いや、そりゃもちろん人並みに「第九」は好きですよ。先週末も久しぶりにフルトヴェングラーとウィーンフィルのニコライコンサートの「第九」を聴いて、やっぱりこの曲はいいよなぁ、としみじみ思ったけど、そう言えばここ最近、大阪なんかはもうほとんど医療崩壊一歩手前とまで言われている状況のなかで、やっぱりみんな「年末だから」って理由で、そこまでして「第九」演奏会に行くのかね?そりゃあ、プロの音楽家からしたら死活問題なのはよくわかるけどさ。

春先の第一波の時に、たしか岐阜だか大垣だかで合唱団でクラスターが発生して犠牲者が出てから半年以上経ってるんだけど、なんか劇的に状況は改善しているのかね?ウィーンフィルも来日して勇気づけられたことだし、まぁ、みんなで渡れば怖くない的な(笑)。仕事で否応なしに満員電車に乗らざるを得ないけど、どれだけビビりながら、他人と vis-a-vis にならないように息を殺していることか。少なくとも周囲がみな同じようにビビって黙ってくれていたらまだ安心なんだけど、マスクさえしていたら文句あるかとばかりに、この密閉空間のなかで、でかい声でどうでもいいようなことをべらべらと大声でしゃべりあっている馬鹿とかいると、まじで車輛移動するしかないからね。そういう馬鹿に限って、マスクと言っても不織布じゃなくて、ウレタン製なんだ、これがまた(笑)。所詮他人事なんだよな、どこまで行っても。

もちろん、一般的なレベルからすると人並み以上にクラシック音楽への愛や思い入れは相当大きなものがあってこのブログを綴っているわけだけれども、そんな自分でもこの新型コロナウィルスの未知の脅威を感じるにつれ、これは正直、最低一年から二年くらいは、海外はおろか国内でさえ、大規模な曲の演奏会はおあずけにならざるを得ないと感じている。小規模な室内楽ならまだ少しは安心だろうけど。大規模合唱の看板である「年末の第九」に、そこまで拘泥しないと音楽愛と言えないかね?命あっての音楽だと思うぞ。繰り返し、プロの演奏者のかたには申し訳ないけれども、こんな時だからこそ、自分が演奏会に出向いて彼らの生活を支えるんだ!なんてことを、生命をかけてまで声高に叫ぶほど崇高な使命感など自分にはない。どこまでいっても、そこはただのもの好きの限界なのだ。そういうことで生きがいを感じるというのは、「音楽愛」とはまた別の次元のことだと思うぞ。そういう話題は、新聞でもニュースでもなんでも取り上げたらいい。彼らはただ、ネタとして話題を消費するだけなんだから。

PCR検査は特別なものという「奇妙な現実」が打破されない限り、あるいは安全なワクチンが十分に広く普及するまでは、大規模曲や合唱曲は当分は我慢するしかないだろう。そりゃあ、演奏会で聴きたいのはやまやまだが、一年や二年、演奏会には行けなくとも、自分自身はどうとでもなる。ただ、その道のプロたちへの支援は、自分たちのようなもの好きの限られた善意をあてにするのではなく、手厚い公的な助成があるべきだと思っている。Go To にいま必要なのは、トラベルじゃないだろう!どこまでも民に寄り添わないことを至上命題としている政府。事実上、しぬ人間は勝手にしねと言ってる国。おかしいと思わないほうが不思議。