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先月のびわ湖ホールでの「パルジファル」を観て(聴いて)からひと月になる。ブログもその時の記録をアップして以来になるが、その間、同曲の様々な映像作品やCD作品をあれこれと聴いている間に、あっと言う間にひと月が経ってしまった。〈舞台神聖祝祭劇〉とも題されているように、キリストの受難劇に基づくこの曲は、とにかく深遠であり、長大である。第一幕が約1時間35分、第2幕約65分、第3幕約70分(下記ケント・ナガノ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団2004年演奏の場合)で、演奏によってははるかに長時間になる場合もある。手元にあるクナッパーツブッシュのバイロイト1952年のCDの場合、第一幕だけで1時間53分を越え、一幕後半の聖儀式の部分などクナはムキになってテンポを遅くしているとしか思えないような演奏もある。夏の暑い時期に、決して掛け心地が良いとは言えないバイロイト祝祭大劇場の座席に2時間近くじっと座っていられる忍耐力と体力が、ワグネリアンには求められる。この長大な楽曲演奏の録音や映像作品の数々に向かい合っていると、それだけで他のことが手につかなくなってくる。最近手にした何冊かの書籍も、いまだ手付かずで先に進まない。

第二幕の終焉部でクンドリーの求愛を拒絶したうえにアムフォルタス(≒救済者、イエス・キリスト)への道を問うたパルジファルに対し、クンドリーは彼に迷妄の道を彷徨う呪いをかける。第三幕の冒頭は、パルジファルが長く迷妄の道を彷徨い続けた末に、グルネマンツの介抱で同じく長い眠りからようやく目覚めたクンドリーと再会するところから始まる。いま現在進行型で起こっているウクライナでの戦禍の報道では、徹底的に破壊し尽くされた街々の悲惨な映像が目に入らない日はなく、とても21世紀に起きている現実として受け入れられる気にはならない。深い悲しみ満ちた第三幕の前奏曲がこころに重く深く響いてくると、愚かにもまたもや人類が暗い迷妄の道に彷徨いこんでしまったことが悔やまれてくる。パルジファル自身もこのような戦禍のなかで生を受け、父のガムレットはパルジファルが生まれる前に戦死した。残された母ヘルツェライデの深い悲しみと、現在の戦禍を伝える映像がオーバーラップし、こころが痛む。

上に取り上げたDVDジャケットの写真は、2004年8月にバーデンバーデンのバーデン祝祭歌劇場で上演された、ケント・ナガノ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団演奏のもの。歌手はワルトラウト・マイヤー、クリストファー・ヴェントリス、マッティ・ザルミネン、トーマス・ハンプソン、トム・フォックス他。演出ニコラウス・レーンホフ。2022年となった現在からはひと世代前となったが、当時最高の布陣による贅沢な上演と言えるだろう。ケント・ナガノはこの時がオペラとしての「パルジファル」上演はじめてとのことだが、重厚感のある素晴らしい演奏を聴かせてくれる。ベルリン・ドイツ交響楽団は、ふだんはピットではなく舞台上で演奏するシンフォニー専門のオーケストラである(ベルリンには実力あるオーケストラやオペラがいくつもあるので紛らわしいが、オペラ専門のドイチュ・オーパー・ベルリンとは異なる団体)。それだけに、慣れないピットでのオペラ演奏には指揮者への全幅の信頼なしには演奏ができないと、ボーナス映像で楽団員が語っている。上述の如くベルリンには他に、言わずと知れたベルリン・フィルハーモニーをはじめ、シュターツカペレ・ベルリン、ベルリン放送交響楽団、ドイチュ・オーパー・ベルリン、コーミッシェオーパー・ベルリン、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団など実力あるオーケストラがひしめいている。そうしたなかでは、どうしてもひとは格付け的に演奏を位置づけてしまいがちだが、なかなかどうして、この「パルジファル」では、それらに勝るとも劣らない、重厚で美しく、芯のある演奏を聴かせてくれている。DENONからリリースされていることもあって、音響・音質的にも非常に高品質なDVDであり、数ある「パルジファル」の映像作品のなかでも最良クラスの音質であることは間違いない。

ニコラウス・レーンホフの演出は、伝統的・保守的な範疇からはやや外れるが、なかなか説得力のある演出だ。特に第三幕最後の終焉部では、務めから解放されたアムフォルタスはパルジファルの手のなかで息絶え、パルジファルは聖杯の代わりとしてアムフォルタスから授かった王冠を、ティトレルの亡骸の胸に戻す。均質集団のなかでの伝統的価値観に固執するグルネマンツが聖槍を手に舞台に立ち尽くすのとは対照的に、Ahasver(アハスヴェール)たるクンドリーは新たな世界の可能性を求めて旅立ち、パルジファルがその後に続く。それに気づいた聖杯騎士たちの何人かも、それに続いて舞台を後にする。付属の日本語リーフレットで日本語字幕も担当した山崎太郎氏がその解説のなかで、ティトレルの騎士団とクリングゾルの世界は「『女性憎悪』(=ミソジニー;筆者)という否定的な要素で結ばれた互いの補完物」であるとしている。この問いは、仏教的社会にもあてはまる。「女人禁制」の根本は、女性を性欲の対象物としか捉えていないからこそ、ミソジニーに繋がる。ではそうではない「愛」とは何なのか?問い出すと、果てしがない。物語り全体を、隕石の落下による超常現象の可能性として暗示している部分もSF的で面白い。

それにしても印象的だったのは、8月のよほど暑い最中でのバーデン音楽祭でのライブ収録ということで、出演者みな汗だくの演技と歌唱。ヴェントリスなどは顔中汗まみれにも関わらず歌と演技に集中していて、流石だなあと思った。特に重装備の武具を着込んでの第三幕などは気の毒なくらいだが、その脱がした鎧兜を、こともあろうに天下のマイヤー様に舞台裏に片付けに行かせるとは、いくら演出でもそこだけは気に食わない!

手持ちの映像ではほかに、(歌手は パルジファル、クンドリー、アムフォルタス、グルネマンツ、クリングゾル、ティトレルの順)

①1981年バイロイト音楽祭(イェルサレム、ランドヴァ、ヴァイクル、ゾーティン、ローア、ザルミネン、指揮ホルスト・シュタイン、演出ヴォルフガング・ワーグナー)

②1992年メトロポリタン歌劇場(イェルサレム、マイヤー、ヴァイクル、モル、マツーラ、ロータリング、指揮ジェイムズ・レヴァイン、演出オットー・シェンク) 
※これぞ感動の名演!必見・必聴!


③1992年ベルリン国立歌劇場(エルミング、マイヤー、シュトルクマン、トムリンソン、カンネン、ヒュブナー、指揮ダニエル・バレンボイム、演出ハリー・クプファー)

④1998年バイロイト音楽祭(エルミング、ワトソン、シュトルクマン、ゾーティン、ヴラシハ、ヘッレ、指揮ジュゼッペ・シノーポリ、演出ヴォルフガング・ワーグナー)

⑤2005年バーデンバーデン音楽祭(上記記事)

⑥2011年バイロイト音楽祭(フリッツ、マクレーン、ロート、ユン、イェーザトコ、ランディス、指揮フィリップ・ジョルダン、演出ステファン・ヘアハイム、放送NHK-BS)

⑦2013年ザルツブルク復活祭音楽祭(ボータ、シュスター、コッホ(アムフォルタス/クリングゾルニ役)、ミリング、ボロヴィノフ、指揮クリスティアン・ティーレマン、演出ミヒャエル・シュルツ)

⑧2016年バイロイト音楽祭(フォークト、パンクラトヴァ、マッキニー、ツェッペンフェルト、グロチョウスキ、レーナー、ハルトムート・ヘンヒェン指揮、ウーヴェ・エリック・ラウフェンベルク演出)

など。