(左)中村隼人(右)南座マスコットキャラクター兼宣伝部長のミナミーナ
今年はめずらしく1月、2月、3月と続けて若手役者主体の「花形歌舞伎」を観るという、今までにはない経験をした。京都南座、3月16日(土)午後3時半開演。芝居開演に先立ち場内の照明が落ちると、後方の扉からなにやら威勢の良い声で挨拶らしき言葉を発しながら誰かが主通路を舞台方向へと歩いてくる者がいる。誰やと思い近づいたところで振り返ってみると、本日の主役3人のうちの中村隼人が笑顔で登場して来た。1月の浅草の時と同じようなサービス精神あふれる趣向に会場から賑やかな拍手。舞台下の通路でひとしきり自身の挨拶を済ませると上手側の階段から舞台に上がり、あらためて挨拶と今日の「河庄」の見どころを簡単に紹介し、しばし撮影OKタイム。ひとしきり客のスマホ撮影に笑顔で応じた後は、念入りにスマホの電源切り忘れの注意喚起。なるほど、こういうかたちだと、客サービスも受けるし、注意もいやみが無くてスマートにできる。よく考えたものだ。芝居のセリフではない、こうした「喋り」も手慣れたもので、笑顔で愛想のよい姿勢にファンが増えるだろう。1月の浅草歌舞伎の時も、たまたまその日の舞台挨拶は隼人だった。周囲の客はやはり40代、50代くらいの女性が多かった。
さて「河庄」は近松門左衛門の「心中天網島(しんぢゅうてんのあみしま)」の上之巻。「曾根崎心中」などの他の心中ものと同じく実際の心中事件から材を取り、事件後間もない享保5年(1720年)に竹本座で初演された。来年が近松没後300年ということからか、2月松竹座での「曾根崎心中」と3月南座での「河庄」と上方歌舞伎の代表作が続けて観れるのはうれしい。両月とも中村壱太郎と尾上右近のコンビで、3月はこれに隼人が加わり、三人の花形メインによる上演。隼人は2月の東京新橋演舞場での「ヤマトタケル」を終えてすぐに京都に移動し、南座での「河庄」の粉屋孫右衛門と「女殺油地獄」の河内屋与兵衛と大変な働きぶり。隼人ファンには「女殺油地獄」与兵衛のほうが観ものだろうが、こちらは以前に松竹座で海老蔵(現團十郎白猿)のレアな配役で観ているので、今回は「河庄」に絞った(ちなみにその時の海老蔵は終演後の足の怪我により期間途中で降坂し、急遽仁左衛門様が代役で出演という大きなアクシデントがあった)。
壱太郎は遊女小はる、右近は紙屋治兵衛で出演。治兵衛の兄・孫右衛門を隼人が演じる。いまが旬の若手が新鮮な空気を上方歌舞伎に吹き込んでくれるのは実にこころ強い。小はるを演じ慣れている壱太郎は別として、右近も隼人も良い意味で新鮮な味わいの演技で見甲斐がある。ただ、関西ことばはまだ板についていなくて、アクセントにはところどころ違和感があったのは事実。例えば「何ぞ証拠は」の「証拠」で「しょ-う‐こ」と発音するなど、実際にはない言いかたでちょっと変に聞こえる(「しょ‐う‐こ」または「しょう-こ」が普通)。しかしまぁ、先月の「曾根崎心中」の徳兵衛の時の感想にも書いたが、ひょろりと背が高く痩身でよく整った小顔の右近の、頼りない優男ぶりは役によく似合っている。ただ、演技はまだ上方歌舞伎特有の「粘っこさ」は板についていないので、いまの鴈治郎や先の藤十郎のような「ねちっとして、まるっこい」面白みには欠ける。これはまぁ、今の段階で言っても詮無いことだが。
千壽の善六と千次郎の太兵衛のふたりの掛け合い漫才(口三味線)のチャリ場は、まぁそこそこ。だいぶん以前にNHKの「古典芸能鑑賞会」(収録:NHKホール)という番組で放送した「河庄」の録画のディスクが残っていて、この時の「河庄」での中村亀鶴の太兵衛が実に良かったのが印象に残っているのだ。記録では平成20年(2008年)のはずだが、今回の筋書き(パンフレット)巻末の過去上演記録には載っていない。ここに掲載されているのはあくまでも松竹が興行主のものだけのようで、NHKが主催の「古典芸能鑑賞会」上演分は載っていないようだ。
この時の冒頭では、当時まだ襲名したばかりで舞台に載って間もない10歳の中村虎之助が、驚くほどの口跡の良さと完璧な上方言葉で丁稚の三五郎役を元気いっぱいに演じる。ただの子役ではない、と思っていたらやはり当代の扇雀の子で、役者の子は役者。栴檀は双葉より芳し、だ(もっとも父親の扇雀の女形は好みではないが)。丁稚三五郎は小はる(時蔵)への文の使いで河庄を訪ねるのだが、小はるに向かって物怖じもせずに「おばはーん!おばはーん!」と絡む演技力は子役とは思えない堂に入ったもの。紙屋治兵衛は坂田藤十郎(当時)。下膨れの顔にトレードマークの「じゅるじゅる」とした口跡で耳障りではあるが、独特のねちこさとはんなりとした円熟味があって、やはり上方歌舞伎の立役者の味わいがあった。こういうところは、当代の鴈治郎がしっかりと受け継いでいる。
それに加えて、兄の粉屋孫右衛門は映像では珍しい片岡我當丈。片岡我當・(故)秀太郎・仁左衛門の松嶋屋三兄弟の長男。当時73歳でまだ体調が悪くなる前で、この名優の実直で貫禄のある演技が観られた。個人的には、この前年2007年の大阪松竹座の正月公演の「封印切」の丹波屋八右衛門(昼)と「山科閑居」の加古川本蔵(夜)、2009年南座顔見世での「時平(しへい)の七笑」の藤原時平、2010年の南座顔見世での「伊賀越道中双六」の雲助平作で、まだ元気だった頃の我當丈の芝居を観ている。その後体調を崩されてから久しいが、現在89歳。その間に弟の秀太郎はんが先に亡くなってしまった(2021年5月、享年79歳)。そう考えると三男の仁左衛門様はお元気そうでも、もう80歳。この先もお元気な舞台姿を見せて行って欲しいものだ。
「河庄」繋がりでずいぶん昔の映像の話しに脱線したが、2月、3月と続けて、近松の名作が躍進中の若手役者のフレッシュな感覚で観ることが出来たのは幸いだった。折しも北陸新幹線の金沢-敦賀間が開通したとあって、売店前のスペースではこれのPRと、近松が福井の鯖江出身ということで鯖江の「さばえ近松倶楽部」が関連グッズ販売のミニコーナーを設けていて、小冊子3巻セットの「鯖江発 ザ・近松」という小冊子が1,100円と安かったので記念に買って帰った。
二部の「忍夜恋曲者(しのびよるこいのくせもの)将門」では傾城如月、実は討たれた将門の遺児滝夜叉姫(壱太郎)が追手の仇敵・大宅太郎光圀(隼人)に正体を暴かれ対決する。出だしは暗がりのなか、ふたつの燭台の灯だけに照らされた化け物のような如月が、白煙が立ち上がるスッポンから蝦蟇とともにおもむろに姿を現す。主舞台は荒れ果てた廃寺で、線香の香りが場内を立ち込め、禁煙世相の昨今、喉の弱くなった観客らの咳き込む声があちこちから聞こえる。常磐津の謡に合わせて如月と光圀が交互に舞う。如月が妖怪変化の正体を悟られると寺は崩れ落ち(屋台崩し)、大蝦蟇が姿を現す。大屋根の上で滝夜叉姫が将門の赤旗を掲げ、光圀が抜刀して対峙し、幕となる。
終演は午後6時半と案外早かったので、久しぶりに高島屋内の「三嶋亭」の支店で「ステーキご膳」(5千円)を食して帰った。高級ステーキ店の価格は天井知らずだが、ここのは安くもなく高くもなく、どこか懐かしい味わいで寛いでさっと食べて帰れるのがうれしい。