grunerwaldのblog

バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭など、主に海外の音楽祭の鑑賞記や旅行記、国内外のオペラやクラシック演奏会の鑑賞記やCD、映像の感想など。ワーグナーやR・シュトラウス、ブルックナー、マーラー、ベートーヴェン、モーツァルトなどドイツ音楽をメインに、オペラやオペレッタ、シュランメルン、Jazzやロック、映画、古代史・近現代史などの読書記録、TVドキュメンタリーの感想など。興味があれば、お気軽に過去記事へのコメントも是非お寄せ下さい。

2021年07月

びわ湖カルメン

沼尻竜典指揮東京フィルハーモニー演奏の「カルメン」、本日7月31日㈯の公演を観てきた。びわ湖でのオペラを観るのは、3月の「ローエングリン」以来で久しぶり。本公演は新国立劇場との提携公演で、東京ではすでに7月3日~19日の間に大野和士指揮で6回の上演が終わっている。演出は2年前にここびわ湖でも「トゥーランドット」(大野指揮、バルセロナ響)でなかなか面白い舞台をみせてくれたアレックス・オリエ。東京では現在再び新型コロナの感染者数が急増していて気になるところだが、かなり際どいタイミングでの引っ越し公演となる。なお、びわ湖での本公演は本日と明日の二回、ダブルキャストでの上演となるが、初日の本日の公演を鑑賞してきた。

「カルメン」と言えば数あるオペラのなかでも最もポピュラーな演目で、ストーリーもわかりやすく普遍的なテーマでもあるので、演出もオーソドックスなものから目新しいものまで、様々に料理されている。高齢客の多い日本ではどちらかと言うと無難でオーソドックスな演出が好まれるだろうけれども、せっかくアレックス・オリエの演出でそれでは、曲がない。なにかと言うと古典的な衣装や装置でないと文句を言う客も少なくないが、そういうものはわざわざ劇場に足を運ばなくても、DVDやブルーレイでいくらでも観れる。今回の上演は現代的な演出だが、なかなかに面白い上演だった。コロナ禍ということもあって後方は空席も目立ち、ざっと見た印象では8割ていどの客入りか。

まずはカルメンらが本来仕事をしている煙草工場は片鱗もなく、人気ロックミュージシャンの舞台セットということになっている。最初に幕が上がると、舞台正面全体にスチールのパイプで組まれた巨大な足場が設置されている。相当な量の鉄パイプが使われていて、やはりこれでもかと言う位に鉄骨を多用した、かつてのクプファーとシャベルノッホのコンビでよく観た舞台を彷彿とさせる(今回はピケ足場が大いに儲けているだろうw)。その前であばずれた感じのカルメン(谷口睦美)がひとり煙草に火を点けようとしているところにドン・ホセ(清水徹太郎)が通りかかって火を貸すところから始まる。ドン・ホセの部隊は軍隊ではなく、ロックコンサートの会場を警備する警察官らしい。普通のコンサートの警備に警察官というのは現実ではあまり考えられないが(過去のビートルズの公演など例外はあるが)、時節柄、五輪関連イベントの警備と脳内変換するとわかりやすい。まあ、そこはオペラだから、突っ込まない(笑)。部隊は制服の警察官たちと、それを指揮するスーツ姿の私服の警察官ということになっていて、モラレス(星野淳)やスニガ(松森治)、ドン・ホセはネクタイにスーツの私服警官ということになっている。警察がエライ国家ニッポンと言う意味だとしたら、いいセンを突いているかもしれない(笑)。

正面の巨大な鉄パイプの足場が上方に隠れると、舞台中央に2mほどの高さでプロレスのリングくらいの大きさのステージがしつらえられていて、ドラムセットを中央に、両脇にギターやベースに大きなアンプやマイクも設置されていて、なかなか本格的なロックのステージを再現している。カルメンはこのステージで、ロックのアイドルらしくハバネラを歌う。ここでカルメンが歌う真正面からのアップの映像がバックの大型モニターで映しだされるのだが、このアングルで撮影するには正面にカメラがないと撮れない映像で、その位置は舞台の正面か客席の前方の同じ高さでないと理屈があわないのだが、そこにそれらしいカメラは見あたらない。もしかしてホール最後方の調整室から撮るとすれば、相当なズームで撮らないとだめだと思うが… これはちょっと謎だった。またステージの上部にも巨大な鉄骨のフレームがしつらえられていて、なかなか予算がかかっていそうだ。まぁ、たまにはこういう面白いセットの「カルメン」があっても、いいではないか(笑)。砂川涼子のミカエラは、野暮ったいズボンに流行遅れのデニムのジャケットと、いかにも田舎から出て来た垢ぬけない格好をさせられていて気の毒だが、本来の役の意味をよく表現している。

上に書いたように「煙草工場」という気配はまったくないので、カルメンと喧嘩をおっ始めるマニュエリータはステージの準備をしていたローディーの女性と言った塩梅で、「煙がプカプカ」の合唱のところも、煙草の代わりにスマホのライトをゆらゆらと灯す、と言った感じ。二幕のリーリャス・パスティアの居酒屋は、特段どうと言うこともない、普通に酒場の雰囲気。「花の歌」を歌うドン・ホセは、バラを持っているのではなく、胸にバラのタットゥーをしているという趣向(フレディ・ハバードの「バラの刺青」を思い出した)。エスカミーリョ(森口賢二)の登場の場面も、闘牛士というよりロックスターといった感じ。三幕の密輸団のアジトは舞台上手に大きな化粧台と衣装ケースがあり、中央にも大きな機材ケースが二つあり、フラスキータ(佐藤路子)とメルセデス(森季子)がそこでタロット占いをする。とその前に、いかにもVシネマの極道コンビと言うイメージがぴったりのダンカイロ(迎肇聡)とレメンタード(山本康寛)が、いったいどんだけ大量にあるねん!? というくらい大量の怪し気な粉末のパッケージを、かばんからそのケースに次から次へと移し換えている。さすがにどこかの国の首相がお気に入りのパンケーキ屋さん、ってこともないだろうから、末端価格にすると軽く億単位になりそうで、ここは間違いなく笑うところだろう(笑)。四幕冒頭の闘牛場の外の場面は、舞台正面前方にレッドカーペットをズラッと敷いて、ファンたちが見守る前を、パンクロック風のアイドル(というより自分には吉本新喜劇の、ギャグはてんでおもろないけれども、いるだけで笑えてくるけったいな芸人の吉田ヒロにしか見えなかったがw)や、モデル風の女性、ポップスター、映画スターらしいのに混じって車椅子の男性らも登場し、舞台を下手から上手へ、また上手から下手へと颯爽と横切って行く。それはいいのだが、バックの群衆のコーラスが突っ立ってるだけで芸が無い。せっかく歌詞に色んな物売りとかが出てるんだから、もう少し手を加えればバラエティ豊かな場面になるのに。最後に嫉妬に狂ったドン・ホセがカルメンを刺殺する場面は、特段変わった仕掛けはなく、じゅうぶんに歌と音楽だけで観終わるという感じである。

以上はおもに舞台演出面から書いたが、何よりも今日は歌手が大変良かった。特にタイトルロールの谷口さんとドン・ホセの清水さんは、大変素晴らしかった!谷口さんは3月の「ローエングリン」のオルトルートで素晴らしい歌唱を聴かせてくれたが、今回のカルメンも素晴らしかった。清水徹太郎さんも、ここびわ湖ホールでワーグナーのオペラをはじめ、度々聴いてきたが、ドン・ホセのような主役級を聴くのは今回が初めてで、大変素晴らしい声量と情感豊かで安定した歌唱で、堂々たる歌いっぷりで大いに感動した。「カルメン」はいままで海外のプロダクションとキャストで何度も観てきているが、日本人歌手のドン・ホセで感動したのは、おそらく今回がはじめてかもしれない。

あと、トップバッターでモラレスを歌う星野さんも、冒頭から安定した歌いっぷりで声量もよく、じつに幸先のよい出だしを切ってくれた。最初のモラレスがしょぼいと、ガクッとすることも多々あるのだ。スニガの松森さんも、よく響く美しい低音で、いつものように素晴らしかった。エスカミーリョの森口さんは、最初ちょっと声が硬質かなと思ったが、ドン・ホセとの格闘以降よくなって行き、最後の闘牛士の姿は絵に描いたようで実に美しかった。上記したフラスキータ・メルセデス・ダンカイロ・レメンタードも、それぞれ個性が感じられる良い歌唱だったが、フランス語での早いパッセージが続く五重唱では、さすがにちょっと期待値のほうが大きかったかもしれない。ここは、うまい五重唱だととても印象に残る場面なのだ。コロナ対策の影響か、立ち位置の距離感が大きかったのが裏目に出たかもしれない(あんな早口だと、半端なくツバも飛ぶからな~)。とは言え、そこは贅沢な要求だ。合唱も全体的に距離を取っている印象があった。あとはもちろん、ミカエラの砂川さんも声量もよく、あいかわらずすごい人気ぶりだった。7年ほど前にここで「死の都」のマリー/マリエッタを聴いた時は、かなりリリカルに感じたものだが、その時に比べるとちょっと声が重くなってるのかな?と感じるところもあった。

沼尻竜典指揮・東京フィルハーモニーの演奏は、ダイナミックな聴かせどころとしっとりと美しい部分の対比が聴きごたえとしてはじゅうぶんだったが、所々、細部にやや仕上げの粗さを感じさせてしまう部分もなきにしも非ずで、これは会場の「慣れ」の部分もあるだろうから、明日の二日目はきっと良くなるのではないだろうか。

ところで、衣装はリュック・カステーイスというバルセロナのオリエ・チームの人のようだが、主役陣以外の衣装もこの人が担当しているとしたら、なかなか日本人の衣装のセンスを理解している人ではないかと感じられた。舞台美術は、やはりバルセロナのアルフォンス・フローレスで、ともに前回の「トゥーランドット」を担当している。大変見応えのある舞台と、聴きごたえのある素晴らしい「カルメン」だった。それにしても、こんなに良い公演でブラヴォーの声が掛けられないなんて、それだけが実に心残り!(バイロイトやザルツブルクみたく床キックでブラヴォーしたいんだけど、日本の会場のフロアは硬いからマネができないんだな、これが)

びわ湖カルメン03

公演日時: 2021年7月31日(土)・8月1日(日)

指揮: 沼尻竜典 演出:アレックス・オリエ

出演(31日/1日):

<カルメン> 谷口睦美/山下牧子

<ドン・ホセ> 清水徹太郎*/村上敏明

<エスカミーリョ> 森口賢二/須藤慎吾  

<ミカエラ> 砂川涼子/石橋栄実

<スニガ> 松森治*/大塚博章

<モラレス> 星野淳(両日)

<ダンカイロ> 迎肇聡*/成田博之  

<レメンダード> 山本康寛*/升島唯博

<フラスキータ> 佐藤路子*/平井香織

<メルセデス>森 季子*/但馬由香  

*...びわ湖ホール声楽アンサンブル・ソロ登録メンバー

合唱: 新国立劇場合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル

管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団

↓新国立の記事。舞台写真が豊富。





バッハ!


スガ!


かあさん、ぼくのあの


コロナ禍だ!




こういう話題は時事ネタの最たるものなので、もう昨日の話しとなってしまった今日となっては、すでにずいぶん前の話しに思えるくらいに押し流されている感がある。

自分は五輪にもこの元お笑い芸人にもまったく興味はないが(というか、スポーツ全般にあまり関心がないので。非国民かな?(笑))、ホロコーストをギャグのネタにしていた過去が掘り出されて、五輪の開会式という大きなイベントのショーディレクターというなんともご大層なポストを突然解任されたという話題は、当ブログでも度々取り上げている過去のナチス関連の話題にも関連することではあるので、一応日記としては取り上げておこう。

この元お笑い芸人がどこのだれで、どういうギャグが問題となったかについては、もうすでに昨日の段階で湯水のような報道やSNSで繰り返し垂れ流されているので、わざわざこのブログでしつこく繰り返さない。取り上げたいのは、いかに日本のお笑い芸人を含めたショウビジネスやエンターテインメントと認識されているものの多くが、閉ざされたこの島国のなかだけで完結していて、とても世界に通用しないものであるかを、この五輪という世界的なイベントを契機にあらためて目の当たりにさせられた事実ではないだろうか。そういう意味で、五輪と言う世界的なイベント(それを「外圧」と取るなら、それもいいだろう)が、コロナ禍の現在の日本で開催されることの意義は少なくともあったというわけだ。

つまり、こういうきっかけでもなければ、もはや日本のそうしたビジネスは現在、国内のマーケットだけでじゅうぶんに成り立っているのだから、普段から海外からの評価や、どう見られているかといったことにはまるで無関心でも一向に差し支えないという実情が露呈することがないのだ(ただし、外国人ー特に白色人種ーに日本のことを褒めてもらうことへの執着ぶりは情けないほど異常だが)。現在の日本のTVメディアで放送されている番組表を一瞥するとわかることだが、そのほとんどはお笑い芸人や「アイドルタレント」と日本では言われている芸人を使ったバラエティ番組やお笑い番組か、そうでなければせいぜいスポーツの中継があればましなところで、これは日本で生活の実感がなければわからないことだろう。なぜなら、こうした潮流はなにも昔からそうだったわけではなくて、この10年足らずの短い間の極端で急激な現象だからだ。

その影響もあってか「世界の中の日本」という複眼でものを見たり考えたりすることが、国民的レベルで低下していることが実感される。これはなにもいまに始まったことではなくて、1933年に満州問題に抗議して国際連盟を脱退した松岡洋右を「我が代表堂々退場す」と新聞各紙が持ち上げた88年ほど前の頃の精神構造と、大して進歩がない。幼稚なのだ。

そのように、さほど「世界」や「外国」を意識しなくても、権力に抗わず、うちわでそこそこ受けている程度のレベルの低い芸でも、電波芸者として生き残れる風土ができてしまっているので、世界的にはそれはNGという危機感がとても薄い。これは今回のホロコースト問題に限らず、日本では女性に年齢を聞くという行為が他の多くの国のようにNGとはなっていないので、知名度の高いお笑いタレントが、大勢の出演者を前にして、特定の女性出演者に「ヒーッ、ヒーッ」と気味の悪い笑い声とともに「あんた、歳はいくつ?」と尋ねるということが、まったく普通に行われているし、それに違和感を唱えると、「だって、ここは日本やん!」の一言で終了してしまう。これだけは、いつまで経っても気持ちが悪い。

同じようにユダヤ人を取り上げた笑いでも、バイロイトで現在上演されている「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、まったく別次元のものである。ユダヤ系オーストラリア人の演出家バリー・コスキーは、この「マイスタージンガー」で、とても際どい方法で、ユダヤ人問題を取り上げ、これを高度な笑いに変換している。ベックメッサーをユダヤ人として設定し、第二幕最後の夜中の大騒動の場面では彼にシャイロック風の大きなマスクを付けさせて、ニュルンベルク中の住民たちから殴る蹴るの散々な目に合うところを極めて戯画調に描いて、観客の笑いが起こるように仕掛けている。しかし、これは一見哀れなシャイロック風のベックメッサーを笑う体に見せかけて、実はベックメッサーを虐待している馬鹿な住民たちこそを笑いの対象にしているのであり、つまり歴史上度々行われてきた、あるいはその根底にあるアンチ・セミティズムそのものを「皆さん、こんなことを繰り返してきた歴史ってバカだだと思わない?」という問いかけとともに笑いの対象にしているからこそ、許容されブラヴォーと喝采されるのだ。だから、2017年のプレミエ・イヤーにこの上演をバイロイトで実際に鑑賞した時には、一瞬凍り付いたものの、そうと理解して初めて笑うことができたのである。別に、公式パンフレットにそこまでの解説が載っていたかどうかは、記憶にはない。

このように、それがすべてではないにせよ、笑いには本来そのように歴史や文学、哲学、芝居(落語や講談なども含めて)や芸術などの普遍的価値と共通する要素を持つことを評価される文化的な側面もある。オリ・パラ関連行事の「ディレクター」たる人選に於いて、今回の元お笑い芸人の極めて底の浅いギャグなど、到底話しにもならないのは当然のことである。むしろ、そうした問題のある人間ばかりが選りによってこうした世界的なイベントに選ばれていることの異常さのほうが薄気味悪い。ところで、彼を解任したのは措くとして、彼がディレクションしたとされるショーそのものは、本日予定通り挙行されるのだろうか。そうだとしたら、単にクサイものに蓋をしただけのバカげた話し。

 組織委の武藤敏郎事務総長は「任命責任はあるが、我々が一人一人を選んだわけではなかった」などと釈明。今回の騒動は「電通など大手広告代理店へ全て丸投げしているツケです」(組織委関係者)という。
      AERAdot.7/23(金)14:00配信より









東京大教授「日本の歴史教育が現代史をおろそかにしている」ことが問題と指摘

(東京五輪に関連し)
「何も開催しないのはより悲しいこと」
「COVID-19に負けたということは世界に知らしめたくない」
「ワクチン接種がもっと早く進められていれば、状況は違っていただろう」

ー小池都知事がBBCの単独インタビューに答える

五輪にも小山田圭吾というアーティストにも興味ないが、彼が過去にクラスメイトの障がい者にしていたという<いじめ>の内容が凄惨すぎて、単なるいじめの度を越えている。日本のメディアでは五輪に忖度してか、その内容を詳しくは報じていないらしいが、英ガーディアンが忖度なく報じている。それによると自分の排泄物を食べさせ、級友の面前で自慰を強制したとのこと(4段落目)。小山田は過去にそれを自慢げに音楽誌に語ったことが判明しているとのこと。現在なら刑事事件になっていてもおかしくないほど鬼畜な所業だ。こんな人間がオリンピック・パラリンピック開催式の音楽担当だと世界に喧伝されて平気なのは、少々いかれているか、同種の人間の集まりで感覚が麻痺しているか、どちらにしてもひどいものだ。

「じゅうぶんに反省している」と言われても、ちょっと”ドン引き”しないほうがおかしいのでは?







デマを信じてワクチン接種せず、娘にも接種をさせずに結果娘が重体に…
"I wish I would've made better choices for her."
(彼女のために、より良い選択をすべきでした)

「コロナはただの風邪」とか「ワクチンは陰謀」とかしつこく言ってる救いようのない人達が漏れなく見るべき、米THV11の映像(冒頭20秒程のCMが流れます)↓






OAG.01

今日はめずらしく民放のBS放送(BS日テレ)で、昨年2020年11月にコロナ禍のさなかに来日して予定通り日本公演ツアーを敢行したウィーンフィル(指揮ワレリー・ゲルギエフ)のツアーに同行した模様を一時間のドキュメンタリーにまとめた番組が放送されていたので、録画して鑑賞した。

ANAの特別チャーター機で福岡空港に到着した一行に同行し、福岡での公演の様子や貸し切りの新幹線での移動中の様子、サントリーホールでのリハーサルや舞台袖での楽団員の様子などを撮影し一時間の番組に編集したものだ。その当時ずいぶんと話題になったように、日本の行政側から提出を求められた厳格な行動制限を設けた誓約書なるものの映像も一部放送されていた。伝え聞いていた如く、空港を降り立った時からバスと新幹線での移動中や宿泊するホテルもフロア制限で、外部との接触や外出は禁止、動線はコンサート会場とホテルとバスと新幹線、チャーター機のみに限定され、完全隔離状態での日本ツアーという珍しい様子が映像でよくわかった。それを見ていて、サントリーホールなどウィーンフィルの楽団員が演奏している舞台の上だけが、空間は確かに観客と共有しているけれども目に見えない国境線に区切られた異次元のような不思議な感覚を覚えた。まるでSF映画に出て来る、等身大の立体リモート映像のような感じというか。ただ、演奏はやはり凄かったんだろうな、という感覚は伝わってきた。特に、サントリーホールというのはウィーンフィルのサウンドにとてもよく合った、ベストな演奏会場だと言うのがよくわかる。

ところで、海外からの他の演奏家や演奏団体の公演が軒並みキャンセルとなるなかで、このウィーンフィルの来日はかなり例外的な出来事だった。もちろん世界トップのオーケストラということは誰でも知っていることだし、自分もファンとしては「凄いね」とうれしいし、出来れば聴きには行きたかったのはもちろんだけれども、コロナ感染防止策としてほぼすべての海外からの演奏家の来日が不可能となっているなかで、こうした例外が不明確な根拠や曖昧な基準や事情で認められてしまうというのは、行政的には「それは、まずいんちゃいますのん?」という不信感というか、キモチワルさも正直言って残るのだ。たてまえ上、ルールとしては認められないけれども、どこかの団体のエライ人が、どこかの行政機関のエライ人に相談して、「まあ、ウィーンフィルはエライんだから、エライもの同士、例外はアリだよな」とか言って密談している場面を想像すると、正直白けてしまう。結局はエライ人の胸先三寸で何でも好きに決められる先例をつくることになったのだとしたら、それはそれで拡大解釈していくと、相当ヤバい状況になって行くんではないか。そんな思いも、正直言って購入を躊躇わせた。もちろん、演奏を聴けばそんなもやもやも吹っ飛んでしまうだろうことも事実だけど。

話しは変わって本題の件。今日はまた別のネット上のニュースで、ローマの三越がパンデミックの影響で閉店になるという記事を見た。1975年の開店以来、46年の歴史に幕ということらしい。三越というと、ローマやウィーン、パリなどの欧州の主要な都市に数店あって、日本人の財布の豊かさを象徴していたと思うが、もはやそれも一時代になったかと思うと、ある種の感慨を覚える。日本での海外旅行の自由化は1964年4月からということらしいが、当初は一般人にはやはり高嶺の花だったことは疑いようもなく、それが身近なものに感じるようになったのはやはり1970年の万博以降になってからのようで、自分が小学生の半ばくらいからはTVでも海外のロケを紹介するような番組が増えていった気がする。三越ローマが開店したという1975年というと、JALパックだとか LOOK JTB とかのパック旅行の人気が高かった頃だったと思う。自分も初めてサンフランシスコ近辺を訪れたのは1976年の夏休みだった。学生を卒業してからしばらくは海外旅行はお預けで、国内のバブル景気ともまるで無縁だったが、ようやく再び海外旅行、それも今度はヨーロッパ方面への関心が高まり始めたのは1990年代はじめの頃からだった。

1992年に最初に欧州で旅行したのは、定番のローマ-ジュネーブ-パリの夏のパック旅行だった。その後、個人旅行でウィーンをはじめて訪問したのは1994年の1月中旬。ウィーンにはネット時代以前の90年代にはこの1994年と95年、97年のいずれも1月か2月の寒い時期に個人旅行で訪問した。なぜならこの時期しか休みがとれなかったのと、幸い航空運賃もお得な季節だったのだ。ホテルもインペリアルを指定しても、総額は思ったほど高くはならなかったのは幸いだった。いずれの旅行も自分で行きたい都市を選んでそれぞれの都市間の空路便と往復の空路便、各都市のホテル、演奏会のチケットの事前購入も含めてすべて好きにピックアップして旅程を組み、その手配だけを知り合いの旅行代理店の担当者に手数料のみでやってもらった。いずれの旅行でも鉄道での移動も必ず含めておいたので、こういう時にはトーマス・クックの鉄道タイムテーブルとOAGのポケット・フライトガイドがとても役に立った。と言うか、それなしでは旅程が組めなかった。ネットで便利になった現在はPCひとつあれば、そんな面倒なことなどしなくても一晩で楽に旅程が組めるようになったけれども、かつてはまずそこから旅行が始まったのである。こうしてタイムテーブルの分厚い冊子とにらめっこをしながら旅程を考えている時間は楽しいひと時だった。さすがに老眼がひどくなって以降は、こうしたことも若い頃の特権だったと思うようになった。実際、旅行の際に持ち歩くにはかさばるし、重いのは不便ではあった。

Windows '95 の普及でインターネットが飛躍的に一般に普及しだしたのはその名の通り1995年頃からだが、97年の旅程を考えていた96年の秋口頃はまだサイトでオペラやコンサートのチケットが直接買えたり、航空券が買えるほどまでは発達しておらず、公演スケジュールが確認できる程度だったように記憶している。実際にそうした買い物が実用段階に入ったのは、90年代もだいぶ最後のほうに差し掛かって以降ではないだろうか。カメラも当時はまだフィルムのカメラで、おかげでアルバムは何冊も積み上がって行った。次にウィーンを訪ねたのは2005年のやはり1月か2月頃だったが、この時はさすがにデジタルカメラにはなっていたが、SDの記録媒体はまだ普及しておらず、ネガのかわりにCDが保存媒体だった。なによりも、当時はまだ個人的にはブログなどやっていなかったので、写真はあっても文字化した記録はないのが残念だ。

こうして考えると、2020年の世界的パンデミックで事実上、自由な海外旅行が中断を余儀なくされてひとつの時代に強引に区切りがつけられたように思う。いずれ来年か再来年くらいには徐々に復活はするだろうが、海外旅行という分野については、やはり2020年というのは強制的に区切られたエポックにはなっただろう。そう考えると、1964年の自由化からは57年、より普及しはじめたのが1974年頃と考えると47年。当時30歳程度だった世代は、現在70歳代後半から80歳代後半である。ここ数年の個人的な感触では、20~30歳代くらいの若い世代の人と話していると、自分たちがそうだったほどには、海外旅行への関心がさほど強くありそうには思えず、そればかりか海外への関心自体が小さくなっているようにも感じられる。行政やその広報機関となっている感のあるメディアが取り上げる対象も、より国内回帰志向が強くなっているようにも感じる。いずれ海外渡航が復活したとしても、それはパンデミック以前とは様相が変わったものになっていくのではないだろうか。


namsan.01

韓国映画は去年「パラサイト」を観て以来だが、朴正熙大統領暗殺事件を題材にした韓国ドラマでは、かつて「第五共和国」という韓国MBC制作の全41話のTVシリーズドラマがあって、これは実によく出来た面白いドラマだった。2005年に韓国で放送された後、日本でDVDがレンタルされたのはその後の2006年頃だっただろうか。1979年10月26日に起こった朴大統領暗殺事件から、その後の全斗煥によるクーデター(12・12事件)と政権掌握、翌年5月の光州事件やその後の三清教育隊や民主化運動弾圧・妨害事件など、実際に韓国で四半世紀ほど前(当時)に起こった史実をかなり忠実に再現したセミ・フィクションとも言えるドラマシリーズで、いままで観たドラマシリーズのなかでも特筆に値する面白い歴史エンターテイメントだった。ディスクを一巻見終えるごとに、次はどうなるの?それでどうなるの?と毎回ワクワクさせられて、ついにレンタルで41巻を観終わった時には、レンタル落ちの中古DVDを全巻セットで購入したものだった。

KCIA南山の部長たち

今回の「南山の部長たち」も、同じく朴正熙大統領暗殺事件を描いたものだが、当時新聞記者だった金忠植による原作(日本語版は1994年刊)はもちろん史実に即したノン・フィクションだが、映画化に当たっては史実性のみにこだわらず、かなり創作性を持たせて見応えのあるエンターテインメントとして仕上げている(監督:ウ・ミンホ)。「南山の部長『たち』」としているように、主役のイ・ビョンホン演じるKCIA部長の金載圭(キム・ジェギュ)ーこの映画ではキム・ギュピョンーだけでなく、元KCIA部長だった金炯旭(キム・ヒョウンウク)ー映画ではパク・ヨンガクーのアメリカでのコリアゲート事件の公聴会の模様やパリでの失踪事件もかなり大きく取り上げているのが印象に残る。「第五共和国」では、李厚洛(イ・フラク)元KCIA部長が不正蓄財でアメリカに逃亡している様子が描かれていたと記憶するが、金炯旭をここで持ってきたのは、たしかに新しい切り口に感じられる。金炯旭について調べていると、かつてNHKでニュースキャスターだった高島肇久氏による興味深い回顧記事を発見した。それによると当時ワシントン支局に赴任していた高島氏は、金元部長が横領したらしい巨額のカネをもとにアメリカで優雅に暮らしていた際に自宅でインタビューをしていたとのこと。ここでは映画らしく、悲劇的な彼の最後の場面は、かなりショッキングに描かれている(追記:金元部長の暗殺の場面は、朴大統領と金現KCIA部長がともに劇場で伝統舞踊団を鑑賞している場面と同時進行のシンクロで描かれていて、これはまるっきり「ゴッドファーザー」へのオマージュだ)。

朴大統領とともに宮井洞で金載圭に射殺された大統領警護室長の車智澈(チャ・チチョル)ー映画ではクァク・サンチョンーの描かれ方は、ほぼ他の映画やドラマと同じキャラクターで描かれている。大統領追従第一の単細胞で、釜山と馬山での暴動に対して即刻戦車で踏みつぶせと激高して煽ったり、目上である金載圭を敵視して悉く対立し、彼の恨みを買う。

映画では、ワシントンのリンカーン記念堂をバックに、金炯旭が金載圭に対して「イアーゴに気をつけろ」と忠告する場面があって、ネットの感想の多くは最後の場面で大統領の金庫の財貨を手に入れる全斗煥ー映画ではチョン・トヒョクーがイアーゴだと指摘する意見が多いようだが、それはちょっと穿ち過ぎではないか。10・26時点では、朴大統領と全斗煥の身分間にはまだ相当な距離があって、常に侍って毒を吹き込み続けるには少々無理があるように思えるし、当時保安司令官だった全斗煥が事件捜査を任された後、全権を掌握して行くのも、必然性はあったと言えるかも知れないが、その時点では成り行きに左右された部分も少なからずあったようにも思える。結果的には朴大統領の権力と富を受け継ぐのが全斗煥にはなったが、彼が最初からそのつもりで画策していたとは考えにくい。

民主化の動きを断固として否定し、力ずくででも抑圧すべしとする大統領とその側近のなかでただ一人、その空気に抗う穏健派の金載圭は孤立し、大統領の寵愛は次第に俗物の車警護室長へと移って行く。イアーゴの言う緑色の目の魔物(green-eyed monster ; Othello, by W.Shakespeare)に侵されて行ったのはむしろ金KCIA部長であり、イアーゴ云々は彼の運命を物語っていると解するのが自然ではないか。格下の警護室長に舐められているのに腹を立て、拳銃を手にして髪を振り乱して大声で怒鳴り合う場面は普段のイケメンスターのイ・ビョンホンとは思えないような狂気的な演技で、カッと頭に血がのぼって見境がつかなくなった中年オヤジの悲哀をとてもよく演じている。別の場面では雨が降る中、濡れねずみのごとく宮井洞の設宴所に忍び込んで隣室の大統領の会話を盗聴する哀れな姿も印象に残った。いままでのイ・ビョンホンのイメージとは違った一面が感じられる映画だった。ストーリーの骨子となる史実そのものはすでによく知られていて、同じテーマの映画やドラマが繰り返し製作されているが、その中で新鮮さを失わずにうまく作り込まれたおもしろい映画だった。

追記:
大事な描写の印象をひとつ、記し忘れた。パリで暗殺された金炯旭元KCIA部長の最期の場面と、現部長の金載圭ーイ・ビョンホン演じるキム・ギョピョンーが朴大統領を射殺後に車で宮井洞の現場から離れて陸軍司令部に向かう場面では、ともに片方の靴を失っていることに気が付いて運命の終焉を迎えたように共通して描かれている。明らかに使い捨てられる二人のKCIA部長の共通の惨めな運命を暗示しているように思える。大統領射殺という大それた行為そのものは達成したものの、金載圭にはその後のプランがもとよりまったくなかった。とりあえず、最大の障害を取り除くことのみが目標で、その後は成り行きに任せるしか他になかった。裁判で供述した通り、彼自身が大統領に取って代わる気持ちなど、事実毛頭なかっただろうし、そのような人物ではなかったのは確かだろう。ラストシーンで車で向かう先を、自身の拠点の南山のKCIA本部か陸軍本部かを運転手から問われた時のイ・ビョンホンの、頭の中まっ白で呆然自失という表情が、実にうまくそれを描写していて感心した。

イ・ビョンホン以外には、
金炯旭ーパク・ヨンガクーを演じたクァク・ドウォン、朴大統領を演じたイ・ソンミンも味のあるいい演技で印象に残る。三度繰り返し出て来る「君のそばには私がいる。好きなようにやりたまえ」というセリフはなかなかの名セリフだ。

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