何日か前にライブドアブログ(クラシック)内の投稿で、最新のバイロイトの「リング」の映像がネット上で公開されているとの情報と、その鑑賞記を投稿されているものをお見かけしたので、参考にさせて頂いて早速視聴した。その方の投稿内容によると、ドイツ・グラモフォンの Stage Plus という有料のサイトで登録が必要だが、2週間無料お試し期間というのがあるので、期間内にキャンセルをすれば期間中はどれも無料で視聴することができるとのこと。コースは月額1,900円と年契約19,990円の2種類で、このうち年契約を選択すれば、2週間の期間内はいつでもキャンセルができるらしい。なので、内容を観てみて気に入るようであればそのままでもよいし、またはいったんキャンセルをして月額制に切り替えて気が向いた時にキャンセルしてみると言う手もある。最新のバイロイトの「指環」(コルネリウス・マイスター指揮、ヴァレンティン・シュヴァルツ演出)は、日本では今年2022年にNHKのプレミアムシアターで最終夜「神々の黄昏」のみしか放送されていないので、あれを観ただけではまったく意味不明な演出であったので、ネットで公開されている「ラインの黄金」から「ワルキューレ」「ジークフリート」の3作全部を観て、ようやく演出の意図がそれでも半分くらいはわかったような気がする。
さらに言うと、散々な言われようで不評だった前作カストルフ演出の2016年の「指環」(指揮マレク・ヤノフスキ)も視聴可能なので、2週間とは言え、2チクルスを続けて大急ぎで観なければならなかった。カストルフのも、どれだけ不出来な演出だったのかと気をもんで観てみたが、意外に面白い演出でステージも大変凝ったものだったし、歌手も演奏も大変素晴らしい出来だった。もちろん、前作も最新のものもおそろしいブーイングの嵐が間髪を入れずに吹き荒れていたが、「まぁ、その気はわからんでもない」というところと、「いや、よくできていたじゃない」と感じるところが半々だった。オケの演奏は、やはり前作での巨匠ヤノフスキの安定感と風格ある味わいと、今回病欠のインキネンのピンチヒッターを急遽務めたマイスターとを比べるのは酷なことだろう。とは言えヤノフスキの演奏も、「ラインの黄金」の前半あたりはフルートの威勢が良すぎてややバランスを欠く粗さが気になる部分もあった(中盤以降は改善されたが)。
①「ラインの黄金」
カストルフのは、折を見てまたいつか取り上げるとして、まずは今年のシュヴァルツ演出のをかいつまんでおさらいすると、「ラインの黄金」の冒頭の映像部分で双子の胎児の動画が流れる。TVで放送された「神々の黄昏」のラストも同じ映像で終わるので、物語の永遠性、永続性を意味しているのだろう。この中で、一方の胎児の手がもう片方の胎児の右目にぶつかり、その右目から血が噴き出す様子が見て取れる。これはヴォータンを意味しているのかどうかはわからない。偶然の事故での怪我なのか、それとも母胎内ですでに権力闘争が始まっていると解釈できるのか、それもよくわからない。どちらにしても、冒頭からオリジナルの台本や歌詞はおかまいなしの展開らしい(Dramaturgy : Konrad Kuhn)。
幕が開くと、ステージ中央に浅いプールに水が張られていて、ラインの乙女とアルベリヒと数人の子供たちが水遊びをしている。ここで、最初にTVで観た「神々の黄昏」でハーゲン(アルベルト・ドーメン)が黄色いTシャツと特徴的な野球帽をかぶっていたわけが初めてわかる。この「ラインの黄金」冒頭の水遊びで出て来る少年が同じ衣装なので、この子供がアルベリヒ(Orafur Gigurdarson)が人間の女に産ませた子供だということがわかる。以降この「ラインの ー」を観る限りでは、拳銃を手にさせるなど手荒なことを教えはしているが、アルベリヒは息子を愛しており、子供も無邪気な子供らしく父親になついているように思える。こういう解釈の仕方は、はじめてではないだろうか。マスクや指環が直接的に描かれないのでわかりにくいが、ヴォータン(エギリス・シリンス)がアルベリヒから手荒っぽく指環を略奪する場面ではこの少年が指環に代わって略奪され、アルベリヒが絶叫して嘆き悲しむ。また、ファフナー(ヴィレム・シュヴィングハマー)とファゾルト(イェンス=エリック・アスボ)兄弟がフライア(エリザベート・タイゲ)の代わりにヴォータンから指環を略奪し、兄弟で奪い合いになる場面でも、この少年が強引にファフナーのポルシェで連れ去られる。こうしたことから、演出家は指環の価値を普遍的な家族愛に置き換えていると思われる。まぁ、たしかに作曲家の台本にはそんなことは書いていない。
冒頭のプールの場面が終わると舞台のセット(舞台美術:アンドレア・コッツィ)はヴォータンの屋敷(城)の豪華なリビングへと変わる。豪華とは言っても、古風ではなく現代的でいかにも今風の "セレブ" 感が感じられるおしゃれな内装だ。左右にはいかにもインテリアデザイナー作という印象の階段があり、二階の子供部屋と渡り廊下に通じている。神々の衣装(costumes : Andy Besuch)も、いかにも現代の金満 "セレブ" 風だ。下手(向かって左側)にはガラスのピラミッドに囲われたゴツゴツした山の岩肌が見え、ほとんどの場面が中央の広いリビングルームと下手側の岩山の場面で展開される。最後の神々の入城の場面では(すでに入城しているが)、フローとドンナー、フリッカ(それぞれ アッティリオ・グレーザー、ライムント・ノルテ、クリスタ・マイヤー)の三人が、「光」を意味していそうな三角形の発光体の置物を大事そうに抱えている。二階の踊り場で愉快そうにひとり踊るヴォータンの下で、実は愛していた(らしい)ファゾルトを失ったフライアが悲観にくれて拳銃に手をかけて幕となる。歌手は流石にバイロイトならではのハイレヴェルなものだが、ローゲ役のダニエル・キルヒは普通に立派なヘルデンテノールで、この役には合っていない。もっとウィットを感じさせる個性派、演技派のほうがローゲには向いている。
②「ワルキューレ」
ここでも「?」だらけの演出だった。大体、ジークリンデ(リセ・ダヴィドセン)が、ジークムント(クラウス・フローリアン・フォークト)が逃げ込んで来た時点ですでに妊娠しているのでは、後の歌詞とまったく辻褄が合わなくなってくる。思い付きは演出には必要だろうけど、そこんところ、どう折り合いをつけるのよ?生まれてくるジークフリートは、ジークムントとジークリンデの子供じゃなくなるわけ?話しを進めると、後の場面でブリュンヒルデ(イレーネ・テオリン)に助けられて他のワルキューレたちの前に連れて来られたジークリンデはすでに子供を産んでいて、その子はグラーネ(これも愛馬グラーネを擬人化してブリュンヒルデの恋人、その後は執事役という設定にしている)の腕に抱かれている。ということは、その赤ん坊はたった今産まれたばかりで、すぐに続いて双子の赤ん坊がこれから産まれてくるってことか?その子供がジークフリート?ではもう一人の子供はだれ?それに加えて、ヴォータン(トマシュ・コニェチュニー)がジークリンデの逃避行の場面で、おもむろに彼女に上乗りになって下着をはぎ取るという場面がある。彼女の子は、ジークムントの子でもフンディング(ゲオルク・ツフェッペンフェルト)の子でもなく、ヴォータンの子ってことになるのか?ちょっと設定が奇っ怪すぎてここまでくるとわけがわからない。ヴォータンとフリッカの言い争いの場面では、本来は歌詞の中だけで歌手としては登場する場面ではないフンディングをフリッカが連れ出して来て、フンディングはソファで座っていたり演技をしているだけ、っていうところまでなら許容範囲だが。
ジークムントはフンディングの槍ではなく、ヴォータンに拳銃で殺される。第三幕のワルキューレ姉妹の場面は、美容整形外科か何かのクリニックという設定らしく、全員 "セレブ" っぽい派手な衣装にヘルメットの代わりに包帯であちこちをぐるぐる巻きにして、男らにペディキュアを塗らせたり、読み飽きた「VOGUE」誌を床に投げ捨てたり、スマホで自撮りしたりしている。わがままで気が強そうなところは、いかにも「ワルキューレ」らしいところも表現しているが、ちょっと軽薄に描き過ぎていて音楽と合っていない。こういう場面に続くヴォータンとブリュンヒルデの別れの場面では、いかに歌唱が感動的でも素直に感情移入できない。最後の岩山の場面ではローゲの炎にはまったく包まれず、代わりに勝ち誇ったかのようなフリッカが舞台に出てきてヴォータンと二人で祝杯のワインをグラスに注ごうとする。岩山で燃える炎の代わりに、ワインのテーブルに燭台があって、一本の蝋燭に火が揺らいでいるだけ。ヴォータンはフリッカのワインを飲まず、代わりに自らの結婚指輪を外してグラスに投げいれ、フリッカと離縁する。その手にはさすらい人の帽子が握られており、「ジークフリート」へと続く。
③「ジークフリート」
ここでもっとも印象に残るのは、指環を守るファフナー(ヴィレム・シュヴィングハマー)が洞穴の大蛇ではなく、病室のベッドに横たわる重病人の老人であること。「ラインの黄金」では少年だった黄色いTシャツの青年姿のハーゲン(黙役)がファフナーの看病をしている。が、その手にはファフナーがファゾルトを斃した際のメリケンサックが握られている。成長して自分の素性を知ったのか、彼の表情は非常に複雑そうで笑顔は見えず、どこか悲しみと怒りに満ちているようだ。精神を病んでいるようにも見える。陽気そうに振る舞うジークフリート(アンドレアス・シャーガー)から酒を勧められ、どう表情を見せればよいのか苦悶しているようだ。ファフナーはジークフリートのノートゥングの仕込み杖で刺されるのではなく、心臓の病気で自然死したように見える。ミーメ(アルノルド・ベズイエン)はジークフリートにノートゥングで一突きされ、最後はハーゲン青年がクッションを顔面にあてて窒息死させる。
ブリュンヒルデはイレーネ・テオリンからダニエラ・ケーラーに代わる。岩山でジークフリートに目覚めさせられる場面では、兜の代わりに顔面を包帯でぐるぐる巻きにされ、それを外して行くと整形後の顔となっているので、別人になっていてちょうどいい設定である。イレーネ・テオリンが「ワルキューレ」に続けて出ていると思っていたので、あまりの容貌の違いに黙役の女優かと思ったが、歌唱が全然違うので別のソプラノだったことに気が付いた。「ジークフリート」までは擬人化された愛馬グラーネ(黙役の男優)がブリュンヒルデの付き人兼恋人の様子だったが、岩山の場面でジークフリートがグラーネを殴って打ち勝ち、新たな恋人になるという設定だが、興味あるか?アンドレアス・シャーガー、ダニエラ・ケーラーともに大きな喝采だったが最後の最高音はふたりともかなりきつそうだった。
各作品、各幕とも聞いたこともないようなブーイングの嵐だった。ちょうど現在、NHK-FMではこの演奏の模様を放送しているようだが、演奏だけで聴けばどんな感じで伝わるだろうか。現代風の読み替え演出に拒否感はないが、それにしてもちょっと脱線し過ぎの感はあった。機会があればカストルフのほうの感想もまた。
初めまして。
grunerwaldさまの素晴らしい、力の入ったレポートに拍手を贈りたくなり 思わずご挨拶に立ち寄りました次第。本当にお疲れさまです、これだけの情報をお聴き取りになるには、今まで一体どれほどのお時間と情熱をワーグナー鑑賞に割いてこられたか 深く察せられます。思わず私もホッターのヴォータンやナイトリンガーのアルベリヒの声を聴かずにおれなくなり、今一度 50年代のバイロイト録音を引っ張り出しました(残念ながら もう今更Orfeoを買い直すゆとりはなく、専らGolden MelodramやMusic&Arts盤ですがw )。最近のバイロイト祝祭劇場オケ・ピット内の鮮明な画像もたいへん貴重と思いました。心より敬意を表します!
2018/12/10(月) 午前 0:49[ “スケルツォ倶楽部”発起人 ]