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毎年3月、春の訪れを感じさせるこの時期に恒例となったびわ湖ホールプロデュースオペラのワーグナーシリーズ、今年は3月3日(木)と6日(日)に「パルジファル」(セミ・ステージ形式)が上演され、両日の公演を聴きに行った。ともに午後1時開演。恒例、とは言っても、沼尻竜典もこの2022年度でびわ湖ホール芸術監督を退任するとのことで、来年3月の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(セミ・ステージ形式)をもってこのワーグナーシリーズもいよいよ大詰めを迎える。毎年1作ずつ京都市交響楽団とともに作り上げて行った「ニーベルンクの指環」(演出:ミヒャエル・ハンペ)のチクルスも評価が高かった。いよいよ最終夜(第3日)と言う一昨年2020年の「神々の黄昏」が新型コロナの影響で直前に無観客での上演が決定され、二日とも行く気満々だった自分にとっては極めてショッキングであり残念であったが、その模様はネット上でライブ配信されることが事前に報じられるとコロナ禍でのオペラ・コンサート上演のひとつのあり方として大きな話題を呼び、以降こうしたスタイルが多くなって行った。昨2021年は、コロナ禍で制約もあるなか、セミ・ステージ形式での「ローエングリン」が上演された。奇しくも、その年の東京春音楽祭(4月)はマレク・ヤノフスキの指揮で「パルジファル」演奏会形式が予定されていたが、こちらもコロナの影響で中止となってしまった。クリスティアン・ゲアハーハーのアムフォルタスは是非聴きたいものだったが。

そして今年2022年はワーグナー最後の大作「パルジファル」。当初の配役はタイトルロールにクリスティアン・フランツ、クリングゾルにユルゲン・リンが予定されていたが、やはりコロナの影響で来日が不可能となり、結局2日ともオール日本人歌手による同一キャストに統一となった。結果的に現在日本で聴けるワーグナー歌手としては非常に高水準でのキャスティングによる上演となり、聴きごたえのある「パルジファル」となった。毎年、このシリーズには欠かさず出向いて来て頂いている東京方面からの愛好家の方々の顔もちらほらと見受けられた。

出来れば二日とも同じ席で鑑賞したかったが、やはり3日は平日の木曜日で6日が日曜日ということもあり、6日は3日の席より10席ほど後列のバルコンからの鑑賞となった。それでも音的、視界的にはいう事のない良席だった。両日とも同一キャストによる上演で、パルジファル:福井敬、グルネマンツ:斉木健詞、アムフォルタス:青山貴、ティトゥレル:妻屋秀和、クンドリー:田崎尚美、クリングゾル:友清崇、聖杯騎士:西村悟・的場正剛ほかによる歌手陣に、沼尻竜典指揮、京都市交響楽団の演奏。合唱はびわ湖ホール声楽アンサンブル(合唱指揮・プロンプター:大川修司)、舞台構成は伊香修吾。

歌手はいずれも現在ワーグナー歌手として日本最高水準の演奏であり、まことに充実した歌唱が聴けた。特筆すべきはアムフォルタス役の青山貴の歌唱で、どちらかと言えば童顔の素顔からは窺い知れない豊かな声量と芯のある歌唱は会場内を深々と包みこむに充分であった。斉木健詞のグルネマンツも説得力のある素晴らしい歌唱、それに加えて妻屋秀和という実に豪華なキャスティングによるティトゥレルが生声で聴ける(通常この役はPAを通しての加工音である場合が多い)のも贅沢。友清崇のクリングゾルも声量申し分なく、敵役としての表現力も豊かであった。田崎尚美のクンドリーも素晴らしい歌唱と表現力で、特に二日目の第二幕、パルジファルの母ヘルツェライデの苦悩を切々と歌うところでは、自分としてはこの場面では珍しく思わずウルウルとしてしまった(追記;ちょうど現在進行形で起こっているウクライナでの戦禍とオーバーラップしたのだ)。続くキリストを嘲笑する「lachte!」の難所は、二日目はちょっと声がひずんでしまったけど、まあこれがこの役の難しいところであって、そう誰にでも簡単には歌えないところではある(田崎さん、喉をお大事になさってください)。福井敬のパルジファルは非のつけどころもなく、ベテランの味わいを感じさせてくれた。あと、総勢で約45~50名ほどからなる合唱は「びわ湖ホール声楽アンサンブル」を主体に構成されているとのことで、時節柄マスクを着けての歌唱だったにも関わらず壮絶に美しく神聖で、かつスケールが大きく聴きごたえ充分だった。

今年度が芸術監督として最終シーズンとなる沼尻竜典の指揮は、身体全身で流麗に音楽を表現し、いつも通り的確・明解な音楽づくりのように思えた。そのタクトに応える京響からは、ここが西日本のいち地方都市の演奏会場かと思えてしまうほど、充実したサウンドを引き出していた。苦悩と神聖さを表す繊細で清浄、透き通るような微音から、第一幕と第三幕の場面転換の場での金管の咆哮とティンパニイの強連打の圧倒的な音圧によるダイナミックな演奏に至るまで、ワーグナーの本場ドイツでの演奏を聴き慣れた愛好家に聴かせても納得のレベルの高水準な演奏ではなかっただろうか。ただ、正直に言うと初日3日の演奏出だし2,3分ほどは少々おっかなびっくりと感じるところがないではなかったのと(そのぶん、二日目の6日の冒頭は文句なしに素晴らしい出だしだった!)、二日目6日の第3幕の中盤あたりでは、さすがに疲れが出たのか、金管の一部にやや粗さが露呈してしまう箇所があるにはあったが、それは重箱の隅のキズを殊更あげつらうような趣味の悪いことであって、全体としては素晴らしい演奏であったことに些かの違いはない。両日とも、終演後のカーテンコールでは何回も何回も出演者が呼び出され、時節柄ブラボーの声出しさえ叶わなかったものの、盛大な拍手は延々と続くように思えた。

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今回も、前年に続いてセミ・ステージ形式による上演で、舞台のイメージは上記模型写真の通り。通常のピットをそのままステージレベルまで上げ、その前面の客席側に張り出すようにソリストの歌手が歌う特設の部分が設置され、主役二人は指揮者をはさんで中央で約2m程の距離を空け、他の歌手は1m程の等間隔で間を空け、目印にそれぞれの位置に椅子が置かれている。通常のステージの部分に合唱がひな壇上に配置され、その真ん中をパルジファルの「迷いの道=悟りへの道」が象徴的に斜めに横切っている。この画で見ると、その道は前方のソリストが歌う位置の部分と、間にあるオケとバックステージ部分によって分断されていることがわかり、なるほどとうなずける。道の最奥部は一段高くなっていて遠近感を出しており、その奥の白い大きなカーテン部分に聖杯のイメージなどがCG映像で映写される。聖杯のなかで血液が勢いよくたぎっているような印象だった。他にも彷徨う森の印象や聖金曜日の緑の野原の印象、コスミックなイメージや花火、大河ドラマのオープニングのバック映像のような美的なCG映像が場面にあわせて投影される。一幕冒頭と三幕終焉部でたくさんの鳩のシルエットが飛び立つのは原作に沿っているとは思うが、これってびわ湖ホールのメインスポンサーの平和堂(鳩のマークがロゴ)へのサービス?って思えるのはたまたま?

歌手の歌う位置が通常よりも大きく前方にせり出しているため、客席の通常の最前列は取り払われ、続く二列も空き席となっており、その中央に黒い板で囲った特設のプロンプターボックスが設置され、それぞれの歌手の前の席に旧式のブラウン管のTVモニターが置かれている。指揮者が映されているのか、プロンプターが映されているのか、はたまた字幕が映されているのかは、見ていないのでわからない。舞台が前方にせり出しているぶん、二階席の両サイド前方1~6番席までも空き席とされていたので、全体として会場の前方数列ぶんは客席をつぶして、その分ステージ全体が前方にオフセットしたような感じ。長年、あちこちのオペラを観てきたが、とても珍しい光景だった。
↓こんな様子(びわ湖ホール公式ツイッターより)。 
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※追記:確認のため、去年の「ローエングリン」の時の写真を見返してみたら、その時も同じように前列客席中央にプロンプターボックスを設置していた。記憶だけだと、いい加減なものだ。

衣装は、花の精たちが最も華やかで、そのまま「カルメン」のハバネラが歌えそうな印象。その場面の舞台後方の合唱は、黒いドレスに頭の上に丸い花を載っけていた。クンドリーも同じように黒いドレスだが、より妖艶さを強調した印象。その他は特に印象的な衣装はなかったが、唯一クリングゾルのみ、派手な柄入りの輪袈裟を大きくしたようなものを懸けているのが印象的だった。

小道具はまったくない。聖槍も聖杯もヘルメットも甲冑もすべて「エア○○」で、パルジファル役の福井さんはすべて「その態(てい)で」、クンドリーの田崎さんも泉から水を汲む「態」、香油を塗る「態」で、すべて両手でその仕草を表現するのみ。大変簡潔で良い。ある意味、潔すぎる(笑)。そのぶんチケットも買いやすくてお得だ。あとは、日本語字幕(岩下久美子)が平易な文体で大変わかりやすかった。原詩の難解な文体を限られた字数の平易な字幕に翻訳するのはセンスが必要で、なかなか難しいことだろう。パンフレットの解説も詳しい内容で、教えられる点が多々あった。

考えてみれば、こうしたセミ・ステージ形式は音楽そのものをじっくりと聴くのには、より向いていると言えるかもしれない。雑念に邪魔されないし、装置にコストがかかるのを最小に抑えられるぶん、チケット価格にも反映されるのでローコストでいい。いまのコロナ禍を乗り切るにはじゅうぶんなスタイルかもしれないが、いずれはそれではもの足りなくなるのかもしれないし、それはオペラ文化の否定にもつながるかもしれない。とは言え、ワーグナーの大作のなかでも格段に味わい深い「パルジファル」の上質な演奏を、こうして身近なホールで気軽な価格で二回も楽しめるというのは、そうは度々はないことであって、実にありがたいことである。

来年は2023年3月2日(木)と5日(日)に「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(セミ・ステージ形式演出粟國淳、指揮沼尻竜典、京都市交響楽団演奏)で大団円を迎える。