3月19日の6番から5か月、沼尻竜典と京都市交響楽団演奏によるびわ湖ホールでのマーラーシリーズの7番「夜の歌」を聴きに行った(8/26)。
同シリーズは第一回目の8番「千人の交響曲」(18年9月29日)、続く4番(20年8月23日)、1番と10番(21年9月18日)、それに前回の第6番(23年3月19日)が行われている。1番と10番の回は残念ながら行けなかったが、それ以外の演奏会はいずれも非常に素晴らしいものとして記憶に残っている。マーラー7番の演奏会の記憶としては、2014年3月にシャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(京都コンサートホール)、そして今年23年4月に大野和士指揮都響の演奏をフェスティヴァルホールで聴いており、これらも言うまでもなく素晴らしい演奏会っだった。
実演で聴いた体験自体は多くはないが、個人的にも7番はマーラーの交響曲のなかでも6番とともにもっとも好みの曲であり、CDや映像では数々のものを楽しんできた。なので、相当の期待を胸にこの日の演奏会に臨んだのだが、最初に感想を言ってしまうと、今までの沼尻&京響によるマーラーの演奏会で得られたレベルの感動を得るには少々やや散漫な印象が残るものとなった。アンサンブルが大きく乱れるということはなかったものの、冒頭のテナーホルンのソロをはじめ、tp以外の金管にややあらっぽいミストーンが相次ぎ、完璧な精妙さと音の分厚さをこの曲に求める一観客としては、少々肩透かしを感じてしまった。沼尻氏がびわ湖を離れ、拠点を神奈川に移した結果、やはりいままでのような十分なコミュニケーションを京響と持てなくなったのかな、とひとり思ってしまった。
とは言え、これは全く無責任な一観客の素人の耳が感じたごくマイナーな感想である。沼尻氏が冒頭のあいさつ(と言うより前回6番の時同様、開演までの時間つなぎw 指揮者になにやらすねん! まぁ、沼尻さんも案外こういう喋りが嫌いでもなさそうだけど)で紹介したように、かつて故若杉弘氏が大学のオケの実技試験であえてこの曲の第2楽章と第4楽章を課題として選んだと言うように(暗に実にサディスティックだと沼尻氏は言っているように感じた)、演奏するほうからは実に難しい技量を要する難曲であることを実感した次第。名指揮者のアダム・フィッシャー氏がデュッセルドルフ響とのマーラーチクルス録音の一曲目に第7番を敢えて持ってきたと言うのも納得できる。難曲を先に済ませておくほうが後が楽に感じるというか。とにもかくにも沼尻氏と京響には、こんな難しい大曲をびわ湖ホールで演奏してくれたことに感謝以外にない。
と言うことで、あとは2番、3番、5番、そして9番、大地の歌、と残っている。沼尻氏がびわ湖を離れても、京響とのこのシリーズは息長く続けて行って欲しい。
定点観測。いつもと変わらぬ風景ながら、違うのはお天気、空の色、雲の形と湖面の色、
そして窓外の木々の茂り具合、色づき具合。
今年の夏は例年にも増してびわ湖西岸側近辺で水難事故が相次いだ。
びわ湖は、この辺りから眺めているのが無難です。