DSC_2239

ドレスデンの「カプリッチョ」に続いて、今年2021年6月に行われたベルリンフィルのワルトビューネ・コンサートの放送(NHK-BS)を録画したものを鑑賞した。今年は「アメリカン・リズム」をテーマに、ウェイン・マーシャルの指揮、マルティン・グルービンガーのパーカッシブ・プラネット・アンサンブルというパーカッション・グループをゲストに迎えて、「スターウォーズ」のテーマ曲を中心としたジョン・ウィリアムズ・スペシャル・エディションと題した賑やかな演奏のほか、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」やバーンスタインの「オン・ザ・タウン」抜粋と「波止場」など、アメリカ一色の演奏となった。ワルトビューネの模様は毎年放送されているのでほぼ欠かさず見ているが、西欧のクラシックに限らず、アメリカ音楽やラテン音楽をテーマにした年も結構多くあってヴァラエティに富んでいる。どんなジャンルの曲でもベルリンフィルの演奏になると、どれも完璧で迫力のあるサウンドに変化するのが面白い。ジャズのコンボとの共演の年もあったが、今年のパーカッショングループは、打楽器をメインにエレクトリックギターとエレクトリックベース、エレクトリックキーボードによる7人編成のバンドで、これがベルリンフィルとともに「スターウォーズ」などを演奏したのだから、ポピュラーな印象の強いコンサートとなった。なによりも、今年は新型コロナ対策のためか、普段より入場客を大幅に減らして、半分ほど空席となっている会場の様子が強く印象に残った。

それでも、毎年恒例のアンコールのパウル・リンケの「ベルリンの風」では、観客たちは「待ってました!」とばかりに曲に合わせて指笛を吹き、楽しそうに身体を揺らして自由を謳歌しているように見られた。いつもアンコールのこの曲を目と耳にする時、堅苦しい正規の「国歌」だけでなく、こうした時代を超えて市民や国民に愛される代表的な音楽が身近にあるのは、正直言って羨ましく感じられるところだ。特に「ベルリンの風」は、ベルリンの自由な気風とイメージがよく合っている。パウル・リンケはナチス時代も政権に抗うこともなくゲッベルスからはベルリン名誉市民の栄誉を与えられているが、こうした時代に作曲家個人の非をことさらあげつらうのも、ドイツ音楽を愛すものとしてはきりがないだろう。アルベルト・シュペーアの記録によると、ヒトラーもベルヒテスガーデンにいる時は毎夜オペレッタのレコードを遅くまで客人らに聴かせていたらしい。

ドイツも日本も第二次大戦で大敗した元・全体主義国家だった点は共通しているが、日本と異なってドイツが現在手放しで成熟した自由な精神を謳歌できるのは、1960年代のフランクフルト裁判で自国民自身の手で戦争犯罪を裁いたことにより、精神的な決着をつけることができたからではないだろうか(戦後すぐの「ニュルンベルク裁判」のことではない)。ひらたく言えば、50年以上前に戦争の総括が終わっており、日本流に言えば「禊」が済んでいる。誰もが傷つきたくなく、また傷つけたくないがために、戦勝国による東京裁判が終わるや、曖昧なままひたすら忘却に努めてきた、もうひとつの国とはそこが決定的に異なるように感じられる。自分の手で戦争の善悪に決着がつけられていないのだから、いつまで経っても精神的に未熟なままなのだ。白黒曖昧なままだから、何が正しいかの自信がないので、常に周囲の空気に支配される。そういう意味ではかく言うドイツでも戦後から1950年代くらいまではナチの残党も大手を振っていたくらいだから、その時点では日本と大して変わりはなかった。だからこそ、いまの成熟した大国ドイツの精神的基盤の礎となったフリッツ・バウアーという人物の存在とフランクフルト裁判のことは、もっと評価されて然るべきだし、知られるべきだと思う。大げさでなく、歴史的な分岐点だったと思う。