grunerwaldのblog

バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭など、主に海外の音楽祭の鑑賞記や旅行記、国内外のオペラやクラシック演奏会の鑑賞記やCD、映像の感想など。ワーグナーやR・シュトラウス、ブルックナー、マーラー、ベートーヴェン、モーツァルトなどドイツ音楽をメインに、オペラやオペレッタ、シュランメルン、Jazzやロック、映画、古代史・近現代史などの読書記録、TVドキュメンタリーの感想など。興味があれば、お気軽に過去記事へのコメントも是非お寄せ下さい。

2021年10月

まだ年末というわけではないが、振り返るとすでに2月のことだったが、東京オリンピックの開催を巡ってM元首相が女性蔑視発言で世論の大きな反発を招いた末に組織委員会の役職を辞任したりで、今年はなにかとこの国のコアな部分の根深く、また看過できない問題として到底先進国とは思えない人権意識の低さ、とりわけ女性蔑視の問題が大きくクローズアップされた一年だった。そうしたなかで迎えた衆院選でも、女性議員比率の低さなども問題視され、オッサン社会のミソジニストぶりがなにかと話題として取り上げられた。ということで、LGBTQという、ここ数年で比較的世の中に浸透した言葉とともに、この「ミソジニスト」という割りと今までは耳にしなかった言葉も、広く使われ出したように思われる。

ミソジニスト」とは、女性蔑視主義者と女性差別主義者を指して使われているようだ。英語の misogyny→misogynist のことで、これは古ギリシャ語源の miso = hate, dislike + gyno = women から来ている。広く「女性嫌悪」「女性憎悪」全般を指す言葉である。多くは公的立場にある男性(女性の「女性嫌い」、逆に男性の「男性嫌い」があっても全然おかしくないが、それはさておき)や有名人が、なんらかの理由で女性を蔑視したり軽視したり、差別的な文脈で何かを公言した時に、その発言者に対して「ミソジニストだ!」、その内容に対して「ミソジニーだ!」と反発し糾弾する際によく使われている。ここ最近で割りとひろく使用されるようになった感があるが、じゃあ、その反対は?と問いかけたら、案外返答に窮するのではないだろうか?

「ミソジニスト」の反対語、つまり「男嫌い」を指す古ギリシャ語源の言葉は何?それは、同じように語頭に mis を置き、その後に男性を意味する andro- を付けて、misandry→misandrist となる。よって「ミサンドリスト」が正解。「男性嫌悪」「男性憎悪」を広義に意味する言葉となる。

逆に、その文脈で全般的な意味での「女性好き」をどう言うかというと、philo + gyno で、philogynyphilogynist となる。「男性好き」は philandrist。ただし、ドン・ジョヴァンニのように性的な文脈(ドン・ジョヴァンニはそうではないと否定するかも知れないがw)での「女好き」となると、gynecophilic → gynecophilia (または gynephilia)となり、逆にその意味での「男好き」は androphilic → androphilia となって、それぞれ語頭と語尾が逆になるからややこしい。

もっと無難に、広汎な「博愛主義的な人間愛」に使う場合は、おなじみの philanthropy→philanthropist となり、逆に「厭世主義的な人間嫌い」は misanthropy→misanthropist となる。もっと病的に「対人恐怖症」まで行くと anthrophobe(人)、anthrophobia(病状) となる。ちなみに「男性恐怖症」は androphobe(人)、androphobia(病状)で、「女性恐怖症」は gynecophobia。

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今年は例年より早く、10月の17日に急な冷え込みが来て以来寒い日が10日間近く続いて、もうこのまま冬になるのかと思っていたが、今日はようやく秋らしい爽やかで過ごしやすいお天気となった。ここ10日間ほどはすっかり冬物の服装で暖房もかけていたが、2日ほど前からは20度前後の過ごしやすい気温に戻り、木々の色づきも穏やかに感じられはじめた。

今日は休みを取って衆議院選挙の期日前投票に出かけたついでに、近くの公園でつかの間の秋晴れを楽しんだ。木々の色づきは、ようやく始まり始めた頃あいで、例年このタイトルで日記を書いているのは11月の終わり頃だから、またその頃になったら同じタイトルで晩秋の美しい1日を記録できればいいな。

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名指揮者ベルナルト・ハイティンク氏がロンドンの自宅で死亡した。92歳。ニューヨーク・タイムズなどの記事として、共同通信が報じた。

グロヴェローヴァ
現世代のコロラトゥーラの女王として日本でも人気が高かったソプラノのエディタ・グロベローヴァが亡くなられたことを知った。死因は非公表で、まだ74歳だったらしい。自分が90年代にイタリアオペラを聴き始めた頃には、すでに人気絶頂という印象だった。実演で聴いたのはいずれも日本公演で、96年のランメルモールのルチア(メータ指揮フィレンツェ歌劇場管:東京文化会館)、2000年シャモニーのリンダ(カンパネッラ指揮ウィーン国立歌劇場管:NHKホール)、02年清教徒(ハイダー指揮ボローニャ歌劇場管:びわ湖ホール)などだが、なんと言っても96年のメータ指揮、マリエッラ・デヴィーアとのダブルキャスト、スコットランドの荒野を舞台にしたグレアム・ヴィックの演出で聴けたランメルモールのルチアでの題名役の「狂乱の場」最後の、競技大会のような超絶高音の絶唱が最も印象に残っている。録音で聴ける過去のベル・カントの女王と違って、現役世代で聴けるコロラトゥーラの女王として素晴らしい歌唱を聴かせてくれた。

思えばワーグナーに没頭する以前、90年代からミレニアムの頃にかけては、今よりもずっと熱心にイタリアのベル・カントオペラを愛聴していたものだ。例えば「マリア・ストゥアルダ」だけでも4、5種類のCDがあるし、「アンナ・ボレーナ」「ルチア」「ノルマ」もそんな調子だ。当時はブログなどやっていなかったので記録がないが(パソコン通信というのがあったが)、あったとしたらこのブログのイタリアオペラのカテゴリーももっと賑わっていたことだろう。モンセラート・カバリエ、マリア・カラス、レナータ・スコット、レイラ・ゲンチャー、エレナ・スリオティスなど、ぞっこんになっていた歌手も数多い(ジョーン・サザーランドとボニングのCDも勉強になったけど、ちょっと教科書的で燃焼感が薄く感じたーやはりイタオペはライヴ録音に限る)。

そんななかで、エディタ・グロベローヴァのCDでは写真の「アンナ・ボレーナ」の印象がもっとも強く残っている。演奏はボンコパーニ指揮ハンガリー放送響で、94年ウィーンでのライブ録音。ちょっとリブレットの落丁ぶりが甚だしすぎて唖然としたが(笑) ホセ・ブロス(テナー)のパーシー卿、ステファノ・パラッチ(バス)のヘンリー8世など、男声陣の充実した演奏も印象深い。久しぶりにまた聴いてみようか。

素晴らしい歌唱で魅了してくれたコロラトゥーラの女王に哀悼の意を表したい。

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ダスティン・ホフマンが主演で「マラソンマン」という題名の70年代の米映画があることは知っていたが、長年マラソン走者に題材を取ったヒューマンドラマかなにかだとばかり思っていて、あまりそうしたジャンルに関心がないので観ていなかった。ところがこの3月頃に、新型コロナによる度重なる緊急事態宣言の影響で自宅で過ごす時間が多くなり、ここぞとばかりに何作ものナチス・ドイツ関連の書籍や映画に接する機会ができ、このブログでもそうした記事が増え、新たに「ナチス・ドイツ関連」のカテゴリーを付け加えることにもなった。70年代のそうした関連で印象に残った映画は3月にブログでも取り上げた「オデッサ・ファイル」「ブラジルから来た少年」などで、いずれも製作・公開から半世紀近くを経たいま現在でも、少しも色あせていない緊迫感や面白さにあふれる名作だと新たな感動を得た映画だった。またか、と思われるかもしれないが、しつこくナチス・ドイツ関連の話題である。

で、それらの映画を観てブログで取り上げる過程で、同年代の映画のなかにダスティン・ホフマン主演の「マラソンマン」という映画があって、そのなかでローレンス・オリヴィエ扮するナチスの残党の元歯科医(元ナチの歯科医で南米に亡命していて、後半でユダヤ人らに「白衣の天使 'weißer Engel'」とか「殺人者」と呼ばれるなど、元ナチスで狂気の殺人医師だったヨーゼフ・メンゲレをモデルにしていることは明白である)が、麻酔をかけずにダスティン・ホフマンの歯を治療器具の針先やドリルでグリグリと突き刺して壮絶な拷問をする場面があるという情報だけは目に入ったのだが、なんでマラソンランナーが元ナチの歯科医にそんな拷問を受けるのか、その断片の情報だけを見てもさっぱり意味がわからず、それ以上の関心を持つまでには至っていなかった。それが、先週の木曜日(10月14日)にNHK-BSプレミアムの「BSシネマ」で放映されるとのことで、まぁ、この機会に面白ければ、という程度の軽い気持ちで一応予約録画しておいたものを鑑賞した。

で、結果、やはりなかなか面白い映画だった。「マラソンマン」なんて言う月並みで漠然としたタイトル名でなければ、もう少し早く気づいていたかも知れない。こうして振り返ると、「オデッサ・ファイル」の製作・公開が1974年で「マラソンマン」の製作・公開が1976年、「ブラジルから来た少年」のそれが1978年という時系列で見ると、米下院議員のエリザベス・ホルツマンらが主導した元ナチス関係者に対する移民法の改正(1978年;ナチスによる迫害行為に関わった者を国外退去にする権限をINS特別起訴部に付与する法案を通過させた)や、翌79年のOSIの新設司法省刑事局内に特別調査部ーOSIーを設置し、より強い法的権限を持たせた)という、米国内での元ナチス関係者の訴追に関する流れと連動していたことが推認できるのが興味深い(参照記事書籍/The Nazi Hunters/Andrew Nagorski/その3)。

映画そのものの面白さもさることながら、強烈に印象に残ったのは名優ローレンス・オリヴィエの鬼気迫る怪演ぶりだった。78年の「ブラジルから来た少年」ではグレゴリー・ペックが元ナチスの殺人医師ヨーゼフ・メンゲレをグレゴリー・ペックが演じ、それに対峙する元アウシュヴィッツ収容者でナチス・ハンターのサイモン・ヴィーゼンタールという実在の人物をモデルにした役(もちろん実在の人物をはるかに超越した演出による架空の役どころである)を、ローレンス・オリヴィエが演じていた。そちらは善玉役で、事件に巻き込まれて行くまではどちらかと言うと軽妙な演技で、名優ローレンス・オリヴィエのイメージを大きく逸脱するものではなかった。ところがその2年前に製作された「マラソンマン」では、L・オリヴィエが逆にヨーゼフ・メンゲレを連想させる完全な悪役を演じており、その怪演ぶりがもの凄いことで驚いた。

役名はクリスティアン・ゼルなる元ナチの歯科医で現在は南米ウルグアイに逃亡しているが、大戦中に収容所のユダヤ人から巻き上げた莫大な金やダイヤモンドをニューヨークの銀行の貸し金庫に預けて兄に管理させ、そこからの資金を秘密組織を通じて亡命先のウルグアイに送金させている。そのゼルの兄が、冒頭で交通事故死して送金がストップしたことから、この映画のストーリーが始まる。この兄の事故死の場面も必見で、ゼルの兄のボロ車が坂道の途中でエンコしてストップした後ろに、たまたまユダヤ人の老人が乗るボロ車が差し掛かって口論となり、おまけに相手がドイツ人でユダヤ人をなじったために口論に火が点き、いまで言うところの「あおり運転」から激しいカーチェイスとなり、バックで出て来たタンクローリーに激突し、その事故で二人とも死亡する。それまではその兄が銀行の金庫の財宝を管理し、運び屋に運ばせて南米のゼルに届けさせるシステムが出来上がっており、おそらくその資金をもとに、南米の元ナチスの秘密組織の運営に充てていたのだろう。それが兄の死でストップしてしまった。兄の事故死はたまたまの偶然だったが、疑い深いゼルは疑心暗鬼となって誰かが陰で自分を嵌めようとしているに違いないと思いはじめたとしてもおかしくはない。

で、なぜダスティン・ホフマン演じる「ベイブ」がこの事件に巻き込まれることになったかと言うと、彼の兄のドク(演じるはロイ・シャイダー)が、件のダイヤの運び屋をやっていたからだった。ドクは実は米政府の「とある組織」の職員で、スパイとしてその組織に潜入していたのだった。のちにドクの同僚で同じく潜入捜査員だったジーンウェイ 'ジェイニー' (ウィリアム・デヴェイン)がベイブに打ち明けるセリフによると、「(対象がデカすぎて)FBIが扱いきれず、なおかつCIAも嫌がる仕事」が担当の政府内の「ある支局(a division)」とほのめかしている。上記した A.Nagorski の書籍を読むと、表向きは検挙率が低く実績が目に見えづらい「移民帰化局(INS)」などが実は水面下ではこうした危険を孕んだ捜査を行って情報収集に努めていたことを暗示させる。それは後半で例のベイブの拷問の後、ジェイニーがゼルに対して高圧的な態度で「とっとと明日の昼便でウルグアイに帰れ。お前の情報は役には立つが、騒ぎを起こしすぎる。扱いにくい。あんたは過去の遺物だ」と語る場面からも推察される。「てめぇ、若造のくせに生意気な野郎だな」とむかつくゼルに対して、「悪いが、お国のための働いてるだけなんでね」とジェイニーは言い、ゼルは「それはオレたちも皆同じだったーSo did we allー」と答える。この場面は案外重要で、上述のナゴルスキの書籍(The Nazi Hunters)のスーブゾコフのくだりやエリック・リヒトブラウ著「ナチスの楽園」などを読むと、このなにげない短い場面の背景がより鮮明に見えてきて、割と重要なシーンであることがわかってくる。もちろん、この映画は完全にフィクションだし(原作・脚本:ウィリアム・ゴールドマン、監督:ジョン・シュレシンジャー)、これら書籍はずっと後年に刊行されたものだが、原作はかなり実際の取材に基づいているのではないかと推察できる。そうしたことからゼルは兄の事故死の件からドクを疑いはじめ(複雑だが、それはどうもジェイニーがそう仕向けたと取れるようにも描かれている)、その弟のベイブもドクからゼルの秘密について何か聞かされているかもしれないと、あらぬ疑いを抱きはじめたわけだ。

映画の前半ではゼルの組織への潜入捜査員であるロイ・シャイダー演じるドクがパリでジェイムズ・ボンドばりのアクション活劇を見せるのが見ものだが、その中で実際のガルニエ・パリ・オペラ座の大階段とロージェ(個室)の場面が出て来て、マスネの「エロディアード」の一節が流れる(実際の演奏は John Matheson 指揮 Royal Opera House Covent Garden Orchestra)。舞台や演奏の映像はないが、ロージェでドクの取引相手が喉を掻き切られて殺されているという場面に合わせて、なかなか効果的にオペラの音楽と大階段の映像が使われている。ウルグアイのゼルの潜伏先の場面でも、クラシック音楽が好きだったメンゲレを連想させるように、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」から第6曲目「しりたがるもの(der Neugierige)の一節が聴こえ、一瞬D.F.ディースカウかと思ったら、クレジットではフリッツ・ヴンダーリッヒとなっていた。ハンサムで肉体美溢れるロイ・シャイダーの活躍は見ものだが、パリからニューヨークの弟ベイブのところへ帰って来た途端、ゼルの仕込みナイフによりあっさりと殺されてしまう。なんとか最後の力を振り絞って弟ベイブのアパートまで戻るが、すでに虫の息であり、かろうじて弟の顔を見たが最後、なにも語らずにこと切れてしまう。

ドクの弟ベイブ(D.ホフマン)が巻き込まれていくのは、ドクが死ぬ前にベイブに自分たちの秘密を打ち明けたに違いない(実際は彼は何も知らない)と邪推したゼルからあらぬ疑いをかけられたことから始まる。手下二人(このうちの一人の「カール」はリチャード・ブライトで、ゴッドファーザーでも手下アル・ネリの役でお馴染み。いずれも無口かまったくセリフがないのは、よほどセリフが下手か声が悪いのだろう)に誘拐され、件の歯根グリグリの拷問のうえ、命を狙われることになる。歯の拷問の場面で、ゼルは初対面のベイブに「Is it safe?」という、ベイブからしたらわけがわからない短い質問を何度も何度も執拗に繰り返して困惑させる。これを観ている観客もベイブと同じく当惑させられ、まじめな顔で表情ひとつ変えず「Is it safe?」という同じ質問を何度も繰り返すゼルに不気味さと狂気を感じずにいられない。おまけに字幕の訳が「安全か?」とだけしか表示されないので、なおさら不気味さが増す。これはこれで、ゼルの狂気を表現するには妥当だとは思われるが、もしもわかりやすい翻訳にするとすれば、「あれは無事か?」とか「例のブツは無事か?」「わかんねえのか、アレのことだよ、アレ!」とすれば、観ている客にはわかりやすいだろう。上記したように、ゼルは組織への潜入スパイだったドクが死ぬ間際に、弟のベイブに南米に潜伏して暮らす元ナチスの残党組織のメンバーのリスト(要は ODESSA FILE と同じですな)のことをしゃべったか手渡したのではないかと疑っているわけだ。あるいは銀行の貸し金庫(safe)のことを知ったかも知れない。こういうわかりやすい説明をあえて避けているから、不可解さと不気味さがより増す効果となっている。

ゼルはその後、ニューヨークの銀行の貸し金庫から無事に膨大な量のダイヤモンドを回収し銀行を後にするが、その途端に銃を手にしたベイブによりセントラルパーク脇の排水施設へと連れ込まれる。足場はメッシュ(網目状)の鉄の構造物で、その下は調整池となっている。ラストシーンとしては非常に印象に残る場面だ。この施設でベイブから銃で脅されたゼルは、アタッシェケースのなかの膨大な量のダイヤモンドをベイブに見せる。ベイブはもちろん、それを奪うのが目的でもなんでもなく、ダイヤをひと握り手に摑むとゼルに向かって放り投げる。投げられたダイヤのほとんどは、網目状の足場の隙間から下の調整池にこぼれ落ち、それを見たゼルは大声をあげて慌てまくる。ベイブはゼルにダイヤを飲み込め、それを食えと命じ、ゼルはダイヤを一粒、なんとか飲み込む。が、それ以上飲み込むことは拒否し、ベイブに対し「撃てるものなら撃ってみろ。親子揃ってこの弱虫め」と唾を吐きかけ彼に迫る。ベイブがゼルをはたいた瞬間、銃が足もとに落ち、仕込みナイフを繰り出したゼルが反撃に出るが、その瞬間、ベイブはダイヤモンドが満載のままのアタッシェケースを足もとの調整池にむけて放り投げる。それを見てパニックに陥ったゼルがワーッと大声をあげて狂ったようにそれを回収しようと慌てて階段を駆け下りようとした瞬間、彼は足を踏み外して階段を転げ落ちてしまう。最下段まで転げ落ちてゼルが気づいた時には、長い刃の仕込みナイフは深々とゼルの腹を刺し貫いていた。階段の手すりから転げ落ちたゼルの遺体は、力なくうつ伏せとなって、調整池に浮かんだ。

シェイクスピア劇の正統派名優ローレンス・オリヴィエが自らの頭頂部の髪を剃ってまで挑んだ悪役の演じぶりはまさに怪演というにふさわしく、上述の拷問場面や銀行貸し金庫で大量のダイヤモンドを目にした時の歓喜のあまりの「ハァ!」という叫び声と、アンダーアングルからテーブル越しに散らばった大量のきらめくダイヤモンドのすき間から撮られたアップのワンショットの狂気に満ちた目は異常というより他なく、これがあの名優ローレンス・オリヴィエの演技かと思うと背中がゾクッとした。この映画の最も印象的なシーンではないだろうか(撮影:コンラッド・L・ホール)。

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最後にこの映画の題名についてだが、確かに主人公がセントラルパーク沿いを練習場所にして、マラソンに挑戦する大学生であるという伏線は描かれいるが、それは直接的にはこの映画の内容をわかりやすく説明するものではない。ナチス残党狩り関連のこの映画の内容と「マラソンマン」という題名がどう結びつくのか、考えさせられるタイトルではないだろうか。はっきりとはわからないが、個人的に思ったことは、42.195kmを走る競技としてのマラソンというよりは、長時間の取り組み、または長期戦全般のイメージで捉えた。主演のダスティン・ホフマンはユダヤ系ということだそうだし、ベイブという役名も正式には Thomas Babbington 'Babe' Levy という名のユダヤ系の学生で、コロンビア大学で歴史学を専攻しているが、戦後のナチス残党の暗躍状況を論文のテーマにしようとしたところ、教授から学問は客観的でなければならない、個人的な由縁で感情的になり過ぎてはいけないと諭され、マッカーシズムを研究対象にするよう強く指導される(この教授の名前がまた「ビーゼンタール教授」で、あのサイモン・ヴィーゼンタールと何か関係があるのかと思いきや、全く無関係であり、名前の綴り(エンドクレジット)も「Biesenthal」となっていて実際のナチハンターの「Wiesenthal」とは一字違いである。実は主人公の父親がその研究が原因で不名誉を得て自殺したことがトラウマとなり、彼にその遺志を継ぎたいと思わせる原因となっている。大戦終結から20年経とうが30年経とうが、ホロコーストの事実を忘れず、この先20年、30年経ってもそれを忘れず、戦後どさくさに紛れて世界に散らばった元ナチス関係者は長期戦で捜索し裁き続ける。そういう意味合いが「マラソンマン」というタイトルにこめられているのではないだろうか。実際にアメリカでは、戦後76年を経た現在でも、90歳を越えた元ナチス幹部が拘束され、裁判にかけられている。そういうことを思い起こさせるタイトルではないだろうか。
(それにしても今日はまだ10月中旬というのに急に冷え込んで、身体がついて行かない)

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当ブログへのアクセスの記録を見ていると、ここ数日なぜか二年前にアップしたワーグナーのパロディ演奏のCDを紹介したページへのアクセスが急に増えていて驚いている。なにがあったんだろうか?ワーグナーのパロディ演奏に関心がある人など、そう多くはいないようには思えるのだが。最近になって、どこかでこのCDが紹介されたんだろうか?よくはわからないのだが、せっかくなので以下にまるごとその記事をペタリ。以下は2019年9月16日に「笑える(でも結構本格的)ワーグナーのパロディ演奏CD」としてアップしたものの再掲。

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これは、ひと月ほど前に、熱狂的なワーグナー・ファンの 
"スケルツォ倶楽部" 発起人 さんのブログで取り上げておられたのを拝見して、なんだか面白そうなので調べていると、amazon のサイトでアルバムごとダウンロードが出来るようだったので、さっそくDL購入して聴いてみた。結果、"スケルツォ倶楽部" 発起人 さんがすでに詳しくご紹介いただいているように、基本的にはワーグナーのパロディ演奏と言える企画もののCDながら、演奏しているのは歴としたバイロイト祝祭音楽祭のピットで演奏している実際の楽団員有志によるものであり、非常に面白い内容の演奏でありながらも、本格的なのである。せっかくなのでCDでも注文していたものが、先日海外から届いていた。なので、本日の記事の内容は、完全に"スケルツォ倶楽部" 発起人 さんの後追いであり、文字通り、受け売りである。せっかくの面白い演奏のCDなんだから、どなたかがすでにお書きの内容だからと言って取り上げないでいたらフィールドもひろがらないし、第一もったいない。演奏曲目や、その内容などについては、すでに "スケルツォ倶楽部" 発起人 さんが上記リンクのブログで大変詳細に説明しておられるので、ご参照を。

一応、CDのタイトルだけ触れておくと、"Bayreuther Schmunzel-Wagner" と言うことになっていて、"スケルツォ倶楽部" 発起人 さんは「バイロイト風、爆笑ワーグナー」として取り上げておられる。うまい訳しかただと感心したが、ここでは「バイロイト風 笑えるワーグナー演奏集」と言うことにしておこう。CONCERTO BAYREUTH というレーベルのCDでニュルンベルクの Media Arte から2014年6月にリリースされている。曲の一部にもの凄いテープの伸びによる音の歪みがあったり、解説に "West Germany" という記載があったりするので、もともとのレコードはかなり古い録音だと思われるが、録音日などの詳しいデータは記載されていない。ただし、実質的なリーダーであるシュトゥットゥガルト州立歌劇場楽団員(録音当時)であるアルテュール・クリング(Vn,arrange)をはじめ録音参加者の氏名と所属オケ(録音当時)は記載されていて、それによるとクリングと同じシュトゥットゥガルト州立歌劇場の団員がもっとも多い。一曲目のモーツァルトの「アイネクライネナハトムジーク」とワーグナーの各曲のモティーフをかけ合わせた "Eine kleine  Bayreuther Nachtmusik" はクリング編曲による弦楽合奏で、奏者は15人。聴きなれたモーツァルトの「アイネ~」の典雅な演奏が突然「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のハンス・ザックスの靴叩きの音楽に切り替わったり、「トリスタンとイゾルデ」のマルケ王の音楽に混線したかと思うと、もとのモーツァルトに何事もなく戻ったりで、面白いけれども、演奏もとても本格的で言うことなしだ。他の曲で多人数の演奏では、フルート2、オーボエ1、クラリネット3、ファゴット4、トランペット3、ホルン(ワーグナー・テューバ)8、トロンボーン4、テューバ1、打楽器2が加わり、総勢36名による演奏(2,3,4,7,8,9,11)。オケの面々はシュトゥットゥガルト州立歌劇場のほかには、デュッセルドルフ響、ミュンヘンフィル、バイエルン放送響、NDRハンブルク響、ハンブルクフィル、ベルリン・ドイチュオーパ、ベルリン放送響、フランクフルト放送響、キールフィル、マンハイム、ヴィースバーデン、ハノーファー、ダルムシュタット、ザールブリュッケン、それにベルリンフィルからと、じつに多彩だ。フォーレ③やシャブリエ⑦のカドリーユなんかは「冗談音楽」そのものと言った印象だが、やはりワーグナーの各曲のモティーフが散りばめられていて、くすりと笑える。ドヴォルザーク(クリング編曲)④ラルゲットなどは、室内楽として聴いても美しい曲。クリング自身の作曲による "Siegfried Waltzer"⑨は、ウィーン風のワルツのなかに「ジークフリート」のモティーフが散りばめられていて秀逸。ミーメのトホホの嘆き声も聴こえてきそう。ヨハン・シュトラウス風のピツィカート・ポルカのワーグナー風パロディ⑧もあったりで、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートなんかで告知無しで演奏したら、案外だれも気付かなかったりして(…な訳ない、笑)。

ダウンロードだけでなく、CDも取り寄せてみたのは、合唱も入った "Wir sint von Kopf bis Fuss auf Wagner eingestellt"(われら全身ワーグナーに包まれて)⑤の歌詞の内容が知りたくて、ひょっとしたらリーフレットに掲載されていないかと期待したのだが、残念ながら掲載されていなかった。続く "Tanny and Lissy"(ユリウス・アズベック作曲・ピアノ)⑥ も声楽入りで、こちらは「タンホイザー」のジャズ風というかカバレット・ソング風のパロディで、タンホイザーが "Tanny" で、エリザベートが "Lissy" と言うことで、ジャズとは言ってもそこはドイツ、どことなくクルト・ワイル風の趣で、これも歌詞内容を確認したかった。この夏はちょっとリスニングルームでじっくりと聴く時間が少なかったのだが、夏の終わりに面白い新発見があって一興だった。


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いや、プロマーは相変わらずおバカだね、って話しなんですけどね(笑)
前回時間切れで途中までだったので、その続き。と言っても大した内容ではないですが。

ここ数年はあまり見ていなかったプロムスのラストナイト・コンサートの映像を、コロナ前後の2018年、2019年、2020年と3年分、NHK-BSプレミアムの録画ダビングの映像で続けて鑑賞した。

プロムスは開催期間や規模の大きさで、「世界最大の音楽祭」を名のっている。なんでも8週間の期間中に100ほどの大小のクラシック関連のコンサートが催されるようで、Proms は創立者の名を冠した Henry Wood Promenade Concert の略であるとのこと。普段はクラシックコンサートには行かないような客層にも気軽にクラシック音楽に触れる機会を提供するということを主眼に置かれているらしい。ラストナイトコンサートはその一連のコンサートの締めくくりの文字通り最終夜にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われる大規模なコンサートで、収容規模は6千人を超えるというから、一回のクラシックのコンサートとしては確かにスケールが大きな催しだ。それに加えて全英4か所の特設会場には数万人の観客が集い、中継で結ばれる。一般的なクラシックコンサートの収容者数は多くて1,800人ほどだから、主会場のロイヤル・アルバートホールだけでも優に3倍強の観客が押し寄せる英国では人気のイベントだ。ロイヤル・アルバートホールはさながらアリーナと言えるほどの大きさで、中央の平土間はすべて立ち席となり、プロマーと呼ばれる熱狂的なファンが前方の良い位置を確保するために徹夜で並ぶそうな。彼らはみなユニオンジャックの英国旗やイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドそれぞれの旗、あるいはカナダやオーストラリアなど英国圏の旗を誇らしげに掲げて連帯の絆を確かめ合い、ここぞとばかりに愛国心と郷土愛を誇示するイベントとなっている。なかには確かにクラシック音楽のファンというよりは単にこの愛国的イベントの熱狂的なファンとしか思えないような客も多数いるようだが、この時ばかりはクラシックのコンサートでは行儀が悪いとされる鳴り物や口笛、風船やクラッカーなどが際どいタイミングで発せられることもあり、指揮者がそれをどううまく切り抜けるかも手腕の見せ所となっている。

第一部は通常のクラシックの演目が主体であるので、プロマーどもはここでは悪さをせずに立ったままでしおらしく我慢して聴いているが、第二部はラリーのスペシャル・ステージといった具合に、ここぞとばかりに行儀の悪さを競い合う。レナード・スラットキンやアンドリュー・デイヴィスのような年季の入った常連指揮者から気転の効いた切り返しをここぞというタイミングでされると、大いに盛り上がる。二部の中盤以降はほぼ固定のプログラムで、ヘンリー・ウッド編曲の「イギリスの海の歌による幻想曲」では「トム・ボウリング」の哀調を帯びたところではプロマーたちは大きなハンカチを取り出してはさめざめと涙をぬぐうそぶりをし、おなじみの「ホーンパイプ」に変わると待ってましたとばかりに鳴り物やクラッカーが炸裂し、プロマーどもは曲に合わせて膝を曲げて身体を上下に揺らして踊り、旗を振って郷土愛をアピールする。これに「ルール・ブリタニア」、エルガーの「威風堂々」、「イェルーサレム」と愛国心を鼓舞する演奏が続き、最後は英国国歌と「蛍の光」の合唱で終わる。上記した4地域の中継会場の演奏とも合わせて、皆が盛大な合唱で盛り上がり、これがBBCで放送され全英中が興奮の坩堝と化す。これに比べれば NHKの「紅白歌合戦」などはしおらしいものだ。まあ、観たことがある人であれば、わざわざ言葉での説明など不要な有名行事だ。演奏はBBC交響楽団による本格的なもので、これに BBC Singers と BBC Symphony Chorus 混成の合唱が加わり、この合唱も実にレベルの高い演奏で、感動的である。

で、2018年はかつてBBC響の常任指揮者だったアンドリュー・デイヴィスが18年ぶり、なんと12回目の指揮であるらしい。さすがに堂に入ったもので、プロマーのあしらいも心得たもので、他の指揮者とはまさに別格であることが、18年ぶりに確認できたことは価値が高い。これに比べれば、最近の常連となったサカリ・オラモでも足元には及ばない。ゲストはカナダのバリトンのジェラルド・フィンリーと、最年少ゲスト出演というサクソフォン奏者ジェス・ギラム。ジェラルド・フィンリーはこれぞ正統派のバリトンという印象で、イギリス人好みの海の勇者の歌を聴かせた。ジェス・ギラムはまだキャピキャピとした19歳の活発そのものといった印象の少女で、ミヨーの「スカラムーシュ」ではアルト・サックスで目をパチクリさせながらせわしなく動き回るような演奏を聴かせて、その印象はまるで「商店街宣伝広告楽隊」、いわゆる tin don のようで、妙に脳内にこびりついて夢に出てきそうな感じだ。後半の平土間立ち席のプロマーたちの様子は、意外にも英国旗に対抗して青い地に黄色い星のEUカラーのベレー帽派が拮抗しているようで、複雑さも垣間見られた。2018 BBC Proms Last Night Concert 概要はこちら

世界がCOVID-19に見舞われる直前であり、かつ英国のEU離脱前最後の年となった2019年の指揮者は、近年常連となったフィンランドの指揮者サカリ・オラモで、2014、2016、2017年に次いで4回目の登場。ゲストはメゾ・ソプラノのジェイミー・バートン。冒頭はダニエル・キダンによる委嘱作品「Woke」で、米国で社会問題化していたBLMを意識して初演された。続くファリャの「三角帽子(第二部)」で圧倒的な演奏を聴かせ、さすがにレベルが高く、プロマーたちも降参気味の様子。三曲目は月面着陸50年ということらしく、マヴーラ作曲「月に歌えば」で、女声9人と男声9人によるBBCシンガーズによる合唱が美しく印象的な曲。女性作曲家マコンキーの1952年の「誇り高きテムズ」に続いて演奏されたエルガー「ため息」はもの悲しく哀調を帯びた美しい曲で「弦楽のためのレクイエム」を思い起こさせる。アメリカ出身で2013年のBBC Cardiff Singer of the World competitionで入賞して以来人気が急上昇中というジェイミー・バートンが堂々たる歌いっぷりで「ハバネラ」を聴かせると会場は異常な盛り上がり。続いてサン・サーンスの「サムソンとデリラ」からを聴いていると、この人は「ドン・カルロ」のエボリ公女向きだな、と思っていると、ずばり次は同歌劇中の「むごい運命よ」と続いた。「アイーダ」凱旋曲で一部が終了。第二部はオッフェンバック「天国と地獄」序曲で開始。グレンジャー作曲「民主主義の進軍歌」なる聞きなれない歌はコーラスのハミングが特徴的な一作。ジェイミー・バートンが再登場し、ポピュラーな「虹のかなたに」を披露し、ガーシュインの「アイ・ガット・リズム」と続く。軽音楽とは言っても、BBC響の本格的な演奏で聴くとやはりゴージャス感がある。ここで恒例の指揮者のスピーチとなり、サカリ・オラモがヘンリー・ウッド生誕150年の紹介をするが、やはり前年2018年に指揮した大ベテランのアンドリュー・デイヴィスの堂々たるものに比べれば、4回目の指揮とは言えサカリ・オラモは優等生のようでまだまだ青い、原稿棒読みという感じ。音楽では十分に聴衆と繋がっているが、言葉とスピーチではひと癖ある聴衆とは、まだじゅうぶんにコミュニケイトできていないなぁ、と感じた。ちょっと言葉が早くて「ため」や「間」がないし、目も泳ぎ気味。まぁ、まだもう少し修練が要りそうだ。この後は恒例のヘンリー・ウッドの「イギリスの海の歌による幻想曲」から、「ルール・ブリタニア」ではジェイミー・バートンが再登場し、アルバート・ホールと各中継会場を繋いでの大合唱で、字幕も英語がついてわかりやすい。曲の最後ではジェイミーがレインボウ・フラグをおもむろに取り出して高々と掲げると、会場も大盛り上がり。この人はLGBTQを公表していることでも有名らしい。イベント全体的にもレインボウ色はかなり強くでていたが、そうは言ってもこの半年後にはEU離脱しちゃうんだよなぁ。続いてエルガー「威風堂々」の会場の映像では、どちらかと言うとEUカラーのベレー帽派が優勢に見えるし、大きな字で「THANK EU FOR THE MUSIC」と書かれた青色のTシャツ姿の男性の姿も写っている。でももう遅過ぎるし、この後も司会者からは BrexitやEU関連の話しは一切なかった。ここでもわかりやすく英語の字幕が表示されていた。日本人には関係ない話しだろうけど。この曲の最後はオルガンが壮大に響いて感動的なのだが、こういうものが日本にはついぞない。まぁ、日本は日本で別の種類の感動があるようだから、それはそれでいいのかもしれない。今夜はスシでも食べて感動しよう。最後はパリー作曲/エルガー編曲の「イェルーサレム」とブリテン編曲の英国国歌(これも合唱が実に美しい!)、「蛍の光」の合唱。こうしてEU加盟最後の年の「ラストナイト・コンサート」は幕を閉じた。2019 BBC Proms Last Night Concert 概要はこちら

2020年の同コンサートは、やはりコロナ禍の影響で無観客での演奏。広いアリーナにプロマーや聴衆はいない。指揮はやはりフィンランドの女性指揮者ダリア・スタセフスカで、ゲストは南アフリカ出身のソプラノ、ゴルダ・シュルツとヴァイオリンのニコラ・ベネディッティ。モーツァルト「フィガロの結婚」序曲、R.シュトラウス「Morgen」他、通例の「イェルーサレム」を現代音楽に編曲(Errollyn Wallen)し、ゴルダ・シュルツが歌った委嘱作品の世界初演が印象に残った。あとはやはり BBC Singers と BBC Symphony Chorus の合唱もよかった。2020 BBC Proms Last Night Concert 概要はこちら







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プロムスのラストナイト・コンサートの模様は、日本でもNHK-BSプレミアムで大体毎年(だったはず)数か月遅れで放送されている。自分の手元にある最も過去の映像は2004年のレナード・スラットキンがBBC首席指揮者として最後の年に振ったもので、サー・トーマス・アレンが「キス・ミー・ケイト」と「ミカド」の「処刑リストの歌」を歌ったことや、スラットキンの紹介付きでイキのいいスーザの「リバティ・ベル」が演奏されたことが印象に残っている。多分、この頃からVHSからブルーレイ/DVDに切り替わったので、ディスクが残っているのだと思う。その後も思い出した時には録画を取り出してみているとは思うが、やはり正月のウィーンフィルのニューイヤーコンサートと夏のベルリンフィルのワルトビューネコンサートほど決まったようには観ていないかもしれない。

それにはひとつの理由があって、いずれも最上のクオリティの世界的な音楽イベントではあるけれども、ボーダーを感じさせないウィーンのニューイヤーコンサートやベルリンのワルトビューネコンサートとは違って、ロンドンのプロムス・ラストナイト・コンサートは明らかに Anglosphereー生活や価値観や文化的背景なども含めての英語圏というボーダーがはっきりとしているお祭り騒ぎであって、本質は岸和田のだんじり祭りと同じだと感じるからである。いかに上質のクラシック音楽のイベントではあっても、こちらは明確に「彼らのお祭り騒ぎ」であって、Anglosphere圏外の人間が闖入してしおらしく聴かせてもらっているだけならまだしも、彼らと同じように調子に乗って日の丸の旗だとか太極旗だとかを手にしているのを見ると、ちょっと違うのでは?という違和感を感じてしまうのだ(特に二部の話し)。べつにそんな決まりとかはないんだろうけれども、ちょっとした空気感の違いをどうしても感じる。だって、星条旗ですらかなり少数派であまり見かけないような気もする。なんで「ルール・ブリタニア」とか「ジェルーサレム」とかを歌いながら、日の丸や太極旗が振れるの?(これを見て国旗が振りたくてうずうずしたんなら、真夏のY国神社だとか建国記念日のK原神宮だとか、もっと似つかわしくてワクワクするようなおすすめのワンダーランドな場所がありますぜ)いや、曲はいい曲だし、演奏は素晴らしいんだから、それで感動はするのは全く自然なことだ。ただ、だんじり祭りはだんじり祭り、阿波踊りは阿波踊りであって、やっぱりあれに主体的に関われるのは地元に密着した人たちだからこそであって、よそ者は自分がよそ者というのがわかって見ているだけだわな。あくまでツーリスト、トラベラー、ビジターであって、フレムテ、エトランゼだとうのを、より強く印象づけられるイベントではないだろうか(台湾や香港の旗がちらほらと見えたが、そちらは少々別の切実な思いが伝わってくる。それはわかるんだけれども、じゃあミャンマーは、アフガンは、とか考え始めたら、そりゃちょっとまた別のところで、って話しにならない?)。

それに加えて、Brexit が国民投票で驚愕の賛成多数を得たのが2016年の6月のこと。おいおい、おバカで行儀の悪いプロマーは9月のアルバートホールの中だけにしとけよ、と思わず声が出てしまった。日本ではすでに極右的傾向の政権が行儀の悪さを本領発揮していたし、トランプが大統領選を制したのも同じ2016年の11月で正式に大統領に就任したのが翌2017年1月20日。いったい何が世界をディストピアに導いているのか?という脱力感が数年間続いた。そういうこともあって、プロムスのラストナイトも NHK-BSプレミアムで放送したものを録画してディスクには落としてはいたけれども、とても観ようという気になれず、ダビングだけして観ないままになっていた。

そういうことで、久々に気を取り直して2018年から3年間のブリトンの祭りの映像を鑑賞した。2019年はコロナのパンデミックに襲われる直前で、かつ Brexit発効前の最後のラストナイト・コンサート、2020年はコロナ禍中にあって観客のプロマーがホールにいないという、なんのためのラストナイト・コンサートか、という異例のイベントとなった。ということで、続きは後日にまた。

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