれども、どちらも素晴らしいソプラノだった。アガーテはしっとりと美しい歌唱で、エンヒェンはどこまでも明るく可愛らしいリリックな歌唱で、マックスとの三重唱などもとても美しい演奏だった。介添え娘たちもよかった。クーノの鹿野さんと侯爵の町さんはドイツ語の結構長いセリフが何の違和感もなくてすごいと思った。

合唱は一幕ではなんか人数が多いなあ、くらいだったけど、三幕は一体感があって、さすがに盛り上がった感じだった。 オケの演奏も、ゲスト・コンマスに元ベルリン・ドイツ交響楽団第一コンマスだったベルンハルト・ハルトーク氏やゲストプレイヤーに元ウィーンフィル第二ヴァイオリン主席奏者のペーター・ヴェヒター氏やヴィオラ、チェロ、ホルン奏者をウィーンから迎えており、本格的で聴き応え十分の美しい演奏が聴けた。指揮者は結構よく見えるいい位置で、大きな体躯でダイナミックな指揮ぶりがよく見えた。ただ、一幕での村人らの楽し気で素朴なレントラーのところは、もっと愉快に表情をつけて指揮するものと思っていたら、存外無表情で大して合唱たちのほうを気にかけてもいなさそうな淡々とした指揮ぶりだったのは、意外な印象だった。この豪華なダブルキャストでそれぞれ四日ずつの計八日間の公演、夏休みとは言え贅沢な企画で凄いです。(下の転載写真のように、舞台が変則的なスペース取りだったため、カーテンコールでは横一線で前後に動くのになかなか苦労されているようだった。)



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(写真:兵庫県立芸術文化センター「魔弾の射手」公式ツイッターより転載)


[指揮]佐渡裕 [演出]ミヒャエル・テンメ [出演]町英和 / 鹿野由之 / カタリーナ・ハゴピアン / マリア・ローゼンドルフスキー / ジョシュア・ブルーム / クリストファー・ヴェントリス / 斉木健詞 / 清水徹太郎 / ペーター・ゲスナー [演奏]兵庫芸術文化センター管弦楽団 [合唱]ひょうごプロデュースオペラ合唱団

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