ドイチュ・オーパー・ベルリンによる「ニュルンベルクのマイスタージンガー」新制作のブルーレイディスクが届いたので、さっそく視聴した。収録は2022年6月、7月公演のライブ映像(NAXOS)。
指揮のジョン・フィオーレという人の演奏ははじめて聴いた。D.O.B.の演奏はパワフルで弦は美しく、全体としてはまずまずの演奏だった。ただ、部分的にやや粗削りな感じもなきにしも非ずで、特にホルンのアンバランスな印象が目立ち、ちょっとマイナスポイントだった。
歌手は何と言ってもヴァルター役のクラウス・フローリアン・フォークトの変わらぬ軽やかで伸びのある美声を今回の映像でも聴くことができ、ここは文句なしの一点豪華キャスティングだった。エーファ役のハイジ・ストーバー、マグダレーネのアニカ・シュリヒトはまずまず。よく通る声で健闘していたのは、台湾出身の Ya-Chung Hwang で、この人は昨年ネットで配信されたD.O.B.の「ニーベルングの指環」の新映像でミーメを演じていたのが印象に残り、去年の5月にこのブログでも取り上げたことがある。見た目は桂枝雀を童顔にしたような小男で、大柄なアニカ・シュリヒトのマグダレーネとのやりとりがちぐはぐでコミカル。大柄と言えば、ファイト・ポーグナー役のアルベルト・ペーゼンドルファーも大男で、2メートル近いんじゃないだろうか。過去にはハーゲン役で東京で聴いているし、映像でも度々耳にしている。声量には非の打ちどころはないが、部分的にややコントロール不安定に感じる部分がないでもなかった。主役のハンス・ザックス役のヨハン・ロイターをこの役で聴くのは初めてだが、声質・声量とも、個人的にはあともう一歩、期待に叶わなかった。過去にはマレク・ヤノフスキ指揮ベルリン放送響の「トリスタンとイゾルデ」のクルヴェナールをCDで聴いたことがあるが。ベックメッサー役のフィリップ・イェカルという人はD.O.B.所属の歌手のようで、この役を歌うにはさほど目だったキャラがあるわけではないが、声は美声で正統派のバリトンを歌えば似合いそうな印象。夜警役はギュンター・グロイスベックが録音の声のみ(エコーで加工された感じ)、スピーカーから流れる。ちょっと安直なやり方ではないか? 徒弟では13人の名前がクレジットされているが、うち4名が中韓らしきアジア系と思われる名前になっている。エキストラを含めると、更に多くの人種が混在しているのがわかる。
さて今回の演出では、現代の学校が舞台になっているようだ。冒頭ではワーグナーの楽譜を手に講義が終わったような感じだし、途中で楽器を手にした生徒たちも出てくるので、音楽学校という設定らしい。ポーグナーはその校長、他の親方たちは先生、徒弟らは学生ということのようだ。ザックスは保健体育指導の先生らしく、トレーナーにブルーのヤッケ、首からはレインボーカラー風の長い首巻きをし、はだし姿。あとでわかるが、靴屋ではなく、リフレクソロジー(足裏指圧)を得意とする整体師という設定のよう。なぜかドラムのスティックを二本手にしていて、二幕目のベックメッサーのセレナーデの場面ではこの棒でリュート代わりのピアノを叩きまくって歌を妨害する。昔は日本でも、常に体操服でなぜか竹刀を持って威嚇でもするかのような愛想の無い体育教師というのが鉄板のイメージだった気がする。
二幕目のベックメッサーのリュートの場面では、なぜか徒弟たちがぞろぞろと脇から出て来て二重舞台にピアノを設置し、他のエキストラたちと椅子を並べて座り、ベックメッサーはリュートではなくピアノと歌でミニコンサートをしているかの体(てい)。マグダレーネがいるはずの「窓辺」もなく、原作とはほど遠い。まあ、なにもかもがこのような演出家のひとりよがりな「思い付き」のような感じでことが進む。「ニワトコのモノローグ」では、ザックスはニワトコではなく「ジャック・ダニエル」のボトルを手に歌う。バーボンは自分も嫌いじゃないけど、まぁ、あまりロマンティックではないな。そう言えばコロナ前にベルリン・シュターツ・オーパで観た時も、大麻草(らしきもの)がニワトコの代わりになっていた。ベルリンはなにかと自由だ。二幕幕切れでは、何故かベックメッサーではなくワルターが酩酊したザックスにウィスキーのボトルでぶん殴られて幕、となる。
三幕目の前奏曲では、ぶん殴られて倒れたままのワルターと二日酔いという体のザックスの板付きで幕が開く。これでは「迷妄」のモノローグではなく、ただの「酩酊」で、ロマンのかけらもない。前半が終わって、ペグニッツ河畔での歌合戦の会場に変わるところでは、ずっと舞台左に掛けられているデジタル時計がグルグルとランダムに回ってなぜか19時という表示になる。かと思うと歌合戦が始まる時には11時になっている。あんまりこの表示時刻に深い意味ははじめからなさそうだ。馬鹿馬鹿しくて付き合ってられない。歌合戦の場は学校の講堂のステージで、二幕と同じくリュート代わりのピアノが中央に置いてある。ヴァルターが歌を歌い始めるとエーファは舞台上手からこっそりと会場から抜け出し、ポーグナーが心配そうに見つめている。ヴァルターは案の定マイスターの栄誉を拒絶し、エーファを追って会場を後にする。まあ、現代の解釈からしたら、そのほうが自然な流れには思える。最後、若い徒弟たちはディスコでも踊るかのような曲に合わない調子で乱舞して幕、となる。
と、まあ、現代流の解釈の「マイスタージンガー」の上演の数々に接してきたが、捻りの効いたものもあれば、芸術性と諧謔性をうまく融合させるのに成功しているものもあった。今回のD.O.B.のを、現地まで行ってでも、どうしても観てみたいか、と言うと、「?」かな。