grunerwaldのblog

バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭など、主に海外の音楽祭の鑑賞記や旅行記、国内外のオペラやクラシック演奏会の鑑賞記やCD、映像の感想など。ワーグナーやR・シュトラウス、ブルックナー、マーラー、ベートーヴェン、モーツァルトなどドイツ音楽をメインに、オペラやオペレッタ、シュランメルン、Jazzやロック、映画、古代史・近現代史などの読書記録、TVドキュメンタリーの感想など。興味があれば、お気軽に過去記事へのコメントも是非お寄せ下さい。

2021年02月

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銀座の晴海通りと並木通りが交わる一等地で長らく営業してきた「TEIJIN MEN'S SHOP 銀座本店」が、この3月28日に閉店し、60年の歴史に幕を閉じるという記事が報じられている。系列も含め、他の店舗も営業を終了すると報じられている(下記リンク記事)。昨2020年7月には創業200年以上を誇る米「Brooks Brothers」も連邦破産法11章を申請し経営破綻したことが報じられ、コロナ禍以降のライフスタイルの変化や景気の急激な悪化がこうした服飾業界にも影響を与えていることが感じられる。同年8月には「J-PRESS」や「23区」などのブランドを展開するオンワード樫山が多数の店舗の営業を終了することも報じられていた。すこし前の2015年頃には英バーバリーが日本でのライセンスパートナーだった三陽商会との契約を更新しなかったあたりから、日本マーケットの斜陽化が顕在化してきていたのだろうか。経済が斜陽化すると、それに比例して社会が右傾化するという指摘を目にすると、英バーバリーは日本と言うマーケットの政治と経済の状況も冷静に観察していたのだろうか、というのはうがった推測。

学生だった70年代後半から80年代の中頃にかけて、こうしたブランドの衣料はデザイン性や品質もよく、価格は決して廉価なわけではないが、アルバイトでがんばれば学生でも手が届く範囲内で、広く人気があった。90年代はじめに一時東京にいた頃には、上記のテイメン銀座本店には何度か訪れた。若かったので、スーツなんかはまだ手が出せなかったが、シャツやネクタイを買って TEIJIN MEN'S SHOP のロゴ入りの白い紙袋に入れて持ち帰る時は気分が躍ったものだ。そう言えば、一本15,000円もする英FOX製の雨傘を購入したこともあった。しっかりとした縫製と撥水のよく効いた布地に、風格あるマホガニー製のハンドル部分、なによりも焼き入れで強度を増した傘の骨(芯)部分はちょっとした強風程度ではびくともせず、この傘があるだけで雨の日が楽しみになったものだ。買ってまだ1年くらいの頃に、会社近くのパン屋で買い物をするために入口の傘立てに置いたほんの10分程度のすきに、よく似た色の安物の普通の傘にすり替えられてしまっていた。時すでに遅く、周囲にそれらしき傘をもつ姿は見当たらなかった。懲りずに今度はブルックスブラザーズでやはり同程度の英FOX製の傘を買った。やはり1年ちょっとで、今度は酔っていてタクシーに置き忘れた。そんな時に限ってレシートを貰ってなかった。それ以来、傘はずっとビニール傘である。そんな若かりし頃の記憶が、よみがえった。








2月14日の夜に録画していたハンブルク国立歌劇場での「ファルスタッフ」(2020年1月19日収録)を鑑賞した。ハンブルク国立歌劇場はまだ行ったことがないし、そう言えば映像で目にする機会もウィーンやベルリンに比べると少ないので、まあいい機会だと思い録画予約していた。シモーネ・ヤングが監督だった頃にはなにかとその名前を目にする機会が多かったので期待はしていたのだが… 昨年は世界の主要な歌劇場がCOVID-19のパンデミックの影響で大打撃を受けたので、本来収録され、今年あたりに放映される予定だった公演の多くが影響を受けたのだろう。BSプレミアムシアターも、放映できる素材を探すのに苦心している様子がうかがえる。この公演も、本来なら他に放映予定だった演目がボツになったおかげで補欠的に陽の目をみたのではないだろうか。残念ながら、この放送を観てそんな感想を抱かざるを得なかった。

「ガーター亭」を「THE BOARS HEAD(いのししの頭)」なるパブに置き換えて、回り舞台上に二階建てのその建物を丸っこ一軒建てて、くるくると回転させながらパブ内やその周囲で物語を展開させる手法(演出はカリスト・ビエイト)は見せるエンターテインメントとしては観客を飽きさせない工夫があって面白かったが、肝心の歌唱と演奏(指揮アクセル・コーバー)が、どうにも締まりがなく散漫な印象で、「あれ?ファルスタッフって、こんなにつまらなかったかなぁ?」と感じてしまうほど退屈に感じられた。肝心のファルスタッフのアンブロージョ・マエストリもちょっと大味で丁寧さに欠ける印象だし、大体カイウス医師やバルドルフォなんかはもっとブッフォなレジェロでないと面白みがないのに、全然普通のテナーで個性がないし、クイックリー夫人も見た目は今風のかっこいいお姉さん風だが、肝心の声量が弱くて見掛け倒し、といった風で、歌で頑張っているのはフォード役のマルクス・ブリュックくらいだった。

「ファルスタッフ」ってこんなにつまらなかったかなぁ?てな思いになってしまったので、そんなこたあ、ないはずだと、ちょうど二回目の緊急事態宣言下で家にいる時間はたっぷりあるので、おかげで2013年夏のザルツブルク音楽祭のBRディスク映像(ハウス・フォー・モーツァルトでの収録、Z.メータ指揮、ダミアーノ・ミキエレット演出、A・マエストリ他)と、2014年夏のサイトウ・キネン・フェスティバルのBSプレミアムの映像(ファビオ・ルイージ指揮、デイビッド・ニース演出)を引っ張りだしてきて、結局3種の「ファルスタッフ」をたっぷりと鑑賞することになった。

2013年のザルツブルクの「ファルスタッフ」は、以前にもこちらの記事で取り上げているように、ガーター亭の舞台をミラノにある音楽家向け養老院の「カーサ・ヴェルディ」に置き換えて上演するという趣向を凝らした実に贅沢な舞台で、これがオペラかというくらい凝りに凝った舞台作品となっている。もちろんオケはウィーンフィルで言うことないし、歌手も全員ずば抜けていて素晴らしい演奏。A・マエストリもこちらのほうは歌唱・演技とも言うことなし。まさに目から鱗が落ちるような極上のエンターテインメントに仕上がっている。こういう作品を一度見てしまうと、バーンアウトしてしまって、月並みなオペラの上演では物足りなくなってしまう。

いっぽう、2014年のファビオ・ルイージ指揮によるサイトウ・キネン・フェスティバルの演奏もそれに負けないくらいの素晴らしい演奏と歌唱で、聴きごたえじゅうぶんである。歌手の力量も粒ぞろいで、今回最初に鑑賞したハンブルクの気の抜けたような歌唱とはまるで別次元。やはりオペラは歌唱力が生命線だと、つくづく実感する。こちらのデービッド・ニースの演出は、なんの捻りもない直球どストレートの古典的な演出で、衣装も舞台セットもシェイクスピア劇そのまんまの世界。「ファルスタッフ」をはじめて見るには、まずはこうした古典的なオリジナルのイメージに近いもので馴染んでから、上記のザルツブルクのミキエレットのような凝った舞台を観るのがおすすめだろう。

いずれにしても、ハンブルクでの最新の「ファルスタッフ」の映像のおかげで、立て続けに都合3本の「ファルスタッフ」をあらためて鑑賞することができたのは、幸いである。

島根県の丸山達也知事は、新型コロナ感染拡大が封じ込められていない現状を憂慮し、島根県内を走る五輪聖火リレーの中止を検討していると山陰中央新報社が報じた。昨夜(2/16)夜遅くにヤフーニュースで取り上げられた記事には政府や東京都への批判や県が負担する警備費などへの詳しい言及も見られたが、今朝(2/17)になってリリースされた同社の記事を見ると、その部分はなぜか削除されている。





それと、前回取り上げた愛知県知事リコールの署名偽造問題に関しては現地の佐賀新聞が、実際に作業をしたアルバイトが口外しない趣旨の誓約書を書かされていたことを報じている。そうした費用を誰がどのように負担したのかなど、雇用の実態や組織的関与の解明が待たれる。




リコール署名運動時のボランティアと思われる方のフェイスブック上での内情暴露文章



大切なのは「逃げ切る力」?

会員限定記事なので、リード部分だけだけど、まぁ、そんなこったろうと想像はつく。
どうせ「陰謀だ!」と悪あがきするのは目に見えているけど。醜悪すぎて見てられない。
「愛国無罪」だからお咎めなし!って、洗脳されてるのかな。だから、奴らにとっては不景気で失業者が増えるほど有利になるんだから、いやでも二極分化に持っていくわな。で、「奴ら」って誰だ?





迷走の挙句に、このザマとは…

今日(2/11)夕方以降のニュースや報道では、世界中に日本のSexismの現状を広く知らしめた森喜朗の後釜は、すでに森より年上の84歳の川淵三郎氏で内定しているとのこと。自分はスポーツ界のことは全然知らないので、その人は長年に渡って確固たる地位を築いてきたスポーツ界の重鎮くらいの認識しかなかったが、どこかのニュースでフランス人の記者のインタビューで彼の歴史認識については議論をよびそうだとコメントしていたのが気になって検索してみると、結構ご自分のツイッターでいろいろと発信している人らしい。それによると、①月刊Hanadaを愛読していることを公言している、②櫻井よしこは国士であると絶賛している、③百田尚樹の「日本国紀」を読んで「百田さん最高の傑作」と絶賛している、などいわゆる歴史修正主義者や「ネトウヨ」と言われる人々と共通した志向である人ということがうかがえる。百田の「日本国紀」は、明らかな事実誤認や創作、間違いが多数あるあることが専門家から指摘されている。「川淵三郎 ネトウヨ」「川淵三郎 Hanada」「川淵三郎 歴修正主義」などで検索してみると、あるはあるは… 大体どういう人となりかというのが垣間見えてくる。どういう主義主張に誑かされようが洗脳されようがそれは各自の自由だが、いま全世界から注視されている問題をクリアするのに適切な人選であるかどうかは、自ずと見えてきそうなもんだが。(追記:下記の「リテラ」の記事を読むと、体罰容認とも思える「大和魂」を取り戻すことや、「家長制」の復権を主張する極右的・狂信的団体の最高顧問を務めているとあり、これが事実であれば多様性が求められる国際的なオリンピック団体の「顔」などにはとうてい不向きな人物であって、ただのネトウヨ老人の典型例であるととしか思えない。)

いま問題になっているのは、森というひとりの老人のSexism舌禍問題だけであって、それさえクリアできればいいって問題なのか?なんだかそれほど単純な問題ではなくて、オリンピック開催国として、その基本精神とは相容れない、もっと深刻な社会構造的な問題に世の中の意識が移ってきているのではと思うのだが。なんだか、どこまで行っても表面的に取り繕おうとし続けているようにしか見えない。





毎日新聞:ルモンド誌は川淵三郎氏を「極右に近い立場」と解説



リテラ:川淵氏が最高顧問を務める「大和魂教育」の教育団体は「親学」と連携 フジ住宅から助成金

先週は自宅で過ごす時間にゆとりがあったので、録画予約でたまったまま未視聴だった番組(すべてNHKの地上波かBS放送の番組、一部は視聴済みでダビングがまだだった)を一気に視聴し、ブルーレイディスクに落としたので、HDDの容量に空きが増えた。それでもなお一部にまだ未視聴だった番組が残っていて、それらの番組もようやく一通り見終えたが、なかなかおもしろい内容だった。

毎年大晦日から元日にかけての深夜から早朝の時間帯のNHK-BS1では、過去に放送されたドキュメンタリー番組がマラソンで再放送されることがある。そのなかで、以前見逃していたウッドストック野外フェスティバルの模様を記録したドキュメンタリーが2020年の元日の早朝に前・後編の二本立てで再放送されていたようなので、とりあえず予約録画はしていたものの、気が付いたらまる1年以上未視聴のままずっと後まわしで残っていた。「ウッドストック・コンサート」とは言うまでもなく1969年の夏にニューヨーク郊外で行われた伝説の野外音楽フェスティヴァルで、40万人という途方もない数の当時のアメリカの若者が参加したというから、ものすごいイベントである。わたし自身は当時はようやく小学生になったばかりの頃なので、もちろんオンタイムの記憶などは全然ないし、干支で言えば(ウッドストックに言及するのに「干支」を持ち出すというのも不似合いだが(笑))ひとまわり上の世代の当時のアメリカのカルチャーなので、全然他人事の世界で、あまり大きな関心はなかった。ひとまわり上の当時の日本の若者で言っても、海外旅行が自由化されたのはその5年前の1964年の4月からのことだから、まだ日本人の若者が大挙して馳せ参じるには、ぎりぎりあと2,3年程度は早かったのではないだろうか。世代を問わず海外旅行が広く本格的に普及して行ったのは、やはり万博の後からだったような気がする。もしもカップヌードルの開発がもっと早くて、この当時にアメリカで発売されていたとしたら、きっとこうしたイベントで人気が出ていただろうなぁ、と映像を観ながら想像してみたが、日本でそれが発売されたのはウッドストックから3年か4年後のこと。いや、どのみち麺をスープと一緒にズルズルと音を立ててすするというのは、いくらヒッピーの若者でもやはりそれは無理か(笑)

まあ、しかし4日間のイベントで40万人とは実際、すごいことだとこの映像を観てあらためて実感した。40万人というと、ちょっとした地方都市ひとつの人口である。それが野外とは言え、ひとつところに集まって音楽イベントをやったというのだから、空撮の映像を見ればその規模が実感される。自分自身は、いまこうして演奏者のリストを見てもせいぜいジミヘンとかジョー・コッカーとかジャニス・ジョプリンとかは知っているわぁ、くらいで、今でも関心があるのはサンタナくらいのものだが、なんと言うか、1969年8月のアメリカの、その時あの場所にオレたちはいるぜ!というのは、ものすごい時代のうねりを感じていたんだろうなというのが伝わってくる。

この映像は、あくまでもこの大イベントの運営を記録したドキュメンタリーであって、演奏そのものを鑑賞するプログラムではない。ミュージシャンの演奏する姿や音声は、あくまでも伏線であって、伝えているのはこのイベントを運営する若者たちと、クルマを途中で乗り捨てて続々とこのイベントにやってきたヒッピーの若者たちの姿である。知っているファンには広く知られていることなのだろうが、実は当初イベントがおこなわれる予定だった Wallkill という場所からは住民の反対運動が起こり、主催者は3か月前の段階で一から開催場所を探すことから始めねばならなかった。ヘリで探し回って、ようやくサリバン郡ベセルにあるヤスガーと言う牧場主の広大な土地を借りる契約を結ぶことができた。なだらかな傾斜がすり鉢状に広がる広大な牧草地は、理想的な「天然の野外円形劇場」だった。なので、「ウッドストック・コンサート」と言うのは、厳密にはウッドストックという場所で行われたと言う意味ではなく、興業の名称である(もともとはカウンターカルチャー文化がさかんだったウッドストックのどこかで「水瓶座の絵画を鑑賞する音楽とアートのイベント」を企画したいという趣旨からのネーミングだったらしい)。イベント開催直前の会場変更となったため、すべてがグタグタの状態で、開演予定の4日前の段階になっても、まだあと3か月くらいは必要かと思われるくらいで、ステージの設営すら完了していなかった。会場内で食品を販売する業者も当初の会場から変更になったことでボツとなり、素人同然の業者がひとつ残っていただけだった。なにもかもが、そんな文字通り「泥縄」の状態で、時間いっぱいで開演の時間を迎えるが、フェンスにまで手が回らなかったので、販売したチケットの回収すらできず、一体何万人がカネを払って来ているのか、それとも無料で入って来ているかさえわからない状態だった。チケットを回収するにも人手が全然足りない。そこで、急遽主催者が出した結論は、「えーい!、もう、この際だ!みんなタダにしちゃうんだから!」「だもんで、みんな、いい子にして、成功するように協力してよね!」というものだった。途中で乗り捨てられたクルマが原因で大渋滞が発生して出演予定の歌手らの到着が何時間も遅れたがヘリでピストン輸送したり、食料の供給ができなくなって食料が底をつくと周辺住民が大量に差し入れを届けてくれたりで、なんとかかんとか辛うじてやり過ごした4日間だったということらしいけど、まあ、みんなで楽しい煙りをいっぱい吸ったりしてハッピーだったから大丈夫だったYO!ということらしい。ベトナム戦争とかいろいろあったけど、カウンターカルチャーも華やかなりし、ひとまわりうえの世代のアメリカ人の若者たちのハッピーだった時代の映像記録だった。少なくとも、デマで議事堂に乱入するよりは、はるかにマシではある。

で、それに続けて観たのは、ウッドストックからちょうど20年後の1989年、ベルリンの壁の崩壊で西側のロック音楽がおおいに一役買ったという「ロックが崩した 冷戦の壁」。突然ジミー・カーターが出てきたり、ゴルバチョフさんが出てきたりでびっくりするが、これもなかなか面白いドキュメンタリーだった。ウッドストックからベルリンの壁崩壊まで、今から思うと20年程度なんだな。そう考えると、長いような、短いような… これはこれで、時間があればまたいつか。



まあ、そうと以外には考えられない。



妥当な判決。しかし社会は今後も気をつけ続けないといけない。ヒトラーも、ミュンヘン一揆で禁固5年の実刑判決を受けたにも関わらず逮捕からおよそ13か月、裁判から約10か月で出所し、むしろその後のほうが過激化していった。

話しはころっと変わって、以下は上とはまったく関係ないお笑いネタ。「懐かCM」の映像をうまく使って、おもしろい動画が紹介されているのを見ておおいにウケたので、それも下に貼っておこう。「高野政所」というクリエイターの名前もなかなかしゃれているではないか。そこは「北の」じゃないんだ(笑)。このCMは自分も若い頃よく目にして印象に残っているけど、阪神ちゃんの「クールマにポピー!」のワンフレーズだけでここまで偏執的にオリジナリティに溢れた動画に展開させるなんて、なかなかすごい才能だと感心。「"ポピー"だけに、意味深」てなコメントも笑える。



同じ製作者による次のやや長い映像では、ひとつめの練り菓子のもまぁまぁ面白いが、次の 2:32 からのお相撲さんと笑顔の可愛い坊やがお風呂で「ゆう、ゆう、ゆうづき、食べましょう」(かまぼこ?)と果てしなくサイケデリックにリフレインする映像と音声は完璧に "ツボ" にはまっていて、笑気ガスを吸ったとしたら(吸ったことないけど)こんな感じになるかな、と思えるような、普段の「笑い」の神経とは微妙にズレたところを刺激されたみたいで、夜中に妙な笑いを抑えられなくなった。


2021年になってから投稿した記事はすべて時事問題絡みの日記ばかりで、このところ音楽関係の記事が書けていないが、どちらかと言うと書いているよりも聴くことにに時間を費やしていることのほうが多い。昨年末もメンゲルベルクとコンセルトヘボウ管弦楽団のR・シュトラウス「英雄の生涯」のCD(1941年録音)を取り上げたことがあったが、年が明けてからも繰り返し聴いており、感銘を受けている。この演奏では特に、第三楽章でのバイオリンのソロが実に強烈で粘りのある響きで、並外れて「濃い」演奏であり、現代ではこうした演奏や音は耳にすることはできないだろう。

メンゲルベルクはナチズムに協力的だったことが祟って、戦後活動を再開できないまま生涯を終えてしまった。ナチズムに加担した点で言えばR・シュトラウスも同罪だし、ワーグナーなどもその思想的な源泉のひとつであることは間違いないし、バイロイトもヒトラーの聖地であった。2017年と2018年に2年続けてバイロイトで鑑賞したバリー・コスキー演出(指揮はフィリップ・ジョルダン)の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」では、そうした歴史事実をあるがままに受け入れたうえで、じつに際どい方法で「anti anti-semitism」と言える手法で笑いに昇華させていた(実際、このオペラはワーグナー唯一の「コメディ」なのだから)ーただし、その笑いは単純で幼稚なものでなく、捻りに捻った複雑なものであり、単純に笑い飛ばせるような内容ではなかった。ドイツ音楽を愛していくうえで、ちょうどいまから百年ほど前に萌芽して行った極右ポピュリズムの歴史とは、どうしても無縁でいることはできない。

ちょうど、新型コロナウィルスによる2回目の緊急事態宣言となったこの1月になって以降、さすがに中頃からは出社の日数も減っているので、この時とばかりに過去に地上波とBSのNHKで放送されて録画しておいたもので、未視聴だった番組を一気に鑑賞した。鑑賞後はすべて50GBのブルーレイディスク2枚に落とし込んだ後に消去したので、ずいぶんとHDDの容量が空いて楽になった。音楽番組は音楽番組、ドキュメンタリーはドキュメンタリーと整理してダビングしていったところ、ちょうどそれぞれが50GBのディスク1枚ずつに要領よく収まった。このところ、NHKの予算削減措置として、BS1とBSプレミアムの統合など大幅な事業リストラ案が報じられている。BS1はスポーツ中継やドキュメンタリー番組など、BSプレミアムは音楽番組などの娯楽番組や教養番組で構成されている。これらをリストラの一環として縮小・削除するのは、文化の退廃以外のなにものでもない。4Kですら未だじゅうぶんに普及していない段階で、巨額の開発費が必要な8K事業の推進などこそ無用の長物であり、いまある番組の質を落とすとなっては本末転倒である。こうしたこともここ8年続く知性軽視のポピュリズム政治がもたらしている結果だとすると、日本は本当にいま、大切なものを自ら放棄しようとしているに等しい。まるで日本版の文革路線ではないか。巨額の開発費を投じて8Kで観られる番組が、阿呆みたいなアイドルばかりのスカスカでお手軽なエンタメ番組やお笑い番組ばかりだとすれば、一体なにを考えてるんだと思えてくる。

それはさておき、バイロイトやザルツブルク、ウィーンなどでの演奏に関する番組は、放送後比較的早期に鑑賞しているけれども、案外録画しっぱなしでもう2年も3年も未視聴のままだった番組も結構あったりするので、ここ最近の外出自粛ムードは絶好の機会だ。ドキュメンタリー番組はやはり第二次世界大戦に関するものが多い。特にヒトラーやナチズム関連は、気が付けば録画予約はしておくのだが、いざ見るとなるとやはり悲惨な内容や映像も多いので気が進まず、ついつい後まわしになって2年も3年も経っていたりする。よく似た内容の番組を今までにも繰り返し見てきているというのもあるが、あらためて見てみると新たに発掘された映像が紹介されたりもしているので、ノーチェックというわけにもいかない(別に専門家なわけでもなんでもないのだが)。特に「Das Reich ~ヒトラーの軍団~」は史上悪名高いナチス親衛隊(SS)による、戦争とは名ばかりのただの虐殺集団による蛮行の数々を取り上げており、人間とは狂気と紙一重であることの恐ろしさをあらためて実感させられる。

とりあえずドキュメンタリー編と音楽番組編の中身の一部を以下に挙げると(題名は一部変更あり)


1、ドキュメンタリー編
  Das Reich~ヒトラーのSS軍団の記録~
  ヒトラー・クロニクル
  運命の三都市~パリ、ニューヨーク、ベルリン~第二次大戦前後の映像記録
  アフター・ヒトラー
  ヒトラー最期の謎
  ナチスのファーストレディー
  ヒトラーの子どもたち(ナチスの産院施設の謎)
  旧東ドイツ・ベルリンの市民と秘密警察シュタージ
  旧東ドイツ・激動の日々
  三人の独裁者~ムッソリーニ、ヒトラー、スターリン~
  太平洋戦争・戦争孤児の記録
  満蒙開拓団の戦後史
  なぜ日本は焼き尽くされたか~大空襲の原因を追う~
  ガダルカナル大敗北の真相
  日本本土上陸作戦の真相
  忘れられた戦後補償
  幸運艦「雪風」生存者の証言
           (太平洋戦争を生き延びた駆逐艦「雪風」元乗組員の生存者の証言)
  幻の巨大空母「信濃」
  沖縄戦・出口なき戦場

2、音楽番組編
  ロスアンゼルス・フィル創立100年記念演奏会(指揮メータ、サロネン、ドゥダメル)
  ドゥダメル指揮ミュンヘン・フィル「マーラー2番 復活」カタルーニャ音楽堂
  ザルツブルク2017 クッレンツィス、ムジカ・エテルナ モーツァルト「レクイエム」
  ファビオ・ルイージ指揮N響 R・シュトラウス「英雄の生涯」
  E・P・サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団 ストラヴィンスキー「春の祭典」
  C・エッシェンバッハ指揮N響 マーラー2番 復活
       C・エッシェンバッハ・ドキュメンタリー
  メルビッシュ音楽祭2019 「ほほえみの国」
  フィレンツェ5月音楽祭2019 F・ルイージ指揮 ワーグナー「さまよえるオランダ人」
  
  (その他)アナザーストーリーズ「スタンリー・キューブリック」
  (その他)「KUBRICK BY KUBRICK」スタンリー・キューブリック・インタビュー
  

TOKYO (Reuters) - Tokyo Olympics chief Yoshiro Mori apologised on Thursday for sexist comments about women talking too much, but said he would not resign, as his remarks sparked a storm of criticism on social media and risked tainting public opinion of the Games.

 

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