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シェイクスピアの戯曲や映画の「ロメオとジュリエット」はあまりにも有名すぎてその内容については言うまでもないが、意外にもオペラ(グノー作曲)の同曲は、今までに観る機会がなかった。そう言えば、ベルリオーズの劇的交響曲のCDも、ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィル1972年録音のを大方四半世紀も昔に聴いて以来なので、すっかりどんな演奏だったか忘れてしまっている。今回のBRディスクは、このところネット画面上のタワレコの○○%オフの広告がしつこく表示され、そのなかで1,500円を切る大特価で投げ売られていたので、いい機会だと思って即購入した。

2011年夏のヴェローナ野外劇場での公演で、NHKでもその年にBSプレミアムシアターで放送されていたようだが見逃していたようで、録画もしていなかった。不思議なのは、映像にもパッケージにもちゃんとNHKがクレジットされているのに日本語の字幕がないので、仕方がないので英語字幕で鑑賞した。まあ、値段も安かったことだし、そこは一向に差し支えはない。ただ、字幕ばかりに気を取られていると肝心の映像や音楽がおろそかになるので、2回、3回は見直すことにもなる。今回字幕で最も難儀したのは、メルキュシオによる「マブ女王のバラード」のところで、曲はこの歌劇のなかでも前半で最も印象に残る箇所のひとつだが、最初は英語字幕での歌詞の内容がまったくなんのことやらわからなかった。なので原語のフランス語歌詞なども参照して、ふんだんに押韻をちりばめた、お遊び的な詩だろうと言うことが伝わって来た。なので、こういう場合、必死になってその意味を、ましてや翻訳でなど全部を理解しようとするほうが無謀な挑戦だ。それ以外の部分は、筋もよく知られている話しだし、基本は普遍的でわかりやすい悲恋ものなので、わかりにくい要素はない。

この映像でのお目当ては何と言ってもニーノ・マチャイゼのジュリエットとステファノ・セッコのロメオの主役二人だろう。とくに無邪気な笑顔が印象的なマチャイゼによる少女のような演技と、言うことのない素晴らしいコロラトゥーラの歌唱(特に有名な「私は夢に生きたい」のアリア)が聴ける。セッコのロメオも、とても真摯で情熱的で聴きごたえがある。これだけでも1500円のもとはじゅうぶん取れている。歌手ではほかに、上述した「マブの女王のバラード」で最初に喝采を取ったメルキュシオ役のアルトゥール・ルチンスキが素晴らしい低音を披露。黄色と黒の配色のレザースーツも実に決まっていて見映えがする。近年東京の新国立では飯守マエストロ指揮の「ルチア」でエンリーコを歌っているようだが、ピッタリな役だろう。ジョージア出身のメゾ・ソプラノのケテワン・ケモクリーゼのステファノによる第三幕のシャンソン「Que fais-tu, blanche tourterelle(白鳩よ、ハゲタカの巣で何を)」も表情豊かな歌唱で印象的。彼女も黒と赤の配色のぴったりとフィットしたレザースーツでセクシーに決めている。上述のメルキュシオの「マブの女王のバラード」のところでは、その姿に鞭を手にして「マブの女王」を表現しているようだ。

他には、ロラン神父のジョルジオ・ジュゼッピーニも良い低音で人間味のある神父役で前半は特によかったが、なぜか後半(第四幕)でジュリエットに仮死の薬を渡す肝心な場面で、なぜか急に声量が落ちてしまったような感じがした。他の歌手は可もなく不可もなく問題なく、と言いたいところだが、なぜかキャピュレット父役マンリーコ・シニョリーニにだけは、まれに見る強烈な違和感を感じてしまったのは自分だけだろうか。声質、音程、テンポ感、歌い方、表情と演技、それらすべてにおいて、そこだけ違った空気が流れているような違和感を感じた。なにか問題があったのではないだろうか。

演出(フランチェスコ・ミケーリ)は、なかなか面白いものだった。大きな会場の広い舞台には遠目には巨大な王冠に見えるセットが用意され、よく見るとそれは大きなはしごや脚立を複雑に組み合わせてできた、高さ8メートルくらいはありそうな王冠状のセットで、内側は鉄骨製の3階建てのベランダ風になっていて合唱やエキストラが立っている。それが、ケーキを半分に切り分けたように真ん中で分離していき、背景のセットとなり、向かって左側、すなわち下手側がキャピュレット家の領域、向かって右の上手側がロメオのモンタギュー家の領域に分かれている。そのなかにやはり高さ5メートルくらいの櫓が設置され、その2階部分がジュリエットの部屋を表している。ロメオはこの丸窓のジュリエットに向かい、大きなはしごや高い脚立に上って歌を歌う。そう言えば、写真で見たことがあるヴェローナの「ジュリエットの部屋のバルコニー」とされる観光地の風景も2階にあったはずで、映画ではロメオは木に登って愛を囁いていただろうか。なにしろ小学生の時に観て以来でよく覚えていない。

両家の若い衆たちは基本、ロメオ側が赤、ジュリエット側が青の配色の衣装に分かれ、(マスカレードとして)ホッケーのフェイスガードやフェンシングのマスクのようなものを着けている。メルキュシオやティボールなどの準主役クラスはライダー風のレザースーツに身を包んでいる。メルキュシオとティボールの決闘は直径3メートルほどの鉄骨製の球体のなかで行われる。中でオフロードバイクがぐるぐると回転するスタントのような出し物のような、あれだ。メルキュシオの「マブの女王の歌」のところでは、夢のような歌詞をイメージさせる幻想的な、と言うか奇妙な装飾を施した山車のようなクルマのオブジェが出て来て面白い。この場面だけのために、と思えばなかなか手が込んでいる。後半のロラン神父の場面では、カボチャのお化けほどの大きさのステンドガラスが美しい教会のイメージのセット。仮死状態のジュリエットを本当に死んだと思ったロメオが自分も毒をあおり、息を吹き返したジュリエットがそれを見て短剣で自死する最後の場面では、その後二人は死んだけれどもあの世で結ばれてハッピーエンドになるとの解釈からか、二人手をつないで幸せいっぱいそうに舞台から降りて笑顔で客席中央の通路を颯爽と走り去り、幕となる。

最後にファビオ・マストランジェロ指揮ヴェローナ歌劇場管弦楽団の演奏は、可もなく不可もなく。音楽は特段変わったところもなかったが、これと言って特筆するほどの上質感は、特に感じられなかった。もう少し濃厚で繊細、シルキーで艶のあるところが欲しかった。演奏の出だしが不揃いな部分も結構あって気になった。会場や録音の特性ということもあったのだろうか。まあ、観光地ヴェローナの史蹟円形歌劇場での夏のお祭りの出し物としてその場で観ている分には、ロマンティックで贅沢な気分を盛り上げてはくれることには違いないだろう。

そう言えば、ロミオとジュリエットのことを書いていて、葉巻のことを思い出してしまった。ハバナ製の上質な葉巻の銘柄に同名のものがあるのだ。残念ながら、健康上の理由から葉巻を断念してもう何年も経つが、ヒュミドールのなかには今でもロミオ・イ・フリエタやコイーバなどが残ったままになっている。パンチやアップマン、パルタガス、ラ・グロリア・クバーナ、etc... あの濃厚で芳醇な香りに包まれていたことを思い出すと、いてもたってもいられなくなる。いつかまた葉巻について書いてみようか。
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(↑10年ほど前に上海の空港の免税店でボックスで買った Romeo Y Julieta の箱内側のイラスト。購入後によく見ると、メダルの部分の印刷状態がどうも不鮮明。もしかして fake? コロナサイズのシガーそのものの外見には違和感はないが、気のせいか吸い慣れた同ブランドのシガーに比べると、味わいにいまひとつ濃厚さとインパクトに欠けるような気がしてくる… キューバ政府の真正のシールで封印はされてはいたのだが。)


・グノー:歌劇『ロメオとジュリエット』全曲


ニーノ・マチャイゼ
(S ジュリエット)
ステーファノ・セッコ(T ロメオ)
ケテヴァン・ケモクリゼ(Ms ステファノ)

クリスティーナ・メリス(Ms ジェルトルード)
ジャン=フランソワ・ボラス(T ティバルト)
パオロ・アントニェッティ(T ベンヴォリオ)
アルトゥール・ルチンスキ(Br メルキューシオ)
ニコロ・チェリアーニ(Br パリス)
ジャンピエロ・ルッジェーリ(Br グレゴリオ)
マンリーコ・シニョリーニ(Br キャプレ)
ジョルジョ・ジュゼッピーニ(Bs ロラン神父)
デヤン・ヴァチュコフ(Br ヴェローナ公)
アレーナ・ディ・ヴェローナ財団管弦楽団&合唱団、バレエ団
ファビオ・マストランジェロ(指揮)

演出:フランチェスコ・ミケーリ
装置:エドアルド・サンキ
衣装:シルヴィア・アリモニーノ
振付:ニコス・ラゴウサコス
照明:パオロ・マッツォン

収録時期:2011年8月
収録場所:アレーナ・ディ・ヴェローナ(ライヴ)