grunerwaldのblog

バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭など、主に海外の音楽祭の鑑賞記や旅行記、国内外のオペラやクラシック演奏会の鑑賞記やCD、映像の感想など。ワーグナーやR・シュトラウス、ブルックナー、マーラー、ベートーヴェン、モーツァルトなどドイツ音楽をメインに、オペラやオペレッタ、シュランメルン、Jazzやロック、映画、古代史・近現代史などの読書記録、TVドキュメンタリーの感想など。興味があれば、お気軽に過去記事へのコメントも是非お寄せ下さい。

2018年08月

先週末NHKのBSプレミアムシアターではさっそく先月7月25日にバイロイトで収録された新制作の「ローエングリン」が放送されたが、その舞台でオルトルート役で出演した歌手ワルトラウト・マイヤーの「クンドリー」「イゾルデ」役の最後の出演の日々を追ったドキュメンタリー番組(2017年Annette Schreier・SCREEN LAND FILM制作<※注1>、「Wagner Legend Waltraud Meier "ADIEU Kundry, ADIEU Isolde"」)が、それに続けて放送された。下記囲み記事と写真はドイツARDの番組紹介HPより引用。

※注1、番組エンディングクレジットによると in coproduction with Rundfunk Berlin-Brandenburg, in cooperation      with ARTE ©SCREEN LAND FILM, RBB, ARTE 2017 と表記されている。 

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Waltraud Meier gilt als eine der bedeutendsten Wagner-Interpretinnen. Als Kundry bei den Bayreuther Festspielen begann 1983 die Weltkarriere der damals 27-jährigen Mezzosopranistin.  Heute wird  sie zudem als berühmteste Isolde-Interpretin unserer Zeit gefeiert. Doch nun hat sich Waltraud Meier dazu entschlossen, ihre beiden Glanzrollen hinter sich zu lassen. Mehr als 30 Jahre lang hat sie die anspruchsvolle Rolle der Kundry interpretiert; über 20 Jahre hinweg verkörperte sie Isolde, eine der schwierigsten Sopranpartien überhaupt. Neben ihrem Gesang und unverwechselbaren Timbre ist es auch die Intensität ihrer Darstellung, die Waltraud Meier zu einer Ausnahmekünstlerin werden ließ.  Sie überzeugte und begeisterte als Marie in Alban Bergs Oper "Wozzeck" ebenso wie im italienischen und französischen Repertoire als Santuzza, Amneris, Eboli oder Dido. Doch es sind vor allem die großen Wagner-Rollen, für die sie weltweit gekannt und verehrt wird - ob als Ortrud, Venus, Sieglinde, Waltraute oder eben, allen voran, als Kundry und Isolde. Die Dokumentation "Wagner-Legende  Waltraud Meier -  Adieu Kundry, Adieu Isolde"  folgt Waltraud Meier rund um ihre letzten Aufführungen von  "Parsifal"  und  "Tristan und Isolde". Offen schildert die Sängerin,  was es für sie bedeutet,   Stück um Stück diese beiden Figuren loszulassen. Mit dem Abschied von ihren Paraderollen endet  ein entscheidender Abschnitt im Leben einer großen Künstlerin,  die selbst aber sagt :  "Für  jeden  Verlust gibt es einen neuen Gewinn."
ARD HPより引用(https://programm.ard.de/?sendung=28724263961799

出身地ヴュルツブルク歌劇場を経て20歳の時にメゾ・ソプラノ歌手としてマンハイムの歌劇場と契約。「はじめてのシーズンで12の役を完璧に歌った」と当時同歌劇場のバス・バリトンだったフランツ・マツーラが回想する。「レパートリーが60作ある劇場で二年間生き抜いた者は、キャリアの最後までどんなことにも耐えられます。」その後1983年にクンドリー役でバイロイトの「パルジファル」に出演し世界的な注目を集めて以来、複雑で深みのあるクンドリー役が持ち役となる。「クンドリーを歌ってるんじゃなく、クンドリーそのものだった」マツーラと演出家ハリー・クプファーは口を揃える。そのクンドリーを歌って34年。マイヤーは2016年3月のフェストターゲでのベルリン国立歌劇場(シラー劇場、バレンボイム指揮)での出演を最期にクンドリー役を引退することを決めた。「今はすべてをやり尽くし、満ち足りた気持ちです。やらなければと思うものはもうありません。(中略)この先やることは、言わば『おまけ』です。」そう語るマイヤーの笑顔に、悲愴感はない。むしろ長年の責任と重圧からようやく解放された印象。「まだ歌える状態でやめると言うのは、いいことかもしれません。『惜しい』『まだ歌える』と言ってもらえます。『もう引退すべきだ』と言われるより、ずっといい」(ベルリン国立歌劇場舞台監督ウド・メッツナー、以下職位名は同番組内容より)。

ベルリンでの最後のクンドリーの姿を追い、カメラは楽屋でのマイヤーやアンドレアス・シャーガーとの舞台稽古に励む彼女を撮影する。「彼女は、いわば音に色を付けることができます。感じたことを音で表現できる稀有な歌手です」(クプファー)。「ニルソンやカラスが今でも語り草であるように、マイヤーもさまざまに語られ続けるでしょう」長年の歌手仲間として率直な思いをルネ・パーペが語る。「彼女は何十年も、最高のクンドリーでした。非常に美しく、あの役に必要なエロシチズムも持ち合わせていた」(演出家、ベルリン国立歌劇場支配人のユルゲン・フリム)。彼らのひとことひとことが、稀有なワーグナー歌手としての偉大さを自然に物語る。ベルリン国立歌劇場音楽総監督・指揮者ダニエル・バレンボイムは彼女の発声と歌唱技術の見事さを語り、バイエルン国立歌劇場舞台監督ヴォルフガング・バッハフーバーは「クンドリーという存在の根底にある悲しみを、誰よりも強く表現した」と語る。まさにその通りと思える賛辞が贈られる。また、マイヤーの声の秘密が常に身から離さない「ボンボン」(飴)にあることも自身から語られる。そう言えば1997年の来日公演での「パルジファル」(演奏会形式、NHKホール)の時、たしかにずっとドロップを口に入れていたのを、よく覚えている。

今後のことについては、まだアイデアはないと言う。普通は歌唱の指導者となることが多いかもしれないが、忍耐力がないので、そうした普通のレッスンには向かないだろうと語っている。ひとつの方向性として、良き芸術上の同僚としてその晩年までともに仕事をしたパトリス・シェローの演出法から学ぶマスタークラスを主宰した事例を紹介している。そして最後に、バイエルン国立歌劇場での最後のイゾルデ出演を追う。指揮はフィリップ・ジョルダンでトリスタンはR.D.スミス、マルケ王はルネ・パーペ、舞台は20年前のペーター・コンヴィチュニーの名舞台の再演。これは2001年9月の来日公演で東京でも観ることができ、よく練られた最後のイゾルデの場面に周囲の多くの観客が涙を誘われていたことを思い出す。このバイエルンでのマイヤー最後のイゾルデの再演の模様が、きちんとした美しい映像で使われている。市販されているのは20年前のオリジナルでメータ指揮のDVDで、ブルーレイもなかったはずだ。この直近の再演盤でマイヤー最後のイゾルデのブルーレイ映像があったら間違いなく購入するのだが。

自分自身にとっては、やはり上記した2001年のバイエルンの来日(指揮Z.メータ)でのイゾルデが最高の思い出だ。その後2007年にベルリンのクプファー新演出(指揮バレンボイム)のでイゾルデを再び聴いているが、圧倒的にバイエルンの舞台と演奏の印象が強い。クンドリーは上記した1997年のベルリン(バレンボイム)来日演奏会形式と、2005年1月にウィーン国立歌劇場(指揮がまさかの!?サイモン・ラトル、C.ミーリッツ演出)。97年のベルリン来日では「ワルキューレ」でジークリンデ(東京)と「ヴォツェック」のマリー(神奈川)でも、マイヤーを聴いているし、そもそもその年の1月にはウィーン国立歌劇場の「ローエングリン」(指揮シモーネ・ヤング、ローエングリンはヨハン・ボータ)でのオルトルートに続いて5月のMETの来日ではなんと「カルメン」をマイヤーが歌うと言う珍しいのまで聴いている(おまけに指揮がプラシド・ドミンゴと言うからもう、お笑い!)。いま思い返しても、1997年は本当に自分史上最強のマイヤー・イヤーだった!2003年のベルリン来日の「リング」では「神々の黄昏」(神奈川)のワルトラウテでも出ていた。2007年以後個人的にちょっとの間ブランクがあり、直近ではN響春祭の「ワルキューレ」(2015年4月、指揮マレク・ヤノフスキ)のゲストでジークリンデを歌ってくれたのに続き、新国立の「神々の黄昏」(2017年10月、飯守泰次郎指揮)でもワルトラウテを聴かせてくれた。そして最後となるオルトルートを、この夏バイロイトの地で観納める(聴き納める)ことが叶ったのは夢のようだ。

マリア・カラスやB.ニルソンは伝説でしか知らないが、同時代に生の声が聴けるワルトラウト・マイヤー様様のおかげで、いかに素晴らしい音楽を体験することができ、いかに深くワーグナーの世界に誘われて来たかを思うと、それら諸役との別れに万感が胸に迫り来る。いち歌手と言うよりも、尊敬すべき一人の偉大な芸術家として、最大級のこころからの賛辞を送る思いである。

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Today, I am ashamed to be an Israeli-

何とも激しい意見表明である。すでに先月のことになるが、1948年の国家樹立以来、解決の難しいパレスティナ問題を抱えながら、このところ右傾化が激しいイスラエルで7月19日、「ユダヤ人国家」法が国会で可決された。

「イスラエルはユダヤ人国家」
賛否分かれる新法が可決

イスラエルの国会(クネセト)は19日、同国における民族自決権はユダヤ人のみにあるとする法案を62対55の賛成多数で可決した。(BBC電子版日本語記事2018年7月19日、https://www.bbc.com/japanese/44883320

今回可決された「ユダヤ人国家」法は、アラビア語を公用語から外したほか、ユダヤ人の入植地開発を国益と位置付けた。また、「不可分で統一された」エルサレムがイスラエルの首都だとしている。アラブ系の国会議員たちは法案を強く批判したが、法案を支持する右派政権のベンヤミン・ネタニヤフ首相は、法案の可決を「決定的な瞬間」と称賛した。法案には、「イスラエルはユダヤ人にとって歴史的な母国であり、民族自決権はユダヤ人の独占的権利」だと書かれている。クネセトでは激しい議論が戦わされ、審議は8時間以上続いた。しかし、ルーベン・リブリン大統領などの反対を受けて一部の条項が削除された。これにはユダヤ人だけの共同社会の建設に触れた条項が含まれる。イスラエルの総人口約900万人のうち、およそ20%がアラブ系で、法律上は平等な権利が保証されているが、二流市民のような扱いを受けているとの訴えが長らく出ている。差別に遭い、教育や医療、住宅面で不利な状況に置かれているとの不満もある。アラブ系議員の一人、アハメド・ティビ氏は、法案の可決は「民主主義の死」を意味すると語った。アラブ系住民の権利を擁護するNGO「アダラ」は、法案が「人種差別的な政策を推し進めることによる、民族的な優位性」を強めようとする試みだと指摘した。ネタニヤフ首相は先週、法案を擁護する発言で、「イスラエルの民主主義において公民権は保証され続けるが、多数派にも権利があり、多数派には決定権がある」と述べていた。
関連記事:ニューズウィーク電子版日本語記事(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/07/post-10633_1.php


これに関して、一貫してパレスティナとの融和を掲げユダヤ人・アラブ人を問わず多国籍の優秀な若い演奏者からなる「ウェスト=イースト・ディヴァン・オーケストラ」を長年率いるダニエル・バレンボイムは7月22日、イスラエル紙「Haaretz」に Op-ed を寄稿し、 「今日、自分がイスラエル人であることを恥じる」とまでの強い論調で、これを批判した。「Haaretz」はイスラエル紙のなかでは比較的融和的でリベラル色の強いと新聞と見られるようだが、この記事はログインしないと続きを読めないようなので、音楽評論家で書籍「巨匠神話」などで有名なノーマン・レブレヒトが開設しているサイトに掲載された要約記事から見てみるとhttp://slippedisc.com/2018/07/daniel-barenboim-i-am-ashamed-to-be-israeli/

The conductor has written an op-ed for Haaretz today, attacking the new Israeli nationality law.  He writes:

The founding fathers of the State of Israel who signed the Declaration considered the principle of equality as the bedrock of the society they were building.  They also committed themselves, and us,  “to pursue   peace and good relations with all neighbouring states and people.”  70 years later, the Israeli government has just passed a new law that replaces the principle of equality and universal values with nationalism and   racism….

We now have a law that confirms the Arab population as second-class citizens. It therefore is a very clear form of apartheid.

I  don’t think the Jewish people survived for 20 centuries,  mostly  through  persecution and  enduring  endless cruelties, on order to now become the oppressors, inflicting cruelty on others.  This new law does exactly that.

That is why I am ashamed of being an Israeli today.

(意訳)
われら建国の父たちは、平等の理念をその基盤とする社会の構築を目指して建国の宣言に署名したのである。そこでは、隣接する国家とその国民との平和と良好な関係を希求することについても言及されている。70年後、イスラエル政府はナショナリズムとレイシズムが平等の原理と世界の普遍的価値に取って変わる新法案を可決させた。アラブ人を二級市民扱いするアパルトヘイトであることは明白である。自分たちがが圧政者となり他者を迫害することのために、多くのユダヤ人が迫害や絶え間のない冷酷な仕打ちに耐えながら20世紀の間生き延びて来たのだと、私は思わない。(しかし)この新法ではそうなってしまう。これが今日、私がイスラエル人であることを恥じる理由である。

右派勢力が強いイスラエルにおいては、さすがの理想主義者のバレンボイムの警鐘も絶望的に聞こえるが、合衆国、イスラエル、日本と世界の三極で同時に進むような右傾化は偶然のことだろうか(右派そのものへの批判と言うより、どちらかと言うとやはりその言動の根源に国家主義的な傾向や人権軽視、人命軽視の傾向が多く見られる点が問題)。ナチスによる極悪非道なユダヤ人迫害を経験した第二次大戦後のヨーロッパの音楽界において、バレンボイムらのユダヤ人コネクションが強い影響力をもってその世界をリードしたことは間違いない事実だろう。理想主義かもしれないが、自由と平等、寛容と博愛の基盤があってこその彼らの活躍であり、多彩で実り多い楽壇であったことも事実だろう。それだけに強い危機感を表明する彼の言葉には考えさせられるものがある。宗教は人を分断するが、音楽と愛は人を結びつける。それはバレンボイムの信念でもあるだろう。バレンボイムが間違ってるんじゃない。最近ちょっとおかしな夢を見ているだけなのだ。つい、そう思いたくなると同時に、いまさらながら彼の精神の崇高さを実感する。(内容の一部を加筆・訂正しました。)

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今回の旅行は全日楽劇鑑賞が入っていて、観光らしい観光はほとんどしなかったが、最後の日(8/1)の「サロメ」が夜の8時からなので、せっかくのザルツブルクだしその日だけは午前と午後を使って遠足に出かけた。旧市街の観光名所はもう何度も観ているので、今回は今まで後まわしにしてきた「ひとりサウンド・オブ・ミュージック・ツアー」をやってみた。幸いお天気も快晴で、絶好のハイキング日和。とは言っても、3時すぎくらいにはホテルに戻ってゆっくりしておきたいので、行ったのはメンヒスベルクの南側、旧市街から1マイルほど歩いたところにある「レオポルツクロン湖沼(Leopoldskroner Weiher)」の湖畔に建つ「ホテル・シュロス・レオポルツクロン(Hotel Schloss Leopoldskron)」周辺と、そこからバスで30分ほどのグレーディッヒという村からロープウェイで山頂まで行けるザルツブルクのシンボル、ウンタースベルク山の二か所。レオポルツクロン周辺までは1マイルほどなので、長閑な緑の景色のなかを歩いて気軽に行ける。いまはグーグルマップで簡単にルート検索ができるし、あらかじめ歩く予定のコースをPC画面でシミュレーションしておけるので、どこに行くにしてもとても便利だ。

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映画「サウンド・オブ・ミュージック」のファンには先刻ご承知の通り、「ホテル・シュロス・レオポルツクロン」はトラップ大佐一家の邸宅の河畔側の庭園と言う設定でロケ撮影が行われたことで有名な名所。ジュリー・アンドリュース演じる家庭教師が、一家の子供たちを連れだしてピクニックに出かけて最後にボートで戻ってきたところでそのボートが川岸で転覆し、全員びしょぬれになってしまって厳格なトラップ大佐から大目玉を食らう、有名な場面のあそこである。ここはもともと1727年から1744年の間ザルツブルク大司教だったレオポルト・アントン・フォン・フィルミアンが甥への結婚祝いとして建てたものらしい(1736年)。19世紀になって何度かオーナーの変遷があり、1918年には劇作家でザルツブルク音楽祭の共同創始者のマックス・ラインハルトがこれを購入し、ザルツブルク音楽祭の催しにも活用したとのこと。その後ナチスに接収されたが戦後ラインハルトの未亡人に返還され(ラインハルトは終戦を見ず1943年に米国で死亡)、1959年にザルツブルク・グローバルセミナーが購入し、セミナーハウスとして活用していた。2014年からはホテルとして営業されている。ホテルとしては豪華で立派な内装の高級感あるホテルだが意外にもランクとしては三ツ星のホテルで、手が届かないほど高い宿泊料と言うほどでもない(とは言えザルツブルク市内のホテルはどこも総じて高い)。なので、このホテルでの宿泊も考えてはみたが、やはりオペラが終わってから徒歩で帰るには遠いので諦めた。もう一泊できればそれも面白かったかもしれないのだが。

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と言うことなので、このホテル自体は私有地なので宿泊客以外は立ち入りはできない。出来ればあのフォトジェニックな二頭の馬の門扉からのウンタースベルクの眺めを写真に撮りたかったのはやまやまだけど。かわりに、池の対岸からのホテルの眺めと、池の西側からのウンタースベルクの眺めということになるが、お天気もよくじゅうぶん美しい眺めである。なお、映画では川のように撮影されていたが、実態はさほど大きくない池である。西隣りにはファミリー向けのリゾートプール施設があって、のんびりと楽しそうな姿が垣間見えた。バート・イシュルのプールを思い出す。

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さてレオポルツクロン池からのウンタースベルクの眺めをひとしきり堪能した後は、他に時間を使うほどのこともないので、近くの Seniorenheim Nonntal という老人ホームに向かって五分ほど歩き、そこのバス停から25番のバスに乗って、そのウンタースベルクの麓のグレーディッヒと言うところにあるロープウェイの乗り場に向かう。ザルツブルク市街からまっすぐに南下し、カラヤンゆかりのアニフを過ぎて間もなく終点のウンタースベルク・バーンの麓駅に30分ほどで到着。そこからロープウェイに乗れば、10分ほどで一気にウンタースベルク山頂に到着。お天気も快晴で、空気も澄んでいて爽やか。眼下にはザルツブルク市街や空港が見える。たったいま訪れていたレオポルツクロンの池も小さいけれどはっきりと見える。ほかの例に漏れずこの山頂にも軽い食事や飲み物を出すレストランがあり、最頂部には十字架がたてられている(大したもので、レオポルツクロン側からウンタースベルクを撮影した写真を高精細で拡大してみると、頂の十字架がちゃんと見える!)。そのピークはガイヤーエックと言う名前で、標高1806メートル。映画「サウンド・オブ・ミュージック」の冒頭セリフではジュリー・アンドリュースが「ウンタースベルクに行ってました」と言って遅刻するところから始まるが、その冒頭の有名な山頂の歌唱のシーンはグレーディッヒからさらに南側のドイツ側に入ったマルクトシェレンベルクと言う村ではないかと思われる。なだらかな丘のその村の景色もよく見えるが、さらに遠くのベルヒテスガーデンは完全に逆光で、霞んでよく見えなかった。ちなみにグレーディッヒからザルツァッハ川沿いにオーストリア側を40㎞ほど南下すると、ピクニックの場面でJ・アンドリュースがギターを手に「ドレミの歌」を歌った丘があるヴェルフェン(Werfen)という村がある。彼女の背景に、映画「荒鷲の要塞」の舞台になったヴェルフェン城が見えるのでよくわかる。話しを戻すと、あいにくレストランは景色の良い席は空きそうになかったのであっさりと諦め、景色をじゅうぶん堪能したので次の谷行きのロープウェイに乗って麓に降り、来た時と同じ25番のバスで戻る。Mozart Steg で降車し、歩いて旧市街の Maredo に移動し、ステーキで昼食。午後3時過ぎにはホテルに戻った。

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                         画面右上に見える白い建物がホーエンツォレルン城、中央から左下に見えるのがいま訪れて来た
            ばかりのレオポルツクロン池、その中央付近に見える白い建物がホテル・シュロス・レオポルツクロン。
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                         南方にマルクトシェレンベルクのなだらかな風景が広がる。この頂の南側の斜面はもうドイツ側。

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今回のバイロイト訪問では、前回・前々回の訪問時は改修のため長期閉館中で見ることができなかったマークグラーフ・ヴィルヘルミーネ辺境伯歌劇場(Markgräfliches Opernhaus)の内部をようやく見学することが叶った。2010年から閉館して修復作業をしていたと言うことなので、まる七年は内部見学ができなかったことを思うと、ようやく再オープンした今年にさっそく訪れることが出来たのは幸いだった。今年の春に修復工事が完了して再オープン後、5月にはさっそくベルリンフィルの毎年恒例のヨーロッパ・コンサートの会場となり、幸運な500名の観客を入れてのコンサートが、パーヴォ・ヤルヴィの指揮で行われ、その模様はNHKでも放送された(ヴェーゼンドンク歌集、ベートーヴェン交響曲4番)。

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ワーグナー・ファン、バイロイト・ファンには今さら説明するまでもない、バイロイトの主要なランドマークのひとつ。プロイセンのフリードリッヒⅡ世(フリードリッヒ大王)の姉で、ブランデンブルク=バイロイト辺境伯フリードリッヒⅢ世の妻だったヴィルヘルミーネの希望により18世紀に建てられた。建築は1745年から48年にかけて行われたが、47年には娘の結婚祝いの催し行事がここで行われた。完成後は、ヴィルヘルミーネ自身が作曲したオペラやジンクシュピールを上演したり、彼女自身が演者のひとりとして出たり、演出に関わったりしたと言う話しだから、そうしたことは後にこの劇場を訪れたワーグナーにも影響を与えたことだろう。ヴィルヘルミーネの死後(1758年)はあまり使用されなくなったとのことだが、それから百年以上経った1871年4月16日にワーグナーは妻のコジマとともにこの歌劇場を訪れている。自身の「ニーベルンクの指環」を上演するための劇場の候補地を探していたのだが、この歌劇場はもともと500人以下の収容キャパシティでワーグナーの理想からは小さく、規模の大きいオーケストラにはピットも狭すぎるなどの理由からその候補からは外されたが、この訪問でワーグナーはこの地を気に入り、この街の丘に自身の理想の祝祭劇場をつくる大きな要因となった。なおワーグナー自身のバイロイト祝祭劇場の原案はゴットフリート・ゼンパーが新たなバイエルン宮廷歌劇場の案として出していたもので不採用となったものをワーグナーが流用したらしいと言うような記事をどこかで見たような覚えがあるのだが、それが何だったか忘れてしまった。もしそうだったら、ワーグナーのことだから、友人だったゼンパーにしかるべき設計料をちゃんと払ったのかなぁ、という疑問が脳裏をよぎったものである。

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劇場の規模としては、以前20年以上まえに訪れたプラハのスタヴォフスケー劇場(またはティル劇場とかエステート劇場とも表記されていた)とほぼ同じくらいのサイズの小規模な劇場で収容約500席。プラハのほうはモーツァルトが同地滞在中の1787年に彼の指揮で「ドン・ジョヴァンニ」が初演されたことで有名だが、私が訪れた時の公演は地方のアマオケの自主制作オペラみたいな感じで、貸しホールのような実態だったのにはがっくりと来た。そのプラハのモーツァルトゆかりの劇場よりもさらに40年ほど古いこのバイロイト辺境伯歌劇場は、内部の装飾も実に本格的で美しいバロック様式劇場の典型で、2012年にUNESCO世界遺産に登録された。木造りの劇場内部がすっぽりと石造りの建物に収められている構造は魔法瓶のポットのようだ。装飾もほとんど木製で、七年におよぶ修復は新たに塗りなおすという単純なものではなく、オリジナルの状態を慎重に忠実に修復・再現するのに費やされたらしい。1994年のカストラートを描いた映画「ファリネッリ(邦題:カストラート)」のなかでこの歌劇場のシーンがあるらしい。バロック・オペラはあまり関心がないのだが。見学は午前九時からで、20-30分程度の間隔で集合順に一組ずつ順番に案内され、ドイツ語か英語で案内してくれる(基本はドイツ語)。たしか8ユーロだったかな。フラッシュ無しなら写真撮影可。歴史的な遠近法のセットが美しい舞台上にスクリーンが下り、10分程度のドイツ語による案内ビデオが流される間は、わかってもわからなくても着席しておとなしく見ているようにと促される。売店では、最新のガイドブックや絵葉書やみやげものが売っている。ワーグナーの祝祭劇場よりも百年以上古いオリジナルの建物・劇場だが、皮肉にもこちらはホール内も冷房が整っている。ホール内の各シャンデリアは結構強い照度で点灯しているのだが(たしかLEDと説明していた気がするが横耳で聞いていたので確証は薄い)、中央から全体を均一に照らす光ではなく、基本的に暗いホール内でどれもが局所的にそれぞれ強く発光しているという状態なので、写真撮影には非常に難しいコンディションで、何十枚も撮ったなかでうまく撮れているものは数える程度だった。さすがにコンパクトなデジカメの限界を感じた。おまけに不要な日付まで入っているし。

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今回のバイロイト訪問のなかで、唯一チケットが取れていなかったのが29日の新制作「ローエングリン」(クリスティアン・ティーレマン指揮、ユヴァル・シャロン演出)の二日目の公演だったことは前記事で書いた。当初エルザ役でネトレプコが出るだとか出ないだとか色々と観測気球が出ていたようだが、ネトレプコはバイロイト以外でじゅうぶんではないか。それでなくても倍率高いバイロイトに、ネトレプコファンが輪をかけて申し込みに殺到されるとまっとうなワーグナーファンにしわ寄せが来ないでもない。それに加えてなに?アラーニャが開幕直前にキャンセルしたので現在鋭意調整中(6/30現在)だと?その四日後、ピョートル・ベチャワがローエングリンを歌うと発表された。舞台を観た結果で勝手な憶測を言うと、衣装が気に入らなかったんではなかろうか。「ベテランとは言え、イケメンで鳴らすこのオレ様に、電気技師の作業服を着てローエングリンを歌わせるのか」と腹を立てたんじゃないだろうか。スカラ座もプイと途中で投げ出すくらいだし。そういう話題は別に最初から、どうでもよかった。だれがローエングリンでも、エルザでも、今回はワルトラウト・マイヤー様がオルトルートでバイロイトに出演する。とにかくそれ一点だった。それがなければ、チケットが取れてなくてもあっさりあきらめていただろうし、もともとチケットももう少し取りやすかっただろう。それが証拠に、二回目の immediate procurement での発売時でも、「ローエングリン」のリセールはまったくなかったのだから。アラーニャ様目当ての客が多かったとしたら、彼がキャンセルした時点でもっとリターンがあってもおかしくはないだろう。今年マイヤーがオルトルートで出ると言っても、来年以降も出るとは限らない。出ない確率のほうが高いのではないか。そう考えると、出来ることならやはり今回のを是非観ておきたい。

逆に、マイヤー様、マイヤー様って言うけどさ、20年前に聴いたマイヤーのオルトルートと同じ感動を、あんた期待してんのか?と問われれば、それは当然その頃とは期待することの質が全く異なるとしか答えようがない。当時ウィーン国立歌劇場の「ローエングリン」(1997年1月:指揮シモーネ・ヤング、題名役はウィーン・デビューしたばかりのヨハン・ボータだった)でワルトラウト・マイヤーのオルトルートを聴いた時の衝撃は忘れられない。魔性を帯びた内面的な表現性に加えて二幕でのあの「ヴォータン!フライア!」のところなど、椅子の背もたれに押し付けられる感じがするくらいの圧倒的な声量で度肝を抜かれた。それと同じ質のものを現在の彼女に期待するほうがおかしいだろう。これまでの経歴を考えれば、ひょっとするとオルトルートのような主要な役で彼女がバイロイトの舞台に立つのも、今後はそう多くは望めないかもしれない。実のところ、できれば80-90年代のバイロイトで生の彼女の舞台を観たいところだったが、バイロイト訪問がようやく実現したのが近年になってからのことなので、この機会に是非とも彼女の立つバイロイトの舞台を観ておきたいというのが一番のところだった。

で、同じティーレマン指揮の新制作初年と言っても、3年前の「トリスタンとイゾルデ」の時は即時購入ですんなりと買えたのだが、今回はそうはいかなかった。即時購入システムのこともSNSの時代、すぐに広く知られるようになって3年前の時よりも倍率は増していることだろう。上にも書いたように7月4日の二回目の即時購入の時点でも、「ローエングリン」のみはずっとゼロのままだった。逆に、「さまよえるオランダ人」の場合は何日経ってもまだ残席多しという状況で、この状況であれば今まで「とにかく演目や歌手は何でもいいから、一度だけでもバイロイトを体験してみたい」という淡い夢を長年抱き続けてきた人々にとっては、条件さえ整っていれば今回はまたとないチャンスであったことは間違いないだろう。それに加えてリセールの日程が7月4日ーforth of July、すなわちアメリカ独立記念日だったと言うのも、どの国を主要ターゲットに見込んでいるか一目瞭然ではないか(単なる偶然?)。

さてそのようなことで、29日の「ローエングリン」のチケットのみ手元にない状態で自身二回目の「パルジファル」(26日)、「トリスタンとイゾルデ」(27日)、「マイスタージンガー」(28日)と予定通り鑑賞し、いよいよイチかバチかの29日を迎えた。正規の戻りチケットがある場合は、当日劇場の北東側北西側にある券売所(カッセ)で発売される。午前の営業は10時から正午までで、午後は2時から4時までの二回である。なので、運を任せで正規の戻り券にありつきたい場合は、午前10時の窓口営業開始に合わせてそれより早く並んでおくか、午後2時の窓口再開にあわせて、それより早く並んでおくか、のいずれかである。で、午前の営業開始をゆとりを持って待つには多分9時前、ひょっとしたら8時半くらいには窓口に居ておかないと気が済まないが、それだと一日の活動開始にはちょっと早すぎる。なので、朝食は普通に済ませて、昼一番には普段の紺のスーツにドレスシャツ、あとは念のためにブラックタイを内ポケットに入れるだけ入れておいてホテルからタクシーで祝祭劇場に移動した。万一正規の発券がなかったら、最悪の場合「Suche Karte」をするより他ないので、一応A4の紙にマジックで大きく「Suche Karte」と書いたものを用意してこれもポケットにいれておいた。紺のスーツにしたのは、Suche Karte する場合、黒のタキシードではちょっと虚しいし、あまりにカジュアルでは良い席だった場合に困るし、まあ、ドレスシャツにスーツくらいが無難だろうと。こういう場合のために、タキシード一着でなくてわざわざもう一着スーツまで用意して来たんだから、なかなかに涙ぐましい努力ではあるまいか(まあ、この後ザルツブルクなのでどの道スーツは持っては行ってたのだが)。

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で、12時半頃に窓口に着くと、すでに先客が一人いて、80歳前後くらいのおじいさんがポータブルの折り畳み椅子で窓口の前で座っていた。そうか、折り畳み椅子か。じいさん、用意がいいな。一時間半だもの、立ちっぱなしはキツイものね。幸いすぐ前にベンチがあって、人がぞろぞろと集まり出すまでの30分くらいは先着の何人かはそのベンチに腰を掛けて待っていた。二番目が私で、それから15分ほど経った頃にスウェーデンから来たという男性が3人目、次にオーストラリアから来たという女性が4人目、という具合に、7,8人目くらいまでのしばらくは顔と来た順番が認識できる程度だったが、やはり人数が増えて来ると、一応整列して並んでおいたほうがいいよね、と誰かが言ってくれて、来た順番通りに列を作って並んだ。この時は三番目のスウェーデン人男性がとても要領よく整然と仕切ってくれて有難かった。「椅子のじいさん、あなたが一番、で日本からのあんたが二番、おれが三番、オーストラリアの彼女が四番、その次のカップルが五番、六番、…」といった具合に愛想よく仕切ってくれた。どんな組織でも、こういう風に偉そうぶらないで快活に仕切れる人間がひとりリーダーでいると、とても助かるだろう。そうこうしてる間にいよいよ営業開始の午後二時となり、その頃には一瞥して20人程度か、それ以上は並んでいただろうか。窓口のドアが開き、一人目の椅子のじいさんがまずは受付の女性に進んで行く。二言、三言、言葉を交わすと、雰囲気から、「いやぁ、高くて手がでまへん」と言って辞退しているのがすぐにわかった。で、すぐに二番目の自分にそのチャンスが巡ってきた。「今日のローエングリンです。A1カテゴリーで席は4列目の中央○○番、価格は368ユーロです。午後の窓口営業で販売可能なチケットは、この一枚だけです」「買います、もちろん買います!喜んで買わせて頂きます!」高いとは言っても、正規料金である。それも、売りに出たのはこのチケット一枚のみで、4列目の中央ど真ん中の言うことなしの特等席である。なんという幸運か!胸をドキドキさせながら現金で精算し、購入手続きを済ませる。そうして振り返ると、一緒に並んでおしゃべりをしてたスウェーデン人の彼やオーストラリア人の彼女、カップルで来て旦那のチケットはあるけど奥さんのがなくて一緒にならんでたご夫婦たちの皆さんが、「Congratulations!」と言っていっせいに拍手をしてくれたのが、とても有難く、とても救われた思いになった。「ありがとう!ありがとう!Thank you very much! Danke schoen! I really appreciate your kindness! I wish you good luck!」それくらいしか言葉が出てこないけど、もう、涙が出るくらいうれしかった。ギリギリの最後まで諦めずに、運を試しに当日早めにカッセに並びに来て本当によかった。普段宝くじではずれ続けている分、溜めおていた運がようやく巡って来た思いだ。その後、一幕後の休憩の時に最初のじいさんやスウェーデン人男性、オーストラリア女性、奥さんのチケットを買いに来てたご夫婦らの姿が見え、スウェーデン人男性によるとその後まもなく Suche Karte をして、幸い10人程度はチケットを売りにきた人から購入が出来たそうである。いやあ、よかった、よかった。何人かには「Congraulations!」と笑顔で直接言って返すことができたのは。二時開始のきっかりに事が成立したので、あとは開演までの間じゅうぶんに時間があるので、隣接のシュタイゲンベルガーのレストランに行くと、まだ客もまばらな時間なので愛想よく接客主任が出迎えて席を用意してくれたので、ゆっくりと昼食をとることにした。年によってメニュー内容は変わるが、ここのチキンのグリルはボリュームもあって、おいしい。

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さて前置きのほうが長くなってしまったが、「ローエングリン」前奏曲のあの繊細にして精緻で精妙な響きが、ティーレマンの卓越した指揮のもと絶妙なニュアンスで開始される。これはもう、今回「トリスタン」と「ローエングリン」の二曲を彼の指揮で鑑賞して、バレンボイムが大巨匠となった現在において、ワーグナー指揮者としてティーレマンほどの卓越した実力を名実ともに発揮できる精力的な指揮者は彼をおいてないということを実感した。とにかく細部の精妙さと音楽のスケールの規模の雄大さと完璧性、揺らぎないがっしりとしたテンポ、その紡ぎ出す音楽の濃厚なロマン性、いずれにおいても、やはり彼こそが現在のワーグナーの第一人者と言われるのも納得の音楽であることをじゅうぶんに実感した。ひとつだけ気になったのは、どのあたりの箇所かは忘れたが、ごく一部の箇所の音楽の切り替わり付近のところどころで、弦楽器の弦を不注意か何かで軽く引っかけたようなピンと言うノイズがちらっとでも何度か聴こえたのは、慎重で厳密なティーレマンにしては珍しいことだなと思った。ごくごく些細な重箱の隅のことである。

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            (以下、舞台写真はプログラム掲載のものを転写したものです。)

幕が開くと、そこはほの暗い色調の青い色で描かれた書き割りのセットで、その絵の雰囲気は子供向けの絵本のようなタッチのようだ(ステージデザイン、衣装:Neo Rauch, Rosa Loy)。舞台の中央には発電所か変電所のようなキュービック状の建物の外観が見え、その上部には大きな碍子のような設備も見える。建物の二階には大きく電気記号のマーク(昔の「ナショナル」(現パナソニック)のロゴみたいな、あれ)が描かれ、その部分は黒い紗幕になっていて、伝令たちの金管楽器数名のファンファーレの演奏が実際に舞台上のこの建物の中から、紗幕を通じて真正面から聴こえるので、とても立体的で迫力がある(上の舞台写真のG.ツェッペンフェルトの背後のスクリーン)。収録映像ではこうした生々しい音場体験はできないだろう。伝令使のエギリス・シリンスの第一声も腹に響く豊かな低音で迫力がある。ゲオルグ・ツェッペンフェルトのハインリッヒ王ら出演者は、背中から翅を生やしたバッタとかコオロギのような有翅類の昆虫たち(羽虫?)の世界の住人を表しているよう。手前に置かれた草の書き割りが人が隠れるほど大きいのも、草の下の昆虫たちの世界を表しているからのようだ。同じように背中から翅を生やしたW.マイヤーのオルトルートは、黒のドレスに昔の女王たちのような大きく派手な立襟を着けていて、さながら毒虫の女王といった雰囲気(※追記:後日NHKがプレミアムシアターで放送したものの説明文では「妖精たちの世界」となっていた。そうか、そう言われればたしかに妖精だ。そのシンプルな漢字二文字が素直に出て来なかった。童話の基礎が薄いのかも)。

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ピョートル・ベチャワのローエングリンは、その発電所(変電所?)の電気技師といったいでたちの地味な作業服姿。手には絶縁用のゴム手袋。まあ、白鳥の小舟に乗った貴人というイメージは全然ない。フリードリッヒによる告発でエルザが窮地に陥る場面では、エルザは発電所手前の大きな碍子のようなものに縛られ、下から火で炙られようとしている。その時突然この発電所のあちこちからビリビリと電気火花(素直にスパークと言う何でもない言葉がすぐに出てこない)が発生し、この発電所の装置がフルパワーにチャージされていき、その電気が上部の器具の先端一か所に集められ、そこから強力な電子ビームがエルザの方に放射されると、何故か彼女は死なずに彼女の縄だけがが解かれて、炙られていた火も消えて彼女が救われる。そうした模様が、劇画チックと言うか、もっと言うと漫画チックな様子で表現される。なかなか面白い仕掛けだけど、ちょっとコミック的で笑えるかな。いかにも「宇宙戦艦ヤマト」のワープ直前の雰囲気と言った感じ。そこに地味な作業服姿のP.ベチャワのローエングリンが現れるという、やはり笑える演出だよな、こうして振り返ってみると(後日ネットにアップされてる動画で見たが、映像では薄暗くてなんのことか今ひとつわかりにくいだろうな)。

一幕でのローエングリンとトマシュ・コニュチェニのフリードリッヒ・フォン・テルラムントの試合は舞台に剣を刺してそこに縄をかけてリングをつくるが、二人が物陰に隠れたかと思うと、突然その二人(実はダブルの子役二人)が舞台の両袖から歌舞伎の「宙乗り」よろしくワイヤーアクションで空中を飛び(有翅昆虫だからね)、中央の上部あたりで剣でやり合い、フリードリッヒの翅が斬られて落下する。そのまま両者が反対側の舞台袖に隠れたかと思うと、再び物陰から舞台上の両者が現れ、ローエングリンがフリードリッヒの翅を斬って勝った、ということになる。ここもちょっと笑いが出た。

二幕のフリードリッヒとオルトルートの場面は、暗闇の野原の草の中で、書き割りの人の背の高さほどの草が右から左へ、左から右へとゆっくり移動し、彼らはその中を出たり入ったりしながら歌う。フリードリッヒがオルトルートにそそのかされる場面では、妖艶なW.マイヤーのオルトルートに、T.コニュチェニーのフリードリッヒがぞっこん惚れているという様子(魔性に絡め取られてしまっていると言ったほうが適切か)で描かれているのが面白い。PCで観るネットの動画では、この二幕前半はもともとかなりほの暗い舞台なうえに全体が紗幕で覆われているので、少々見えずらく感じる。そもそも、PCの貧弱な音質では演奏は「聴く」なんてレベルではなく、確認する程度(HDMIで繋げばTVの音声で観れるかもしれないが、面倒)。今月末にはNHK-BSでTV放映してくれるので、TVの大画面でならもう少し見やすくはなるだろうか。さて「ヴォータン!フライア!」の所ではそりゃぁ、さすがに20年前の強烈な声量ではないけれども、妖艶な表現力で美魔女的な歌唱と演技のW.マイヤーをこうしてバイロイトの舞台で間近から目の前で観ることが出来たのは実に幸いであった。T.コニュチェニーだって、歌唱はまったく何の問題もなく大変素晴らしい声量で歌唱もよかった。終演後になぜかブーイングを受けていたが、「どうして?」という怪訝そうな表情で、二回目のコールには出てこなかった。確かに歌唱法としては役者出身だけあってやや演技性、即ち結構アクの強い個性的なものではあるが、それはそれぞれの好みの範疇の問題である。このブーイングは演奏の出来に対してではなく、なにか他の要因があるのかとも思うので、ご存じの方がおられたらご教示頂ければ幸甚である。彼に限らず、この日出演の歌手でブーイングを受けるべき不出来な歌手など、ひとりもいなかったと言うのが私の正直な感想である。もちろん、こんなことは私の勝手な個人の感想であって、そうは思わない人もおられて当然の話しである。結果が数字や勝敗で目に見える世界とは違って、音楽の世界は受け手によって感じ方が千差万別であることは言うまでもない。

(追記)あと、映像を見てああ、そうだと思い出したのは、二幕第三場の冒頭で、ブラバントの臣民たち群衆が発電所の内部のセットでいろんなポーズを決めて、絵のモデルになっている。絵描きの指示に従って、もっと腕を上げろとか下げろとか顔をあっちに向けろ、いやこっちに向けろとか、立ち位置を直せとか、こと細かくポーズに注文を付けられている。そしてようやく描き終えられてその絵が一瞬、客席側に向けられると、そこには発電所内部の建物の絵が描かれているだけで、事細かくポーズに注文をつけられていた群衆たちは誰ひとりも描かれていない。ちょっとしたギャグのようだったが、前方の席だったのでそれがよくわかったが、後方の席やバルコン、ギャラリーからは何のことかわからない細かい演出だっただろう。映像で見ても、あっと言う間のシーンなので気づかない人のほうが多いのではないか。小さな昆虫なので、描かれているけど見えないと捉えるか、右顧左眄し付和雷同する烏合の衆など居ても居なくても同じという辛辣なアイロニーと捉えるかはさておき、単なるギャグとしてクスッと笑える一瞬だった。

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第三幕、新郎新婦の寝室は、小さな小窓のあるとても小さな建物で、内部はいかにもパワーが十分にチャージされたと言った雰囲気の暖色系のオレンジ一色となっている。この場面ではローエングリンは作業服姿ではなくピカピカのクロームの甲冑を着けた騎士姿となっている。婚礼の合唱の場面は、発電所の内部。お祝いを歌う乙女たちの重唱も非常に美しい。この間、花びらを投げられてずっと真ん中に立っていたのは、マイヤーのオルトルードだったような気がする。いや、オペラグラスであんまり見入ってしまっていたので、他のことに気が付いてなかっただけのことかもしれないが(訂正:これは二幕目後半だった)。第三幕と言うと、その前奏曲と第三場への間奏曲のオケの迫力ある演奏もワーグナーファン、特に金管ファン、低音ファンには堪らない魅力が充実しているが、それも本家本元のバイロイトで、ティーレマンの指揮での演奏だ。もう感涙・感激と言うほかに適切な言葉が見つからない。とにかく豪壮で濃厚でコクがある最高の演奏!さすがにティーレマン!三幕第三場はやはり高い送電鉄塔の下の草むらの中の昆虫たち。男たちは、白い蛾が光っているようなオブジェを先につけた槍のようなものを持っている。ハインリッヒ王のツェッペンフェルトのバスの美声はいまさら言うまでもないが、彼らはなにかにつけて両手を立てて手のひらをブルブルと振るわせている。昆虫のしぐさと言う以外に、何か特別な意味はあるのだろうか。最後にローエングリンが姿を消すと、エルザが行方不明だった弟のゴットフリートを連れて下手側から出て来るのだが、ゴットフリートは全身緑色のアンペルマンのようなキャラクターの恰好で現れる(あ、ベルリンに行方をくらましていたとか、関係ないか(笑))。そして最後に彼が緑色の木のかたちの像をうやうやしく上に掲げると、何故かエルザとゴットフリート、そして火刑にかけられそうになっていたオルトルートの三人を除いて他の登場人物、じゃなくて昆虫たち全部がばたりと倒れて全滅したことを暗示させている。これは捉え方は様々できると思うが、自分としては電力に象徴される人間の事情による環境破壊に対する警告と自然保護の訴えと受け取るのが素直な解釈ではないかと感じた。

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ピョートル・ベチャワは四年前にウィーンの「ファウスト」やその翌年の夏のザルツブルクでの「ウェルテル」演奏会形式で聴いているが、多言語対応可能の万能型正統派テノールと言う印象がある。それにしても独・伊・英はもちろん、フランス語にロシア語に母国語のポーランド語となったら、それだけで六か国語対応である。おそらくイタリア語ができる人なら、スペイン語だって身に着けるのは早いだろう。凄い言語能力だと感心するが、もちろんローエングリンの歌唱も豊かな声量でコントロールもしっかりとしていて、聴き応えじゅうぶんのローエングリンだった。エルザのアニヤ・ハルテロスも声量たっぷりで聴き応えじゅうぶんで申し分のない歌唱で素晴らしかった。主役歌手の6人はどの歌手も力量・人気十分の贅沢なキャスティングで手ごたえじゅうぶんで全員素晴らしい演奏だったが、特に最大のブラボーを受けていたのは、この日は間違いなくタイトルロールのベチャワであった。それともちろん指揮のティーレマン。カーテンコールでは、ピットの奏者を舞台にあげてのカーテンコール。本当に素晴らしい演奏とわかりやすく面白い演出で、午後一番に窓口に並んだ甲斐があった、幸運な一日となった。自分としてはこのバイロイトではじめて、オルトルートという大きな役で、敬愛するワルトラウト・マイヤーの歌唱が聴けたのも、生涯に残る思い出となった。

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実を言うと今回のバイロイト訪問では、希望の「ローエングリン」一演目のみどうしてもチケットが取れていなかった。取れていたのは、7月26日の「パルジファル」、27日「トリスタンとイゾルデ」、28日「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、そして30日の「さまよえるオランダ人」の4演目。もちろん、25日のフェスティヴァル開幕初日の新制作「ローエングリン」を狙うというような無謀な企てはしていない。二回目以後の公演であれば、仮に売り切れであっても万が一のリターンチケットの発売やズッヘカルテの可能性もゼロではないだろうことに期待をかけて、あえて二日目の「パルジファル」から30日の「オランダ人」までの5演目が観れればと思って立てた旅程である。なので、今年新制作の「ローエングリン」を除く他の4演目はすべて前回2015年の初訪問時と二回目の2017年にそれぞれ一度鑑賞している演目の二度目の鑑賞になる。2015年に最初に訪れた時はチェックは緩やかなもので、チケットのチェックは客席入口の扉の前一か所だけだったので、建物のなかのクロークやトイレまでは誰でも自由に通り抜けできる状態だったのが、その後の相次ぐテロで警備とチケットのチェックが厳しくなり、17年に再訪した時には、建物の入り口でもチケットのチェックがあったので、誰でも入れるという状況ではなくなっていた。29日の「ローエングリン」は幸運にも当日午後に出たただ一枚の正規リターンチケットを劇場のカッセで購入することができ、4列目中央という願ってもないベストな席で鑑賞することができた。「ローエングリン」のくだりは後に書くとして、まずは最初の三演目からまとめておきたい。

なお掲載した写真の日付は時差を修正しなっかたので、すべて現地とは7時間ずれている。要するに現地で27の夜(夕方5時以後)に撮影したものは写真では28日の日付となっている。普段は日付など入れていないのに、なんで今回に限って日付をオンにしていたんだろう。

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まずはじめの26日の「パルジファル」(ウヴェ・エリック・ラウフェンベルク演出)は、昨年までと変わってセミヨン・ビシュコフが指揮者となってのこの演目のシーズン一回目の公演となる。滞在中この日のみ、建物入口でチケットとパスポートの提示を求められ、券面の名前との照合が行われた。なので、他者から他人名義の転売チケットを買う際には、シーズン最初の2、3日程度は避けたほうが無難かもしれない。この日は滞在中もっとも気温が高く、とても暑い日で、とても上着を着続けることなど不可能だった。客席ではほとんどの男性は上着を脱いで鑑賞していた。今回はパルジファル役のアンドレアス・シャーガーとクンドリーのエレーナ・パンクラトーヴァ、クリングゾルのデレク・ヴェルトンは去年までと同じだが、アンフォルタスがトーマス・J・マイヤーに、グルネマンツがギュンター・グロイスベックに変わっていた。グロイスベックは「マイスタージンガー」でもポーグナーで出ている。

ビシュコフはバイロイト初登場じゃなかったかな?演目初日ということもあってか、一幕目は少々安全運転というか慎重さが目立つ演奏に感じられたが、二幕目の音楽、とくに花の乙女たちの場面の音楽などの美しいことと言ったら、それは素晴らしかった。二幕目は完全な大ブラボーだった。ところが、三幕目でアクシデントが起きたのは、なんと聖金曜日のもっとも重要な盛り上がりの直前。この場面では舞台奥に植物に覆われた滝のセットが現れるのだが、この場面転換の最中に、ほぼ中央に置かれた一番目立つ観葉植物がセットのなにかに引っかかって、どてんと無様に横倒しになった。それだけならまだしもその直後くらいに、これはそのトラブルとは直接関係ないのだが、右後方の客席のあたりで急病人が出たようで、その処置のため救護係員が駆け付けたりで相当慌ただしい雰囲気となり大きな音も発生していた。気分が悪くなった客が退出するだけでも難儀なこの劇場客席で、上記のような状況は想像を絶する。このアクシデントは演奏者側からもじゅうぶんに見えていたようで、それが演奏に影響を与えないわけがない。シャーガーの独唱は妙に昂って乱れてしまい、オケの演奏も一気に乱れてちぐはぐなものになってしまった。あの聖金曜日の音楽の場面で、である。これにはさすがに参ってしまった。この急病人以外にも、三幕目だけであと二人くらいは途中退出者が出たように記憶する。それと、携帯電話の呼び出し音が鳴ったのも一回ではなかった。日本の高校球児の炎天下でのこの時期の甲子園が、伝統の一言でそのままでいいのか疑問に感じるのと同じように、いい加減バイロイトも空調対策と携帯電波遮断器、この二点はいくら伝統と言っても、改善はされるべき課題だと思う。そう考えると、精神主義で我慢しろと言う傾向は、日本人とドイツ人は似通っている。結局、三幕終わった際には、二幕目と正反対で大ブーイングである。演奏者に落ち度があったとは思えない。あの状況での演奏の乱れは不可抗力に近いだろう。それでも、シーズン最初の「パルジファル」に期待して集った観衆の不満はどうしようもない。それだけに、出演者それぞれや指揮者がカーテンコールで出てきた時は盛大な拍手とブラボーでブーイングは一切なかった。演出家が出てきた時には、ブラボーとブーイングが半々という感じだった。

翌27日は、やはりの自身二回目の鑑賞となるクリスティアン・ティーレマン指揮、カタリーナ・ワーグナー演出の「トリスタンとイゾルデ」。トリスタンは従来通りステファン・グールドで、イゾルデはペトラ・ラング、マルケ王がルネ・パーペ。クルヴェナールのイアン・パターソン、メロートのライムント・ノルテ、ブランゲーネのクリスタ・マイヤーは前回鑑賞時と同じ。席は前回は13列目の中央付近だったが、今回は7列目の中央からちょっと左手よりの実に良い席。前日のアクシデントのあったビシュコフの「パルジファル」と較べてはビシュコフや他の演奏者に気の毒だが、さすがに演奏の精緻さ、濃厚さ、雄大さにおいてこのバイロイトで看板指揮者のティーレマンに適うものはいないだろう。これぞ求めているバイロイトの「トリスタンとイゾルデ」だ。前回2015年に聴いた時よりも、より濃厚で密度の高い演奏に感じられ、この際二回目も聴いておいてよかったと思った。三幕、死を前にしてイゾルデを待ちわび恋焦がれるトリスタンが生死の間でイゾルデの幻覚を見る。それは顔のない人形のイゾルデだったり、首が取れて転げ落ちるイゾルデだったり、顔面血だらけのイゾルデだったりの幻覚である。カタリーナの演出にああだ、こうだと文句をつける人は多いが、この場面の演出はトリスタンの内面と音楽を実によく表現している良い演出だと思う。もちろん、それ以上にティーレマンの濃厚で完璧な演奏と、舞台やや下手側、自分の目の前数メートルのところで圧倒的な歌唱力で切々とイゾルデへの思いを熱唱(文字通りの熱唱だ)するステファン・グールド。ここまで狂おしいまでに一人の女性を思い焦がれながら、死の淵を彷徨う男の絶唱を間近に体感し、それは琴線にびりびりと響きまくるにじゅうぶんだった。この度の3度目のバイロイト訪問、6度目のこの祝祭劇場での観劇にしてはじめて、ついに感涙で嗚咽を抑えるのに苦心する瞬間が訪れた。やはり「トリスタンとイゾルデ」の最高の演奏に触れると、感極まってしまう。と言っても実演でここまで感極まったのは、1994年のアバドとベルリンフィルの来日マーラー第九番の終焉部、1997年にウィーンで観た「ローエングリン」でのワルトラウト・マイヤーのオルトルート、2001年頃だったかのバイエルン歌劇場の来日公演でのやはりワルトラウト・マイヤーの「トリスタンとイゾルデ」の最後の愛の死の場面の時など、数えるくらいだ。直近では以前にもブログで書いたが、二年前にザルツブルクのマティネ・コンサートでカリディスのモーツァルトを聴いて以来の感涙。何年かけて何度もオペラやコンサートに通っていても、ここまで感極まると言うことは滅多にあることではないのだが、やはりこうした瞬間がごくたまにあるので、劇場通いはやめられない。なので、ハンカチとポケットティッシュと咳止めの薬は必携なのだ。こうした時にハンカチがなかったらと想像すると、ぞっとするものだ。ルネ・パーペのマルケ王も深みがあって実によかった。ところで、最終盤のまさしくいよいよイゾルデの愛の死になろうかと言う時も時、なんとよりによって左隣りのオッサンの携帯の着信音が大きく鳴り響いた。それももう15年以上前くらいに海外でよく聞いたあの「バカボンボン、バカボンボン、バカボンボン」と三連音のいかにも間抜けな電子音のあれだ。演奏中の着信音は何度も体験しているし、今回の「パルシファル」でも「トリスタン」でも何度か携帯が鳴って、バイロイトのチケットも取りやすくなったぶん、客の質も比例して落ちたものかと思ったが、まさかすぐ隣で鳴らされるとは想像もできなかった。これで興が冷めてしまって、ペトラ・ラングのイゾルデの愛の死はグールドほどの感情移入までとは行かなかった。ここでは休憩が一時間たっぷりある。第一幕目はしおらしく携帯の電源を切っていても、大抵休憩時にオンにして、二幕目・三幕目はそのまま忘れてるってのが防ぎきれない。伝統の雰囲気を損なうというので、正面の幕に携帯禁止の絵柄が大きく表示されているだけで、ドイツ語・英語の注意のアナウンスすらない。これはさすがにいい加減見直されたほうがよろしいかと思う。

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三日目は昨年プレミエで観たフィリップ・ジョルダン指揮、バリー・コスキー演出の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」。ミヒャエル・フォッレのハンス・ザックス、クラウス・フロリアン・フォークトのヴァルター、ギュンター・グロイスベックのポーグナー、ダニエル・ベーレのダーフィトなど主要キャストはほぼ前年通りで、エーファのみアンネ・シュヴァーネヴィルムスから今年はエミリー・マギーに変わった。アンネ・シュヴァーネヴィルムスはこのプロダクションとしては、エーファをコジマ・ワーグナーのイメージとして見せる演出としては絵になっていたのだが、やはり最高音部に正直に言って難がある。その点エミリー・マギーは歌唱は問題なしだが、メイクでどういじってもコジマ・ワーグナーという感じではないので、その点を期待するとなるとどうなるかとは思うが、多分そんなことに期待をする人はごく少数か、いないだろう。大きな変更点として、第二幕の冒頭はプレミエではワーグナーとコジマの草原のピクニックという雰囲気だったのが、この大がかりな草原のセットが最初からなくなっていた。二幕後半でセットが転換する際に、このカーペット状の草原のセットが上に吊り上げられて次のニュルンベルク裁判の法廷のセットに変わる仕掛けだったのだが、多分労力がかかり過ぎるので変更となったのだろう。もうひとつ、素材が太目の紐を草原に見立てて作成した厚めの絨毯のようなものだったので、歌手の声や演奏の音を吸音してしまうのも演奏者側からすれば、難儀だったのではないだろうか。苦労して制作したスタッフは残念だっただろうけど。あと、音響面で言えば、やはりどの席に座っても天井の化粧板からの反響音の影響がこの劇場の大きな特徴であることがよくわかる。それと、昨年大きく感じた合唱とオケの演奏の音のズレは、今回はさほど気にならず、圧倒的で凄い声量のコーラスがオケの充実した演奏とよくマッチして大変良い演奏だった。やはりバイロイトの合唱は抜群に迫力がすごい。ただ、前回は15列目中央付近の良い席だったのだが、今回はパルケット最後方に近い28列目ということもあって、さすがに舞台との距離感は如何ともしがたかった。舞台が遠くに小さく見えるだけでなく、前列との段差も詰まってくるので、前方や中央付近の席に較べかなり窮屈な感じが強くなり、前の席の人の頭で視界にも影響が出る。やはり舞台や歌手もよく見たいとなると、パルケット前方から中央付近15列目くらいまでがベストだろう。もっとも後方でも音には問題なく、歌手の声やオケの音は天井からの反響が近い分、しっかりと正面から聴こえるような印象だった。フォッレ、フォークトはじめ主役勢は非の付け所がないバイロイトならではの贅沢なキャスティング。カーテンコールでは演出のバリー・コスキーが登場すると盛大なブラボーと、同程度のブーイングが入り混じってかなりの興奮状態だった。

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8月1日、ザルツブルク祝祭音楽祭フェルゼンライトシューレ午後8時、F.W=メスト指揮、ロメオ・カステルッチ演出ウィーンフィル演奏の「サロメ」を鑑賞。ザルツブルク音楽祭の三つの主要演奏会場のなかでも、とくにこの無機的で幻想的な岩壁の舞台のフェルゼンライトシューレで「サロメ」が観れるなんて、鳥肌が立つではないか。演出は、昨年バイエルン歌劇場の「タンホイザー」の来日公演で観たロメオ・カステルッチ。予想された通り、他とは一風変わった奇妙と言えば奇妙だが、格段に気合の入った舞台と演奏が今回の7日間の鑑賞旅行の最後に観ることが出来たのは幸運であった。


午後8時定刻、照明が落ちると係員の先導で会場の下手からF.W=メストが姿を現し、拍手の中ピット前通路を歩いて柵で仕切られた指揮台に降りる。以前に「コジ・ファン・トゥッテ」と「三文オペラ」をここで観た時はオケ・ピットの高さは客席前部と同じ高さだったが、今回は1メートルほど下げられているのだ。オケピの高さはセリで調整されるようだ。もちろん、N響の初出演の時(2013年)のように、演奏会の場合は舞台と同じ高さまで上げられ、より広いスペースとなる。

拍手の後メストがオケに向き合うと、静かに目を閉じて数分の間演奏を始めず、無音の瞑目の時間が2分、3分、いや4分くらいたっぷりとあっただろうか。その間、SEの虫の鳴き声がかすかに聞こえ、幻想感を強調する。カーテンの右下方には「TE SAXA LOQUUNTUR」の文字が金色で表示されている。これは、祝祭劇場北側の有名な馬洗い池の交差点から西側すぐに見えるジーギスムント門トンネルの上部のレリーフに彫られているラテン語で、「The Stones Talk About You」の意味らしい(ちなみに英語でも多弁なことを loquacious という)。このトンネルは祝祭劇場のある旧市街とメンヒスベルクを挟んで西側の地区を繋ぐ130メートルほどの車道で、両側には歩行者と自転車用の側道が並行して掘られている。北側の歩行者用通路はカラヤンプラッツの馬洗い門に直通し、南側の歩行者通路は祝祭劇場の裏側を迂回する形で、祝祭劇場南端のハウス・フォー・モーツァルトの舞台裏側と通じている。夏の暑い時期でも、トンネル内は自然のクーラーでとても涼しくひんやりとしている。駐車場の入口にもなっている。

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話しが逸れたが、演奏までの無音の時間。メストはずっと瞑目したままで微動だにせず。3分以上、ひょっとしたら5分くらいにも感じるほどの時間にも感じたが、実に良い取り組みだ。オペラでも演奏会でも、演奏時間という制約があるので、たいていは指揮者がオケに対峙するやすぐに演奏が始まるものだが、こうした演奏前の沈黙は、もっとあってもいいと思う。無音、沈黙もむしろもっとも雄弁な音楽だ。TE SAXA LOQUUNTUR は、そういうことなのか、とそう言えば、「能」の演目などをこのフェルゼンライトシューレの岩舞台でやったら、じつに幽玄で美しいだろうな、などと感じる。いままでにそうした取り組みはあったのだろうか。ところで音楽が始まる前だったか、始まってからだったか、ステージ上部の可動式の屋根が途中までスライドして開けられると、メンヒスベルクの山裾から見える外はまだ明るい。わー、と思って感心していたが、音楽と舞台に集中しているあいだに、いつのまにか再び閉まっていた。

さてナラボートの歌唱で始まるあの美しい音楽。何度聴いてもぞくぞくするものだが、このフェルゼンライトシューレでメスト、ウィーンフィルなんて、もう失神しそうなくらいである。輝く月も美しいはずだが、黒い月となっているのは月食を意味しているのだろうか。この黒い月は後半、舞台上手側の端で巨大な黒い風船となって膨らんで行くのはバイロイトのベックメッサーの顔風船のアイデアの影響か。演出家というのは誰でもたいがい奇人か変人でないと務まらない職業だとは思うが、カステリッチも相当の奇才らしく、その演出はまったく平凡さのかけらもなく、すべてが普通とは違っていて、すべてが奇をてらっていた。奇をてらうと言うのをとにかく嫌悪する日本人は多いが、ここでカステリッチが奇をてらわないで、どうして彼がここで「サロメ」を手掛ける意味があろうか。ここでウィーンと同じバルログとユルゲン・ローゼの「サロメ」と同じものを期待して何になる。それならウィーンに行けばいいのだ。

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サロメは踊らない。代わりに、SAXAという題字が表示された台のうえで、「岩」の芸術品の如く身体を畳み折り曲げて黒い縄で縛られた裸のサロメが、微動だにせずに、まるで置物のように陳列されているかのよう。こんな体の畳みかたは、普通の人にはできないので、バレエか曲芸でもやっているひとにしかできないだろう。それでも観ているだけでもこちらが息苦しくなってくるのだ。そして「七つのベールの踊り」がクライマックスに達する時、上部から吊り下げられた同じ大きさの真四角の岩石がサロメを押しつぶし、再びそれが上にあがると彼女は手品のように消えてなくなっている。息苦しくなるといえば、度々舞台上をビニール袋に入れられた死体らしきものを引きずった男たちが行き来する。時にはまだ息のある人も同じようにビニール袋に密閉されて運ばれてくる。これが、その袋のなかで苦しそうにもがき、悶えている。観ているこちらが息詰まり、苦しくなってきそうだ。そしてサロメはヨカナーンの生首の唇に接吻しない。ヨカナーンの首は出て来ず、逆に首を斬られた死体が椅子に座った状態で出てくる。彼女はそのうえで歌い、傍らにはヨカナーンでなく切断された馬の首が置かれている。こうした場面はそれでもまだある程度意味がわかるほうで、なぜか白い液体(ミルク?)をいくつものポリタンクでぶちまけて、そのなかでサロメがうたったり、最初から最後まで奇妙に床をモップで掃除し続ける人がいたり、突然舞台の中央で二人のボクサーが出てきて拳を合わせたかと思うと何分もの間ストップモーションで人形のようにまるっきり動かなったりと、とにかく奇妙さと奇怪さ、不快さ息苦しさを視覚化することにこだわった演出のように感じられた。ビニール袋に入れられた死体様のものはすでに前半からたびたび舞台を横切るが、これもこのオペラのタナトスと腐臭感を強烈に際立たせている。前日に観た「魔笛」とは正反対の、おどろおどろしい舞台演出で大変見応えがあった。

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歌手はなんと言っても主役のリトアニア人のアスミック・グリゴリアンが可憐で少女らしい美形と実に聴き応えのある迫力ある歌唱で、最大のブラボーを受けていた。ザルツブルクでは昨年「ヴォツェック」のマリーでデビューしているらしい。ヘロデのジョン・ダザック、ヘロデアスのアンナ・マリア・チウリの非常に強力で聴き応えがあった。ウィーンフィルの演奏で「サロメ」を聴くのは、2012年の来日公演(メストに代わりペーター・シュナイダー指揮)以来だが、何度でも聴きたくなる精緻で美しい、素晴らしい演奏だ。斜め後ろ5メートルほど後ろの至近から熱演するメストの姿が観れたのも素晴らしい体験だった。(追記:後日、ネットにアップされていた初日の模様のフル動画をHDMIでTVの大画面で観た。舞台のイメージはあの通りだが、冒頭の無演奏の部分はいくらか短縮されているようだ。あと、前半のオケの演奏ではちょっと木管の歯切れが悪いのが、やや気になった。私が観たのは二日目の演奏でTVカメラは入ってなかったが、木管の立ち上がりももっと軽く鋭く、映像で観る初日の演奏よりはずっと聴き応えがあった。)


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(上掲載の舞台写真三点は、プログラムに掲載のものを転写したもの)


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なお今回ザルツブルクでは、この「サロメ」前日の「魔笛」の公演(7/31、二回目)も祝祭大劇場で観ることができた。こちらはコンスタンティノス・カリディス指揮ウィーンフィル演奏でアメリカ人女性のリディア・シュタイヤー演出の舞台。祝祭大劇場の広大な舞台空間を利用して、サーカスは出てくるはピエロは出てくるは、遊園地は出てくるはのとても大がかりなセットで絵本風でメルヒェン的な仕掛けが印象的だった。一幕が開いた時の二階の建物の部屋の光景は、3年前ここのハウス・フォー・モーツァルトで観たスヴェン・エリック・ベヒトルフ演出の「フィガロの結婚」の舞台構成とよく似たつくりだった。広い舞台のあちこちを動きながらそれぞれの歌手が歌うので、ちょっと集中できない感じ。舞台の上手側が少年三人の寝室で、おじいさん役の俳優がマイクを通して絵本の内容を話して聞かせるという趣向。当初はブルーノ・ガンツ(ベルリン天使の詩、ヒトラー最期の12日間など)出演と聞いて期待をしたが、直前に重度の病気を公表し、クラウス・マリア・ブランダウアーが代わりに語り部役を務めると発表された。一幕は上記のようにメルヒェンチックな舞台だったが、二幕のイシスとオシリスの肖像が巨大な旭日旗に描かれて登場し、びっくり。意味がわかって使っているのか(最終的にこの垂れ幕は引き下ろされる)、知らずに単にデザインとして使っているのか。火と水の試練の場面では、突然爆撃機や戦闘機の爆音が会場中の四方八方から大きく響き渡り、これがもの凄い臨場感で、並みの映画館の5.1chシステムをはるかに凌ぐ音響設備が完備されているとは初めて体験した。同時に舞台の画面では大戦中の相当ショッキングな映像が断片的に映し続けられ、トラウマのある人には心地よい演出ではなかっただろう。それはとにかく、各部分の演奏が終わると同時に語り部役のおじいさんのナレーションが入る演出のため、普通なら拍手が入るであろうところでパラパラと拍手がおこりかけたり、なかったりで、そのタイミングに観客はちょっとストレスを感じているように思えた。そんなこともあって、この演奏ではカリディスの最大の持ち味である切れ味の鋭さが十分には発揮されないものになったのはちょっと残念だった。それでも序曲だけを聴いても、このウィーンフィルからこのような切れ味の鋭い新鮮な音を引き出しているところは、さすがにカリディスならではだった。カリディスの指揮で聴いたのは、二年前のモーツアルテウム協会大ホールでのマティネ・コンサート(モーツアルテウム管)がはじめてだったが、おそろしく鮮やかで切れ味の鋭い演奏に圧倒され、感涙したのが記憶に新しい。だから今回のウィーンフィルとの「魔笛」は相当期待していたのだが、ちょっと演出にその勢いをそがれたかたちになってしまっていたように感じられたのは残念だった。とはいえ、ORFの映像収録はされていたので、TV画面のフレームのなかで編集された見やすい映像で見れば、きっと面白いものになることは間違いないだろうとは思った。「サロメ」も「魔笛」も、市販映像のリリースに強く期待したいところだ。

(いま気が付いたが、写真の日付が日本時間のままなのでずれている。目が悪いので、こんな小さな数字の間違いは気にもとめていなかった。)

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01,Aug.2018  Salome

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